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●左手で操縦、右手で撮影
「最近ではハワイのキラウエア火山、溶岩が吹き出して海に流れ出ているところを空撮しました。もちろん相当なバンク(傾斜)をつけて撮影。同じ時期に、滝つぼをめがけて森の切れ間に飛び込んで撮影、これもいい写真になりました。そういう場所では、気流は確かに不安定です。でも危ない時というのはわかりますね。絶対無茶はしません。ギリギリのところで飛び、かつ撮る。すると、やはりいいものが撮れています」
江戸川区北小岩で開業するみやび歯科院長の目々澤雅子さんは、航空機操縦士。日本写真作家協会に所属するカメラマンでもある。左手で操縦、右手でカメラを固定し空撮する。日本、アメリカ、スウェーデンで飛び、写真集も刊行、写真展は富士フォトサロンなどで開催。飛行機のライセンスを取ったのは1996年、キャリアは5年だが、飛び方も撮影もその発表のし方も、つまり、並ではない。
「歯科医の腕の力、というのは大変なものなのですよ。抜歯にどのくらいの力が必要か、皆さんにはわからないでしょうね。1日8時間、私たちは腕を固定したままの状態で患者さんの治療をします。片手でカメラを支えて空中で固定するなど、歯医者にとっては難しいことではありません。操縦桿を左手でしっかりと握り、CanonのEos-kissに200mmの望遠ズームをつけて右手片手で構えてシャッターを切る、これが私の撮影法です」
1997年、目々澤さんは銀座教会で初の個展『雅子の空』を開いた。
「パイロットのライセンス取得に通ったアメリカで、フライトの練習中に出会う雲の様子が余りに素晴らしく、日本に残してきた夫や娘たち、両親に、送り出してくれた感謝を込めてぜひ見せたくなったんです。その一心で夢中でシャッターを切ったのが空撮の始まり。その後、かつて夫の留学に伴って住み、私自身も歯科医としての研修に励んだスウェーデンでも、空撮を始めました。かつて首相の前で茶道のお点前や日本舞踊を披露した美しい城を、今度は空から撮る。スウェーデンの滴る緑を背景に、絶好の被写体です。私の大好きなテーマの一つです」
●操縦ライセンスの取得
「空を飛べたらいいな、という漠然とした思いは小さい頃からありましたが、パイロットになるなんて思ったこともありませんでした。たまたまグライダーの教官が友人で、乗せてもらった。それがきっかけです。無動力のグライダーは40歳ではもう無理かも知れないと思っているときに、森中さんや女性操縦教官である鐘尾みや子さんと出会う機会があって、エンジンの付いた軽飛行機ならばできるかなと思いました」
飛ぶにはまずライセンスということで、とりあえず東京で受けられる米国航空局のペーパーテストを受けた。結構難しいという試験に一発で受かってしまった。が、2年以内に本国で行われる実技試験に通らねばならない。日本での訓練飛行では経費も時間もかかる。診療の仕事もある。結局、ライセンスはアメリカで取った。
「ちょうどバブルが終わった時期で、行った先、行った先の飛行学校が次々潰れるという不運に会い、7回渡米し、4カ所学校を変わりました。でも、あちこちで習ったお陰で、海上、市街地、砂漠、山の中、どこでも飛べるようになりましたね」
免許取得は1996年。翌97年、日本でも個人飛行機操縦士の免許を取得した。
写真集『雅子の空』に収めた空撮の1枚に、初の長距離単独飛行時に撮影したものがある。カリフォルニア州北部、標高3,000mの高地にあるビッグベア空港から飛び立ち、グランドキャニオンを流れるコロラド川を眼下にする。赤い川と呼ばれるコロラド川は、そのあたりに来るとエメラルド色に変わり、広い湿原を潤しながら流れはじめていた。遙かな山々は青く霞み、目の下の山は切り立って襞のように連なる。川は碧、うねうねと蛇行する。行くべき空は果てもなく広い。
「これを見ると今でも涙が出ます。飛行訓練卒業前の大試練。たった一人、500kmの距離を、これまでまったく行ったことのない飛行場を含め2カ所の飛行場を選び、飛行機を着陸させてからホーム空港に戻らねばなりません。これはその途中の風景です。孤独感を払拭しながら飛びました。おかしいでしょうが、私は今でも操縦席の傍にぬいぐるみを置いています。副操縦士のミッキーマウスに、ユーハブ?
