「日本海軍制式機大鑑」 解説 =
秋本 実
All the Regular Formed Aircraft
in Japanese Navy
零式がゆく
・・・その壱・・・
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1940(昭和15)年・・・初飛行
Type 0 Primary Trainer Seaplane
Kawanishi
零式水上初歩練習機(K8K1) 川西
海軍最後の水上初歩練習機。昭和8(1933)年以来使われてきた九〇式水上練習機(K4Y1)に代わる新しい水上初歩練習機の整備を計画した海軍は、昭和12(1937)年3月1日に川西、日本飛行機、渡辺の3社に十二試初歩水上練習機の開発を命じた。
川西では浜田栄技師を主務者として12年5月に設計を開始し、13年7月6日に川西十二試初歩水上練習機(K8K1)の1号機を初飛行させた。
九〇式水上練習機の発達型とも言える複葉複座双浮舟式の水上機で、九〇式水練同様、翼は木製羽布張り、胴体は鋼管溶接の骨組に羽布張り、浮舟は金属製という構造で、九〇式水練と比較すると一回り小型で、自重は21kg少なかったが、その分、搭載量を増加したため、全備重量はほぼ同じであった。
発動機は指定された神風二型を装備していた。この発動機は、瓦斯電で開発した空冷星形7気筒式の発動機で、神風130馬力発動機と呼ばれていたが、昭和6(1931)年12月22日に神風発動機として制式採用になった。九〇式水練も、神風を搭載していたが、練習機用としては打ってつけの小型発動機で、陸軍の九五式三型練習機(キ17)も陸軍型のハ12を搭載していた。二型は磁石発電機の取付け方向を変更したもので、7(1932)年11月に登場した。
軍に領収されたのは13(1938)年8月で、飛行試験の結果、九〇式水練と比較して、最大速度が11.5kt、巡航速度が15kt、航続距離が156km向上し、高度3,000mまでの上昇時間は23′40″も短縮されていることが確認された。日飛や渡辺の十二試水基練と比べても性能が勝っており、操縦性や安定性の良さの点でも他を引き離していたという。
審査中、名称が川西十二試水上初歩練習機と改められていたが、垂直安定板等を改修ののち、15(1940)年6月11日、零式一号水上基本練習機一型(K8K1)という名称で制式採用となった。
その後、17(1942)年4月に名称は零式水上初歩練習機と改められたが、本機が登場したころには、第一線機の性能向上にともない、初歩訓練から九三式中練を使用するようになってきたため、初歩練習機は既存の九〇式水練だけで十分で、新しい機体を整備する必要性が薄れてしまっていた。このため、3機の試作機のほかに12機が生産されただけに終わった。終戦時の残存機は3機であった。 |
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▲これまでの九〇式水上初練にくらべると全面的に近代化されていた零式水上初歩練習機 |
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●零式水上初練(K8K1)
発動機 :名称 神風発動機二型、設計 瓦斯電、形式 空冷星形7気筒、公称出力130hp/S.L.、離昇出力160hp、基数1
プロペラn :木製2翅固定ピッチ式、直径2.40m
寸度 :全幅9.50m、全長8.802m、全高3.367m
面積 :主翼23.8u
重量 :自重719kg、搭載量267kg、全備重量990.6kg
燃料 :120L、滑油:11L
諸比 :翼面荷重42.0kg/u、馬力荷重7.6kg/hp
性能 :最大速度99.5kt(184km/h)/S.L.、巡航速度65kt(120km/h)、降着速度40kt(74km/h)、上昇時間3,000mまで5′40″、4,000mまで13′39″、実用上昇限度3,490m、航続距離326nm(604km)、航続時間4.6h
武装 :なし
乗員 :2名
データ出所 :海軍
●主要使用部隊:土浦空 |
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1940(昭和15)年・・・初飛行
Type Zero Carrier Fighter
<Zeke> Mitsubishi
零式艦上戦闘機一一型/
二一型(A6M2) 三菱
昭和15年夏から終戦まで日本海軍の主力戦闘機として活躍した零戦は、欠点もあったが、空戦性能が抜群で、速度、火力なども出現当時は艦上戦闘機の水準を超えており、第2次大戦の傑作機の一つにあげられている。
昭和12(1937)年5月19日、九六式艦戦の次期艦戦として十二試艦上戦闘機(A6M1)の名で三菱、中島の両社に計画要求書案が交付され、10月5日に正式の計画要求書が交付された(その後、13年に入り中島が開発を辞退したため、三菱の単独試作となった)。
