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●VGC国際ラリー
1999年、北ドイツ・アーヘンタフトで開催されたVGC国際ラリー。デンマーク国境に近く、ラリー参加者は空からも地上からも、国境を自由に行き来して連日のフライトを楽しんだ。ヨーロッパ全体がEU(欧州連合)に向かって最終助走に入っていた頃で、ビンテージ機の国際ラリーはそれに相応しいお祭りだった。各国の旗がはためく広い緑の滑空場、筆者はそこで片言の日本語を話すイタリア人に出会った。
Vincenzo Pedrielli(ビンツェンツォ・ペドゥリィエリ)氏。日本企業・村田製作所のイタリア子会社の重役らしいが、そんな素振りはまったく見せない。物腰柔らかでユーモアある彼を、皆が「Vince(ビンス)!」と親しみを込めて呼ぶ。日本のVGCメンバーとも、今は来日のたび友好を温める仲だ。
ラリー会場のビンス氏は、連日、短パンにTシャツのラフな出で立ちで、各国からの参加者と楽しげに交歓していた。Tシャツには、自らデザインしたBaby
Bowlus(ベイビーボウルス)を描き、どう、すてきでしょ?と自慢する。トレーナーやプライベートな名刺にも刷り込む、ビンス氏お気に入りのアメリカのビンテージグライダーだ。
「ボクはね、もともと飛行機大好き人間のモデラーなんです。特にビンテージグライダー。スケールモデルを作っては飛ばしてきました。でもやっぱり実機にはかなわない。10年ほど前から、こうして毎年のラリー参加を楽しみにしています」
氏は、VGCイタリア支部の事務局を引き受けている。イタリア各地でも、ビンテージラリーは盛んのようだ。欧米が日本と違うのは、ビンテージ機がお蔵入りしてしまわないこと。博物館に入っていた機体が、ラリーの間だけ貸し出されて空を飛ぶ、そんな光景も珍しくはない。「飛行機は、飛んでこそ飛行機」。社会が、当たり前にそういうコンセプトを持っている。
年ごとに開催国を変えるVGC国際ラリーに、たいていは出かけるというビンス氏。
「国際派ビジネスマンは、仕事のついでに参加できていいね」
そう言うと、ひどく真面目な顔になった。
「来年はニューヨーク、エルマイラですね。ボクは休暇を取って行きますよ。お金はセーブ(節約)するんじゃあないの、メイクする。make
money ! 働く!働く!ネ。そうしたらこんな風に自由に楽しめる!」
首から下げた愛用のカメラで、並み居るビンテージの撮影に忙しいビンス氏。写真の腕前もなかなかなもので、年4回発行の会誌『VGC
News』の表紙を飾ることも少なくない。欧米の航空雑誌への寄稿も多い。掲載が決まると、
「ヤッタネ!次の表紙はビンスのだからね」
などと、大喜びでメールが来る。アマチュアであることを楽しむ。
●九州の友人
2002年11月、仕事で来日したビンス氏は、寸暇を見つけて九州の西日本航空協会を訪問した。空港に出迎え、再会を喜ぶ同協会会長の前田建氏。日本の数少ないVGCメンバーの一人だ。
「アジアゴはよかった! ラリーもいいけど、連日の各国メンバーとのトークショー、それにワインとチーズのイタリア料理満喫の日々! 実に楽しかったですねえ」
2002年6月にイタリアVGCが主催した国際ラリーは、イタリアアルプス山麓の美しい町、アジアゴで開催された(アジアゴはイタリア滑空発祥の地)。ビンス氏が企画したこのラリーに、日本から参加したのが、西日本航空協会の前田氏と勝部氏だった。日本の前田式703*などにも大いに興味を持っていたビンス氏は、初対面の前田氏と瞬く間に意気投合した。
(*第2次世界大戦時に前田航研工業[前田氏の父・建一氏経営]が製作したグライダー。前田氏については、『悠遊と飛ぶ』13に紹介)
「ヨーロッパのラリーは、楽しみ方がまるで違いますね。ゆとりがある。年代物の機体で1日中飛ぶ。飛ぶのが楽しくて仕方ないという風に、上がっては下り、また上がっていく。何時間もの滞空を楽しむ機体もいるし、隣町の滑空場に下りてしまうのもいる。まったく自由なのです」
羨ましそうな前田氏。ビンス氏が付け加える。
「機体がビンテージというばかりでなく、人間の方も相当なもの。毎年、グライダーを積みトレーラーハウスを引っ張って、家族、友人で仲良くやって来る。リタイア後の人たちも多い。ボクの理想ですね」
車中でひとしきりのラリー談義が続くうち、西日本航空協会に到着。工房に入る。
「スゴーイ・・・」