アイハブ! なんてね」
●歌舞伎座に舞う
初個展の直後に、乳癌が見つかった。直ちに右乳房の全摘手術を受けた。痛みに耐えてリハビリに励み、再び歯科治療や空撮ができるまでに回復した。が、右腕は付け根から肩にかけて、未だ感触が戻っていない。
「リハビリは日本舞踊でした。私は坂東流師範、坂東雅。いわば踊りのプロです。家元の先代・故第九世坂東三津五郎先生は、私を励まし、手術後半年で歌舞伎座の舞台に立ち、一人で娘道成寺を踊るよう言い渡されました。実質は4ヶ月。踊りで癌を克服せよという家元の励ましですね。歌舞伎座の舞台に一人立つなど、普通ならばかなわないようなことです。稽古に継ぐ稽古でした。道成寺の衣装は25キロ、それを着て1時間を踊り切りました」
目々澤さんのホームページには「みやび歯科」に並んで「坂東雅」のサイトがある。開くと、娘道成寺のあでやかな衣装の女性が踊っている。ただサイトを訪れるだけの者には、なぜその写真なのか知るよしもない。が、これでなくては、の写真。
●強く願えば必ずかなう
『雅子の空』のテーマの一つに「橋の成長」がある。橋の名は「オーレスンド橋」。南スウェーデンのマルメ市駅と海を隔てたデンマーク・コペンハーゲン中央駅を結ぶ車道・鉄道を通す二重構造の橋だ。東京湾横断道路のように一部で海中トンネルとなる。
「1998年、飛行中に、かねてから建設計画のあることは知っていたこの橋が、スウェーデン・マルメ側の突端で実際に工事が行われているのを発見し撮影、その後スウェーデンを訪れるたびに橋の建設を空から追いました」
1998年の写真には、陸地からつながる橋脚が海中にもいくつか並び立つ。1999年初夏には、手前の陸地から延びる橋と沖合の小さな人工島から陸地に向いて延びる橋の、連結橋部分のみを残す写真。2000年春の写真には、「7月1日の開通式を前に、最後の仕上げに入っています。はやく、空の上からではなく、橋をわたってみたい!」とある。
6月下旬、完成した橋の撮影のためだけにスウェーデン入りし空撮。まっ青な海を大きく蛇行する橋が美しい。「ああ、こうして夢はかなうのだな」と思う。
「その春、長年にわたる苦しい腎臓透析の継続を拒否して自然な死を選ぼうとした医師である義父に、生き続けることを説得しました。癌を患った私だって懸命に生きていると。完成した橋の撮影は私には念願でしたが、6月、体調の悪化していた義父を置いて行きたくはなかった。でもやはり行きました。義父に橋の写真を見てもらうためにも」
お義父さんは写真展に飾られた橋の写真を見に来てくれたが、その秋、亡くなった。橋の写真はスウェーデン、デンマーク両国から数多く発表・出版されているが、これほど晴れて美しい橋の写真は見当たらないそうだ。
「娘たちに、母親としてこんな風に生きている、という姿勢を見せておきたいのです。年を取れば誰だって容姿は衰え、どんなに美しい女性も見る影もなくなります。だからこそ、中味を磨きなさいと伝えたい。内面から光り輝くものを持つ、そうすれば人は必ずついてくると。残された命があとどれ程あるか、そう思えば一層、一生懸命生き、できる限りのことをやっておきたい。父母、義父母、師匠、ご新造さんなど、かつて私を導いてくれた人たちが私に示してくれたように、子供たちの目にその姿を残したいと思うのです」
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