後藤加代子の悠遊レポート・16

Nante kotta !!!
国際派ビジネスマンはグライダーで世界を翔る!?

Vincenzo Pedrielli さん
(ビンツェンツォ ペドゥリィエリ)

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SM206のセピア色の羽布を手にするビンス氏。隣りは前田氏と筆者(2002/前田航研・福岡) Baby Bowlusを描いた愛用のトレーナーで (2001/本多工房・相模原)

Profile
Vincenzo Pedrielli さん
(ビンツェンツォ ペドゥリィエリ)
1941年イタリア生。ミラノ在住。電子工学関係のセールスエンジニアとして働き、1981年、村田製作所・イタリア販売子会社のマネージングディレクター(Managing Director)に。航空機模型やビンテージグライダーの愛好家。操縦はしない。趣味として続ける、欧米の航空雑誌への写真やレポートの寄稿には定評がある。VGC*(ビンテージ・グライダー・クラブ)会員でイタリア支部事務局長。著書に『Asiago : the Start of Gliding in Italy』。

*VGC(Vintage Glider Club)
ビンテージグライダー(古典的滑空機)愛好家の国際団体。本部英国。加盟国21、会員数約2,300名。会員資格は不問。機体所有者やパイロットから、単なる古典機好きまで、会員層は幅広い。毎夏、加盟国を巡回してビンテージ機のみの競技会インターナショナル・ビンテージ・グライダー・ラリー(VGC国際ラリー)を開催する。参加機は100機以上。ラリーは、記録を競うというよりも年1回の集いを楽しむ雰囲気。日本会員は11名。
http://www.vintagegliderclub.org.uk/

光を透かす羽布張りの翼が、その優美な姿でフライトを競うビンテージ・グライダー・ラリー。それは、大空を鳥のように飛びたいと願った、初期の航空人たちの夢の残り香。古典機が緑美しい滑空場に一堂に集う光景は、ヨーロッパの歴史と品位を感じさせる。そのビンテージ・グライダーに魅せられたビジネスマンがいる。 世界を飛び回る多忙なビジネスの合間に、グライダーの写真を撮り航空誌にレポートを書く。滑空の歴史を調べて本を出す。意欲的。だがあくまで趣味だ。定年を迎える今、次は古典機のレストアをめざす。第二の人生も、悠々と空を飛ぶことだろう。光射す翼に乗って。

●VGC国際ラリー

1999年、北ドイツ・アーヘンタフトで開催されたVGC国際ラリー。デンマーク国境に近く、ラリー参加者は空からも地上からも、国境を自由に行き来して連日のフライトを楽しんだ。ヨーロッパ全体がEU(欧州連合)に向かって最終助走に入っていた頃で、ビンテージ機の国際ラリーはそれに相応しいお祭りだった。各国の旗がはためく広い緑の滑空場、筆者はそこで片言の日本語を話すイタリア人に出会った。

Vincenzo Pedrielli(ビンツェンツォ・ペドゥリィエリ)氏。日本企業・村田製作所のイタリア子会社の重役らしいが、そんな素振りはまったく見せない。物腰柔らかでユーモアある彼を、皆が「Vince(ビンス)!」と親しみを込めて呼ぶ。日本のVGCメンバーとも、今は来日のたび友好を温める仲だ。

ラリー会場のビンス氏は、連日、短パンにTシャツのラフな出で立ちで、各国からの参加者と楽しげに交歓していた。Tシャツには、自らデザインしたBaby Bowlus(ベイビーボウルス)を描き、どう、すてきでしょ?と自慢する。トレーナーやプライベートな名刺にも刷り込む、ビンス氏お気に入りのアメリカのビンテージグライダーだ。

クはね、もともと飛行機大好き人間のモデラーなんです。特にビンテージグライダー。スケールモデルを作っては飛ばしてきました。でもやっぱり実機にはかなわない。10年ほど前から、こうして毎年のラリー参加を楽しみにしています」