声をひそめ、つぶやくビンス氏。天井から吊り下がるビンテージ機の数々。1952年製・双胴のグライダーSM206/JA0008。裂けて木の繊維が露出した胴体、羽布が剥がされた主翼、セピアに変色し細かく亀裂の入った羽布など、氏は物も言わずしばし見入っていた。
「実はボクも最近、ビンテージを1機手に入れました。片田舎の納屋の隅でずっと眠っていた、1950年代初期のイタリアの機体で、名前はUrendo。ボクはパイロットではないので複座機にしました。友人に操縦してもらいます。直すのに2〜3年はかかりそうですが、レストアしてヨーロッパ中のラリーを巡りたい。やっと自分の機体で飛ぶ夢が叶います」
SM206も、現在レストアに入っている。実質的には新規製造になろう。前田氏はニコニコしながら言った。
「ビンス、この機体を持ってヨーロッパのラリーに行くよ。その時はよろしくね!」
●「航研機レポート」
つい最近、『JP4』というイタリアの航空雑誌に掲載されたビンス氏の「航研機レポート」が、「まずは報告」とメール送信されてきた。
「すごいですねえ。まったく素晴らしい出来です」
電話の向こうで、感無量の前田氏の声が躍る。前田氏は現在、青森県に開館する三沢航空科学館展示用の航研機レプリカを受注、製作中である。昨年秋に九州を訪問したビンス氏も、製作地大牟田に立ち寄った。レポートは、帰国後その時の見聞をまとめたもの。年期の入ったモデラーの氏も、航研機復元の現場では1/1模型の迫力に圧倒されていた。
記事には、建造中のレプリカの写真、頼まれて前田氏が後日に送った航研機の古い写真資料、そしてコンピューターグラフィックスで構成した1/10航研機模型が飛行する見事なイラストを含む。本文はイタリア語。A4判4頁をビッシリと満たす。
ビンス氏のメールには、前田氏へのメッセージが次のように綴られていた。
The title I used means:"Koukenki, a pearl
of the Japanese Aviation". It's a four pages article and
it look quite nice.I am speaking at the beginning about you and
your father. It's a pity you cannot read Italian as I cannot
read Japanese. Nante kotta !!!
(「日本の航空における一粒の真珠・航研機」、この記事のタイトルはそんな意味です。4頁にわたる記事はとてもいいと思う。まず最初に、私はあなたとあなたのお父さんについて記述している。でも残念なことに、私が日本語を解さないように、あなたもイタリア語を解さない。Nante
kotta !!!)
●Dewa mata
「先日は楽しい九州の旅をありがとう。実は今回が、ムラタの関係者としてボクの最後の日本訪問になると思います。4月で定年なのです。ボクの就職は、不況下のイタリアで決して順調ではなかった。でも、最終的に選んだセールスエンジニアという仕事は、人と関わることを大切に思う自分の資質に、とても合っていたと思います。
22年前、思いがけなくも日本企業に勤めることになりました。アメリカ資本だった会社が、ムラタに吸収合併されたのです。初めは大変でした。でも、次第に日本式の仕事のやり方が分かってきて、うまくシフトできました。幸せなことだったと思います。
来日のたびに日本の様々な文化を楽しんできました。伝統あるものはどの国でもいいものです。それに、日本の空をグライダーで飛ぶような異邦人はそうはいないでしょ。ボクは、今回は九州の久住でも飛びました。素晴らしい経験をさせてもらい感謝しています。
これからは、少し働いて、今まで時間がなくてできなかったことをしてみたいと思います。機体のレストア、それに最近は滑空史に一層興味が湧いてきたのです。
アジアゴでのラリー開催に合わせて出版した初めての著書、『Agiago:the
Start of Gliding in Italy』はイタリアにおける滑空の発祥を検証したものです。史料収集は大変でした。でも、ミラノからアジアゴに何度も通って現地調査し、新聞などの古い資料を掘り起こし、オリジナルの写真も発見、研究の醍醐味を知りました。これからも続けたいと思っています。
62歳になったボクの残り時間はもう十分ではないのだろうけれど、でもね、やる気だけは十分です。次に日本に行く時は、会社の都合ではなく、自分自身のスケジュールで行くことにするつもりです。Dewa
mata 。
Vince」
また会いましょう、ビンス! 光射す翼のもとに! |