後藤加代子の悠遊レポート・05

琵琶湖の夏空に舞う!
鳥人間は“水面効果”で飛ぶ
バードマン 福森啓太さん
Profile
福森啓太さん
Keita Fukumori

▲僕はグライダー・パイロット。浜北滑空場を飛び立つ福森さん。
1958年 岡山県生。

鳥人間コンテスト選手権大会へは、開催総数25回のうち15回参加。第22回滑空機部門優勝、第23回準優勝。22回優勝時の記録364.08mは昨年まで歴代1位。航空機三等整備士。グライダーパイロット。航空機整備に従事の後、自動車メーカー・スズキ入社。

現在、二輪・特機商品(電動車椅子など)企画担当。率いるチームハマハマはスズキの社内同好会。愛機は「浜燕」。

「人が鳥になる」という夢を託して、開催25回を経た琵琶湖・鳥人間コンテスト。湖に張り出した高さ10mの舞台から、スパン21mの透明の翼が宙に舞う瞬間、それはどんな気分なのだろう。 機体・飛行ともに、常にコンテストの話題となるバードマン福森啓太氏。歴代最長の距離記録は今夏ついに破られたが、次回再挑戦を期している。連続出場、勝利、記録、その強さの源に迫る。


●空白の一瞬を超えて


人間コンテストでは、スタートの成功の可否が勝因の第一です。つまり、乗り込みのタイミングですね。うちの『浜燕』の場合、規定の助走距離10mをギリギリ使い、可能な限りの助走をつけてプラットフォームを離陸するのですが、空中に飛び出してから、機速が出て、沈み込んだ機体が自然に引き起こされるまでの、たぶん1秒にも満たないまったく空白の瞬間、何度飛んでもこれが一番怖い。頭の中が真っ白です」

開口一番、名代の鳥人間は離陸時の気分をそう表現した。だが、すぐにこう続ける。

も、体が自然に反応するのでしょうね、わずかに機体が引き起こされる感覚がある頃には、もう自分の手が無意識に操縦桿を引いています。そうなればしめたもの、操縦は完全に我が手中にありという感じで、ガゼン自信が湧いてきます」


●最高の機体で、最高の滑空を見せる

山にいた時、読売新聞で第1回鳥人間コンテストの予告を見て、書類だけは出しました。こんなおもしろいことやるんなら、絶対出てみようと。しかし応募時期が大学受験のときで、忙しくて機体を作る暇がなく、書類参加だけでした」

その思いが実現したのは、1982年第6回コンテスト。大学航空部でグライダーに乗り始め、就職した先が関宿滑空場だった。先輩整備士・鈴木常正氏ら所有の機体で参加した。鈴木氏は、第1回優勝機の製作者の一人だ。

はグライダーパイロットです。当時のパイロットはハンググライダー出身が主流でした。鳥人間の飛行はグライダーの滑空そのものですから、正直言って負けていられるか、という思いはありましたね。飛ぶからには最高の機体で最高の滑空を見せたい、それがグライダーパイロットとしての誇りだ、と」

結果は、離陸後失速、キリモミ状態で水中に墜ち、記録は13mに終わった。だが翌83年の第7回には同じ機体の翼面積を大きくして参加、133mを飛び5位に入賞、前年の雪辱を果たす。以後、優勝への挑戦が加速していく。


●ポンコツ号の頃

岡山県倉敷市郊外の清音村、そこが福森さんの故郷だ。山に囲まれた静かな村は、倉敷市の中央を流れる高梁川の上流にある。その河川敷で手作りのラジコン模型飛行機に熱中した少年時代、空はずっと福森さんの憧れの場所だった。

投げのラジコン飛行機です。最初は要領がわからず、何度やってもオーバーコントロールです。すぐに失速、墜落・大破を繰り返しました。模型屋のオヤジさんに聞けば、きっとすぐに飛ばせたでしょうね。でも聞くのはイヤだった。絶対自分の力で飛ばしたい。だって、何でだろう、何でだろうって考え考えやってみるって、楽しいじゃないですか。その楽しみをむざむざ他人に渡せますか」

福森さんは、いたずらっぽく笑った。最初のラジコンは、中学2年のとき作ったポンコツ号というキットの格安機。中学1年の時、近くの小川でこぶし大のエンジンを拾った。水中にあったのでひどく錆びついていたが、全部分解し、1年かかって組み立てた。給油し点火すると、ものすごい轟音で廻った。

った!という達成感、これですね。苦労したからこそ感動も大きい。それがポンコツ号のエンジンです。さすがに今はもう動きませんが、まだ持っていますよ」


●未知なるものこそ

琶湖の空は広い。そこに向かって飛び出すとき、僕はいつも何か新しいことに挑戦している。たとえば、リュビッシュ博士の地面効果という飛行の理論があります。地面すれすれに物体が飛行するとき、地面の影響で物体に揚力が発生する、というものです。琵琶湖で飛ぶときは、これが水面との間で発生するはずだと考えつきました。確かに、飛び出して機首を引き起こしたとき、背中を押されるような感覚がありましたからね」

1992年の第16回参加の愛機「浜燕」は、この理論を導入して製作した。この時は主翼がパラリと折れてしまい失敗だったが、以後改良を重ねた。

面効果は確かに実証されて、今は水面すれすれに滑空していてもまったく不安を感じません。条件さえよければどこまでも飛べる。自信ありますね。今回も400mは絶対固いと思っていました。失敗は、離陸時の風の読み違いです」

地面効果を応用した飛行法の導入は福森さんのアイディアで、今では鳥人間達の常識となった。こうした独得の発想が、厳しい予備審査を突破して15回もの出場を可能にする。

機体の製作過程では、設計時の考え方を修正せねばならない場合も多い。よく飛ぶためには、むしろそうした最終的な調整が大きな鍵を握るそうだ。

飛行機を作るとき、翼端をハサミで切っては調整して、一番よく飛ぶ形にしますよね。あれと同じ。いつも試行錯誤です。でも紙飛行機のように、作る時も飛ばす時も一人でっていうわけにはいきません。チームハマハマはだいぶ高齢化してきましたが、今年の雪辱戦はぜひやりたい。いい仲間と、心を一つにして目標に向かう。未知なるものこそすばらしい。そう思って、僕はいつも、前へ前へと進みたい」


2001年度
■鳥人間コンテスト選手権大会■
読売テレビ主催。1976年から毎年7月下旬に琵琶湖畔で開催。今年で25回目。現在は、滑空機部門、人力プロペラ部門、人力ヘリコプター部門(今年初)の3部門に分かれフライトを競う。今年の参加機は3部門で計44機。今回滑空部門優勝機の飛距離は417.49m。

競技は、高さ10mのプラットホームから湖に向け飛行する。離陸時の助走距離は10mで、主翼両端と尾翼を支える計3人のサポーターが認められている。


スタート直前の「浜燕」7型改。

琵琶湖の空を制覇した喜び
に勝るものはない。

プラットホームを背景にする
チーム・ハマハマのメンバー
たち。

水面効果で飛ぶ第22回優勝機

写真提供:福森啓太氏


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