後藤加代子の悠遊レポート・特別編 / 「航研機・レプリカ」連載 ==> / / / / (最終回)

主翼、真紅の塗装を終了
エンジンカウル、ラジエーターカバー、
引き込み式可動脚も完成
2002/12/16
場所:福岡県大牟田市/(株)アルム
場所:佐賀県唐津市/(有)江藤造船所

赤色塗装を終えた主翼

可動脚を動かしてみる

主翼前縁部分を塗装中の作業員

航研機特有のマーキング。翼端にも同様に

主翼

10月中旬に銀色塗装を終えた主翼には、10月下旬、ほぼ1週間をかけて、航研機の特徴である赤色塗装が施された。作業時、あたり一面が赤の煙霧に満たされたという。エルロン、ラダーなど、動翼部位にも赤の塗装が完了した。

今回訪問した12月16日の時点では、主翼は前縁を上に、従来通りにタテに吊されたまま赤く塗装され、内翼近くの翼上面・後縁と翼端には、鮮やかに白と黒のマーキングが施されていた。

埃よけの透明ビニールで覆われた真っ赤になった主翼は、戦いを終えた戦士が両の手を拝み合わせるかのようにして佇み、少し離れて、物干し状パイプから吊された赤いラダー・エレベーター・エルロン・タブなどがそれに向かい合う。

主翼の吊された足場・床回りは赤の塗料で染まり、窓側の壁、ガラスには、したたり落ちた赤い塗料が血のりのように姿を留めて、塗料噴射の激しさを偲ばせる。工場内には人気もなく、塗装に使われたコンプレッサー・塗料缶なども片隅にまとめられて、さながらツワモノどもが夢の跡となった。

胴体の進行状況

胴体外板は、沈頭鋲の再現のために2重構造になっており、厚さ3ミリのアルミ板の上に1ミリの化粧用のアルミ板が張り込まれる。2枚のアルミ板はまずリベットで固定され、外側のアルミ板に沈頭鋲が打たれる。

リベットを打つ作業は2人一組で行われており、外側の要員が、予めあけられている外板の穴にリベットを埋め込み、コンコンと外板を拳で叩き合図すると、胴体内部に入り込んでいる要員が止めの準備ができたことをコンコンと拳で叩いて応える。外側要員が電動ネジ打ち機でリベットを打つ。内側でうまく止ると、内側からコンコンと外板を叩いてその首尾を伝える。2人の若者が軽快にこの作業を進めていた。

胴体上部両側には、内翼が付き始めている。内翼は、トランシット(測量用器械)を使って、取り付け角度の微妙な調整が行われていた。内翼下面には、主脚取り付け部も姿を見せており、胴体全体が飛行機らしい体裁を整えつつある。

引き込み脚

航研機の特徴の一つである引き込み脚については、展示に際しては左主脚を可動式とし、1,000回を超える耐久試験を経て改良を重ね、10月中旬に完成した。右主脚は固定。可動部分は、今後の展示においても定期的な点検・整備が継続される。(製作地:佐賀県基山町)

完成したエンジンカウル、ラジエーターカバー

航研機特有の形態を持つエンジンカウル(エンジンの覆い)は、大牟田の(株)アルムでアルミフレームにより成型を行った後、唐津に運ばれアルミ外板が張られた。今回訪問の12月16日には、ラジエーターカバーと共に、すべての工程を終え完成したところであった。両者ともに写真以外にまったく手がかりのない復元であり、傍らの作業台に用意された50枚近くに及ぶ古い写真の拡大コピーは、何度も繰られて、紙がやわらかく波打っていた。

製作担当者は尾翼の製作も担った前川氏。模型のプロと言われる。エンジンカウル前面の微妙な窪み、ラジエーターカバー取り付け部の、ねじれの入った3次元の複雑な曲面も、見事な技術で再現した。沈頭鋲の列も美しい。アルミ板は最後に電動グラインダーで磨き上げられ、鈍い光を放ってジュラルミンの雰囲気を醸し出している。

今後の予定

製作は、2003年3月上旬の大牟田/(株)アルムでの本組に向けて最後の追い込みに入る。そのための仮組作業は2003年1月下旬から始まり、それぞれ別々に作られてきた部分が、細かな調整を繰り返し1機に統合される。

大牟田から青森・三沢への送り出しは、同年4月1日を予定。大牟田・博多間は陸送、博多港から八戸港へは海上輸送、八戸港より三沢までは陸送となる。機体は分割の上、トレーラー5台(リフターなどの器材1台を含む)にて搬送の予定。

動翼も真っ赤に

埃よけの透明ビニールに包まれた垂直尾翼

内翼を取りつけつつある胴体

完成したラジエーター

完成したエンジンカウル。資料がなく、目鼻を思わせる小さな丸穴の大きさに苦心した。沈頭鋲はエンジンカウルに用いただけでも数千個以上(今回機体全体で使われる沈頭鋲は10万個を超す)