氏は、VGCイタリア支部の事務局を引き受けている。イタリア各地でも、ビンテージラリーは盛んのようだ。欧米が日本と違うのは、ビンテージ機がお蔵入りしてしまわないこと。博物館に入っていた機体が、ラリーの間だけ貸し出されて空を飛ぶ、そんな光景も珍しくはない。「飛行機は、飛んでこそ飛行機」。社会が、当たり前にそういうコンセプトを持っている。

年ごとに開催国を変えるVGC国際ラリーに、たいていは出かけるというビンス氏。
 
際派ビジネスマンは、仕事のついでに参加できていいね」

そう言うと、ひどく真面目な顔になった。

年はニューヨーク、エルマイラですね。ボクは休暇を取って行きますよ。お金はセーブ(節約)するんじゃあないの、メイクする。make money ! 働く!働く!ネ。そうしたらこんな風に自由に楽しめる!」  

首から下げた愛用のカメラで、並み居るビンテージの撮影に忙しいビンス氏。写真の腕前もなかなかなもので、年4回発行の会誌『VGC News』の表紙を飾ることも少なくない。欧米の航空雑誌への寄稿も多い。掲載が決まると、

ッタネ!次の表紙はビンスのだからね」

などと、大喜びでメールが来る。アマチュアであることを楽しむ。

●九州の友人

2002年11月、仕事で来日したビンス氏は、寸暇を見つけて九州の西日本航空協会を訪問した。空港に出迎え、再会を喜ぶ同協会会長の前田建氏。日本の数少ないVGCメンバーの一人だ。

ジアゴはよかった! ラリーもいいけど、連日の各国メンバーとのトークショー、それにワインとチーズのイタリア料理満喫の日々! 実に楽しかったですねえ」

2002年6月にイタリアVGCが主催した国際ラリーは、イタリアアルプス山麓の美しい町、アジアゴで開催された(アジアゴはイタリア滑空発祥の地)。ビンス氏が企画したこのラリーに、日本から参加したのが、西日本航空協会の前田氏と勝部氏だった。日本の前田式703*などにも大いに興味を持っていたビンス氏は、初対面の前田氏と瞬く間に意気投合した。

(*第2次世界大戦時に前田航研工業[前田氏の父・建一氏経営]が製作したグライダー。前田氏については、『悠遊と飛ぶ』13に紹介)

ーロッパのラリーは、楽しみ方がまるで違いますね。ゆとりがある。年代物の機体で1日中飛ぶ。飛ぶのが楽しくて仕方ないという風に、上がっては下り、また上がっていく。何時間もの滞空を楽しむ機体もいるし、隣町の滑空場に下りてしまうのもいる。まったく自由なのです」

羨ましそうな前田氏。ビンス氏が付け加える。

体がビンテージというばかりでなく、人間の方も相当なもの。毎年、グライダーを積みトレーラーハウスを引っ張って、家族、友人で仲良くやって来る。リタイア後の人たちも多い。ボクの理想ですね」

車中でひとしきりのラリー談義が続くうち、西日本航空協会に到着。工房に入る。

ゴーイ・・・」

声をひそめ、つぶやくビンス氏。天井から吊り下がるビンテージ機の数々。1952年製・双胴のグライダーSM206/JA0008。裂けて木の繊維が露出した胴体、羽布が剥がされた主翼、セピアに変色し細かく亀裂の入った羽布など、氏は物も言わずしばし見入っていた。

はボクも最近、ビンテージを1機手に入れました。片田舎の納屋の隅でずっと眠っていた、1950年代初期のイタリアの機体で、名前はUrendo。ボクはパイロットではないので複座機にしました。友人に操縦してもらいます。直すのに2〜3年はかかりそうですが、レストアしてヨーロッパ中のラリーを巡りたい。やっと自分の機体で飛ぶ夢が叶います」

