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主翼
10月中旬に銀色塗装を終えた主翼には、10月下旬、ほぼ1週間をかけて、航研機の特徴である赤色塗装が施された。作業時、あたり一面が赤の煙霧に満たされたという。エルロン、ラダーなど、動翼部位にも赤の塗装が完了した。
今回訪問した12月16日の時点では、主翼は前縁を上に、従来通りにタテに吊されたまま赤く塗装され、内翼近くの翼上面・後縁と翼端には、鮮やかに白と黒のマーキングが施されていた。
埃よけの透明ビニールで覆われた真っ赤になった主翼は、戦いを終えた戦士が両の手を拝み合わせるかのようにして佇み、少し離れて、物干し状パイプから吊された赤いラダー・エレベーター・エルロン・タブなどがそれに向かい合う。
主翼の吊された足場・床回りは赤の塗料で染まり、窓側の壁、ガラスには、したたり落ちた赤い塗料が血のりのように姿を留めて、塗料噴射の激しさを偲ばせる。工場内には人気もなく、塗装に使われたコンプレッサー・塗料缶なども片隅にまとめられて、さながらツワモノどもが夢の跡となった。
胴体の進行状況
胴体外板は、沈頭鋲の再現のために2重構造になっており、厚さ3ミリのアルミ板の上に1ミリの化粧用のアルミ板が張り込まれる。2枚のアルミ板はまずリベットで固定され、外側のアルミ板に沈頭鋲が打たれる。
リベットを打つ作業は2人一組で行われており、外側の要員が、予めあけられている外板の穴にリベットを埋め込み、コンコンと外板を拳で叩き合図すると、胴体内部に入り込んでいる要員が止めの準備ができたことをコンコンと拳で叩いて応える。外側要員が電動ネジ打ち機でリベットを打つ。内側でうまく止ると、内側からコンコンと外板を叩いてその首尾を伝える。2人の若者が軽快にこの作業を進めていた。
胴体上部両側には、内翼が付き始めている。内翼は、トランシット(測量用器械)を使って、取り付け角度の微妙な調整が行われていた。内翼下面には、主脚取り付け部も姿を見せており、胴体全体が飛行機らしい体裁を整えつつある。
引き込み脚
航研機の特徴の一つである引き込み脚については、展示に際しては左主脚を可動式とし、1,000回を超える耐久試験を経て改良を重ね、10月中旬に完成した。右主脚は固定。可動部分は、今後の展示においても定期的な点検・整備が継続される。(製作地:佐賀県基山町)
完成したエンジンカウル、ラジエーターカバー
航研機特有の形態を持つエンジンカウル(エンジンの覆い)は、大牟田の(株)アルムでアルミフレームにより成型を行った後、唐津に運ばれアルミ外板が張られた。今回訪問の12月16日には、ラジエーターカバーと共に、すべての工程を終え完成したところであった。両者ともに写真以外にまったく手がかりのない復元であり、傍らの作業台に用意された50枚近くに及ぶ古い写真の拡大コピーは、何度も繰られて、紙がやわらかく波打っていた。
製作担当者は尾翼の製作も担った前川氏。模型のプロと言われる。エンジンカウル前面の微妙な窪み、ラジエーターカバー取り付け部の、ねじれの入った3次元の複雑な曲面も、見事な技術で再現した。沈頭鋲の列も美しい。アルミ板は最後に電動グラインダーで磨き上げられ、鈍い光を放ってジュラルミンの雰囲気を醸し出している。
今後の予定
製作は、2003年3月上旬の大牟田/(株)アルムでの本組に向けて最後の追い込みに入る。そのための仮組作業は2003年1月下旬から始まり、それぞれ別々に作られてきた部分が、細かな調整を繰り返し1機に統合される。
大牟田から青森・三沢への送り出しは、同年4月1日を予定。大牟田・博多間は陸送、博多港から八戸港へは海上輸送、八戸港より三沢までは陸送となる。機体は分割の上、トレーラー5台(リフターなどの器材1台を含む)にて搬送の予定。 |