ラジエーターカバー。手前包みはラジエーター。カバー下段両側、ラジエーター取り付け部の膨らんだ小曲面に苦心あり。実際に取り付けながら試作を繰り返した

製作担当はこんな人々(1)
●設計/製作を統括
天本壽人さん
Hisato Amamoto

[ プロフィール ]
1950年佐賀県基山町生。第一高校航空機関学科卒。グライダー設計者として著名な前田建一氏(航研機レプリカ製作担当(有)前田航研・前田建氏父君)の教え子で、氏の人力飛行機製作要員として活躍。

高卒後は新明和工業に入社し飛行艇の設計を手がける。福岡航研を経て、現在(有)三愛船舶設計社長。2000年、航研機復元計画に参加、本業の船舶設計・製作の経験を生かし製作現場を一手に預かる。1995年より地元・基山町町議会議員も務め、まもなく2期任期満了。就任時には、最年少議員として町議会に新風を送った。
大きな手を縦横に動かし、身振り大きく説明する天本さん。目を細め、いつも笑っているよう。その笑顔で、製作現場のチームワークを強固にする。

[ ひとこと ]

私の本業は船の設計ですけれども、とにかく、高校時代から飛行機が設計したくてたまりませんでした。前田先生と出会ったのはたまたま入学した高校で、まったくの偶然だったのですが、人力飛行機の製作をはじめとして、前田先生に導かれたというか、飛行機に導かれて、今日があるような気がします。

「石にかじりついてでも」と言いますが、かじりついていれば、願いはきっと叶うんですねえ。航研機復元の話が来た時は、「これだ!」と思いましたね。20億・30億のアルミ艇ならいくつも作っていますから、どの程度のアルミを使い、どこまでの作業をすれば、予算内で外見上実機に近い物ができるのか、大体は即座に読めるものです。材料・場所・製作要員など、どの分野についても人脈には事欠きませんしね。これならばできるな、というより、「やらねば!」と思いましたね。

飛ぶ機体を作れるわけじゃあないけれども、あれ程作りたいと思った「飛行機」が作れる。夢が叶う、そりゃあやっぱりやらねばね。1/1実物大レプリカであることをつい忘れて、入れ込みすぎと言われます。何事にも限界はあります。でも、飛ぶが如く、限りなく実機に近く、が願いです。

製作担当はこんな人々(2)
●「現代の名工」は模型のプロ !
前川 定信さん
Sadanobu Maekawa


[ プロフィール ]
佐賀県唐津市生。工業高校卒業後大阪の専門学校で設計を学ぶ。大阪にて就職後唐津にIターン、趣味だった模型店を経営する。転業し、現在は(有)江藤造船所に勤務、レジャー船などの製作を担当している。生来の模型好きで、ラジコン世界ではよく知られた存在。

今回のレプリカ製作では設計担当者と協力し、尾翼・エンジンカウル・ラジエーターカバーなどの塗装されない部位、沈頭鋲が明確に現れる部位、複雑な曲面などを単独で製作、技術力の高さを披瀝した。
今回のためにアメリカから取り寄せたイングリッシュ・ホイールと呼ばれる圧延機を前に、真剣なまなざしの前川さん。3ミリのアルミ板が見る見るうちに緩やかな曲線を得る。わずかでも行きすぎれば使い物にはならない。

[ ひとこと ]

航研機の尾翼製作の話が来た時は、まあ何とかなるな、と思いました。エンジンカウルやラジエーターカバーの3次元的曲面はとても作り甲斐がありました。

通常の船舶でもこの程度の曲面は作りますから、特別難しいわけではありませんけれども、航研機には設計図などの資料がほとんどありません。あるのは写真だけ。ともかく、欲しい部分が映っている写真は全部集めてきて、拡大コピーを取り、各部との相対的な大きさや、カーブの曲線の入り方、光の具合などから細部を想像し、判断しました。

設計図をもとにした製作でも、最終的には想像力の世界です。見ていると図面の線が立体的に立ち上がってくる。これがないと模型も作れません。カーブですか? それはですねえ、こう、できあがったものを手でなぞる、それでコンマ1ミリまで判定できますね

航研機復元プロジェクト 
ニュースレター

発行:日本科学技術振興財団・企画開発部 航研機復元プロジェクト推進事務局

航研機復元プロジェクトの進捗レポートを主たる内容として、現在4号まで発行されている。復元製作に関わる各分野のメンバー紹介や、航研機の新旧資料の紹介、新情報提供への呼びかけなど、号を重ねる毎に増ページされ、科学館建設の広報にとどまらず、ニュースレター自体が航研機資料収集・開示のツールとなっていることに注目される。

写真協力:航空史家・田中昭重氏、北澤一郎氏
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