要求の大要は、敵の軽戦闘機より優秀な空戦性能と敵攻撃機を捕捉撃滅できる能力を兼ね備え、掩護、迎撃の両任務に使用できる戦闘機で、性能は、最大速度:270kt以上(4,000m)、上昇力:3,000mまで3.5′以内、航続力(正規状態):公称馬力で1.2〜1.5h、同(過荷重状態):公称馬力で1.5〜2.5h、巡航で6h以上、離陸滑走距離:風速12m/sで79m以下、着陸速度:50kt以下で、96式2号1型艦戦に劣らない空戦性能を持ち、武装は20mm銃、7.7mm銃各2挺と30〜60kg爆弾2発という厳しいものであった。
三菱では堀越二郎技師を主務者として、重量と抵抗の軽減に特に力を入れ、定速式プロペラ、引込脚、胴体分割構造、水滴型密閉式風防、流線型落下増槽、クルシー無線帰投方位測定装置、ESD(超々ジュラルミン)などの採用、20mm機銃の翼内装備といった新しい試みを盛り込んで設計を進めた。発動機は金星も候補にあがっていたが、コンパクトな瑞星が選定された。
そして、14年3月16日に離昇出力780hpの瑞星一三型を搭載した1号機を完成した。4月1日に志摩勝三操縦士の手で初飛行に成功した1号機は、社内テストの結果にもとづいてプロペラ換装、昇降舵操縦装置の剛性低下、滑油冷却器の大型化などの小改修を実施したのち、9月14日に海軍に領収され、実験部の真木成一大尉の手で横須賀に空輸された。この間の飛行回数は119回、飛行時間は43時間26分に達していた。
1号機の経験にもとづいて改修された2号機(A6M1、10月18日初飛行)は10月25日に領収され、さらに翌15年1月23日には発動機を離昇出力940hpの栄一二型に換装した3号機(A6M2、14年12月28日初飛行)が領収された。A6M2はA6M1に比べ最大速度は13kt向上しており、審査中、2号機の空中分解事故(15年3月11日)などのトラブルが発生したが、改修ののち、15年7月24日、零式一号艦上戦闘機一型(A6M2、のちA6M2a)として制式採用となった。なお、名称は17年4月に零式艦上戦闘機一一型と改められた。生産数は増加試作機を含め64機。
一一型は翼端が折り畳めなかったが、母艦上での取扱いを便利にするため、67号機以降は両翼端を50cmだけ折り畳めるようにした。これがのちに零式艦上戦闘機二一型と呼ばれた零式一号艦上戦闘機二型(A6M2b)で、制式採用は15年12月4日。生産数は三菱で740機、中島で2,628機、合計3,368機である。
生産開始後も、改修が行われているが、最も苦心したのは補助翼修正舵と平衡重錘(マスバランス)関係で、突出型平衡重錘の廃止と復活、修正舵の採用と廃止が繰り返されている。このほか、剛性を増大するため主翼外板の強化も行われており、16年12月4日付で、三菱21号機以前の機体は主翼を二一型の後期生産型のものと換装し、三菱22〜266号機は外板の一部を張り替えることが指示されている。その後も、18(1943)年に酸素ビン増設(既製機全部)、燃料三方切換コック改修(中島製の一部)、19(1944)年に増槽導管補強(中島製の一部)等が実施された。
15年8月19日の重慶進攻(12空横山保大尉以下12機)が初陣で、9月13日の第4回目の出撃の際、進藤三郎大尉以下13機が重慶上空でイ15、イ16合わせて27機と交戦、初戦果を記録した。 |
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▲昭和15年夏以降中国大陸の空を制圧した12空の零式艦上戦闘機一一型(A6M2) |
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●零戦二一型(A6M2b)
発動機 :名称 栄発動機一二型(NK1C)、形式 空冷二重星形14気筒、公称出力950hp/4,200m、離昇出力940hp、基数1
プロペラ :名称 住友ハミルトンCS40B、型式 金属製定速3翅、直径2.90m
寸度 :全幅12.00m、全長9.060m、全高3.509m、主輪間隔3.50m
面積 :主翼22.438u、補助翼0.860×2u、フラップ0.746×2u、水平安定板1.493×2u、昇降舵0.4925×2u、垂直安定板0.926u、方向舵0.693u
重量 :自重1,680kg、搭載量730kg、全備重量(正規)2,410kg、同(過荷)2,674kg
燃料 :540L+330L、滑油:63.5L
諸比 :翼面荷重107kg/u、馬力荷重 2.54kg/hp、縦横比 6.24
性能 :最大速度288kt(533km/h)/高度4,550m、巡航速度170〜180kt(315〜333km/h)/高度4,700m、着陸速度64.5kt(119km/h)、上昇時間
高度6,000mまで7′27″、実用上昇限度10,080m、航続距離(正規)1,200nm(2,222km)、(増槽使用)1,891nm(3,502km)、離陸滑走距離198m
武装 :7.7mm固定銃×2(胴体)、20mm固定銃×2(翼内)、爆弾 30kgまたは60kg×2
乗員 :1名
データ出所 :三菱、海軍 |
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