SM206も、現在レストアに入っている。実質的には新規製造になろう。前田氏はニコニコしながら言った。

ンス、この機体を持ってヨーロッパのラリーに行くよ。その時はよろしくね!」

●「航研機レポート」

つい最近、『JP4』というイタリアの航空雑誌に掲載されたビンス氏の「航研機レポート」が、「まずは報告」とメール送信されてきた。

ごいですねえ。まったく素晴らしい出来です」

電話の向こうで、感無量の前田氏の声が躍る。前田氏は現在、青森県に開館する三沢航空科学館展示用の航研機レプリカを受注、製作中である。昨年秋に九州を訪問したビンス氏も、製作地大牟田に立ち寄った。レポートは、帰国後その時の見聞をまとめたもの。年期の入ったモデラーの氏も、航研機復元の現場では1/1模型の迫力に圧倒されていた。

記事には、建造中のレプリカの写真、頼まれて前田氏が後日に送った航研機の古い写真資料、そしてコンピューターグラフィックスで構成した1/10航研機模型が飛行する見事なイラストを含む。本文はイタリア語。A4判4頁をビッシリと満たす。

ビンス氏のメールには、前田氏へのメッセージが次のように綴られていた。

The title I used means:"Koukenki, a pearl of the Japanese Aviation". It's a four pages article and it look quite nice.I am speaking at the beginning about you and your father. It's a pity you cannot read Italian as I cannot read Japanese. Nante kotta !!!

(「日本の航空における一粒の真珠・航研機」、この記事のタイトルはそんな意味です。4頁にわたる記事はとてもいいと思う。まず最初に、私はあなたとあなたのお父さんについて記述している。でも残念なことに、私が日本語を解さないように、あなたもイタリア語を解さない。Nante kotta !!!)

●Dewa mata

日は楽しい九州の旅をありがとう。実は今回が、ムラタの関係者としてボクの最後の日本訪問になると思います。4月で定年なのです。ボクの就職は、不況下のイタリアで決して順調ではなかった。でも、最終的に選んだセールスエンジニアという仕事は、人と関わることを大切に思う自分の資質に、とても合っていたと思います。

22年前、思いがけなくも日本企業に勤めることになりました。アメリカ資本だった会社が、ムラタに吸収合併されたのです。初めは大変でした。でも、次第に日本式の仕事のやり方が分かってきて、うまくシフトできました。幸せなことだったと思います。
 
来日のたびに日本の様々な文化を楽しんできました。伝統あるものはどの国でもいいものです。それに、日本の空をグライダーで飛ぶような異邦人はそうはいないでしょ。ボクは、今回は九州の久住でも飛びました。素晴らしい経験をさせてもらい感謝しています。

これからは、少し働いて、今まで時間がなくてできなかったことをしてみたいと思います。機体のレストア、それに最近は滑空史に一層興味が湧いてきたのです。

アジアゴでのラリー開催に合わせて出版した初めての著書、『Agiago:the Start of Gliding in Italy』はイタリアにおける滑空の発祥を検証したものです。史料収集は大変でした。でも、ミラノからアジアゴに何度も通って現地調査し、新聞などの古い資料を掘り起こし、オリジナルの写真も発見、研究の醍醐味を知りました。これからも続けたいと思っています。

62歳になったボクの残り時間はもう十分ではないのだろうけれど、でもね、やる気だけは十分です。次に日本に行く時は、会社の都合ではなく、自分自身のスケジュールで行くことにするつもりです。Dewa mata 。  
Vince」


また会いましょう、ビンス! 光射す翼のもとに!

VGC国際ラリーに集うビンテージグライダーたち Slingsby T.21B(BGA 3385 ドイツ)

レストア中の霧が峰ハトK-14を訪ねる(2001/本多工房・相模原) 久住滑空場をプハッチで飛ぶ。(2002/大分)

村田製作所勤続20年表彰式
(2000/東京)
ビンス氏の1冊目の著書l『Asiago:the Start of Gliding in Italy』(2002)

『JP4』vol. 349掲載のビンス氏の航研機レポート(2003/2月)

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