1934年東京生。高校2年のとき学生航空連盟に所属、グライダーを始める。大学時代は、滑空大会での優勝経験も多い。卒業後は萩原滑空機製作所に就職。
H-22、H-23Cの製作に関わり、H-32設計では中心的存在であった。1967年(財)日本航空協会に入り、1999年10月に退職。この間の大半を、日本航空協会本部(新橋)と関宿滑空場長とを兼務し、航空スポーツ全般についての仕事に携わった。1968年に第1期・運輸省(現国土交通省)航空局・耐空検査員に就任、現在も活躍中。