ヘリコプター植物誌(1)

ヘリコプターの農薬散布は対象が植物である。そしてヘリコプターは農薬散布を離乳食にして育った。想像をたくましくするなら、ヘリコプターは農家へ里子に出された航空機である。エエトコのボンボンより貧乏人のワルガキと思ったほうがいい。やや型にはまらぬ航空機であるのは、育ちが通りいっぺんではないからだ。

農薬散布は植物に薬を掛けなければならないからどうしたって低く飛ぶ。そこに木や草や花があって、飛ぶ空はそういう近さなのである。もしヘリコプターが航空機の横紙破りであったとしても、草木のように心根は優しい。

木や草とはいいながら圧倒的に稲である。僕は稲を見ながら飛んだ。水面にそよぐ幼い稲、夏の日を浴びた旺盛な稲、たわわに波打つ黄金色の稲。パイロットであるよりも空中百姓であったと思っている。しかも古式豊か伝統的な弥生式の稲作百姓である。

この国の歴史は稲作の歴史だ。文化も文明も、どっかと稲作に根を下ろし、無意識界までも支配している。天皇が司祭し武家が統率し、民は豊穣を喜ぶ。つい昨日まで天下万民のほとんどが百姓だったのだ。肌の色、目や髪の色のように、逃れようもなく稲作農民の末裔と覚悟している。それが良くても悪くても、この国二千年の歴史である。

ヘリコプターの農薬散布は6月の半ばから始まる。田植えが済んで1ヶ月以上も経っているから、稲は青々としてまさに青田だ。もう水面は見えない。まだ梅雨が終わっていないから、飛ぶのは曇り空の日が多い。もちろん雨が降っていれば散布は中止だが、降りそうで降らないときが難しい。

薬の効果は撒いてから3時間が勝負だ。よんどなければ1時間でいい。とにかく効果があったと判断するにはしばらく雨が降っては困る。

散布には適期というのがある。稲も生き物、虫やウイルスも生き物、だから適期を外すと効果は落ちる。悪くすれば効果は無い。地元の人も今日でケリを付けたい。明日は違う予定になっているのだ。祭りであれば気もそぞろ。そして世の中いつもそうなのだが、雨が降りそうなときは適期ギリギリときている。

ローカルもローカル、それこそ5キロ四方の天候判断なんて誰も教えてくれない。度胸の天候判断なんてパイロットの仕事でないと思ったら、農薬散布は不適格だ。農薬散布が始まったばかりの頃は、パイロットの判断がすべてだった。「やろう」と言えばやったし、「やめ」と言えばお終いだ。文句も出ないで統制が取れていた。

その頃の散布は稲の上3メートルが正規である。薬はマラソンという水銀剤、淡いピンクの200メッシュほどの細かい粉だ。

3メートルのダウンウオッシュは強い。機体が通り過ぎると稲の畝が割れ、薬は根元まで届く。しばらく稲は気流に揉まれるが、盛んな稲はすぐ立って、薬を葉の下に閉じこめる。まるで青田が薬を飲んでしまったようだ。はぐれた薬がわずか航跡に残る。

パイロットにとっての稲は、伸ばせば手の届く近さにあった。広い障害物のない田では1メートルで走って鎮守の森で反転する。社殿の西に杉の老木があって、見えない軸が天に向かって伸びている。ヘリコプターはそこを中心に回っているに違いない。勝手にそう思う。晴れた日ならばきっと、バンクしたローターが陽を跳ね返し、キラキラさざめいているだろう。

飛ぶ高度が3メートルだから線にぶつかる。ぶつかるから事故になる。したがって8メートルでなければいけない。誰かがそう言って8メートルが規準になった。それでもぶつかる。そのうち10メートルになり15メートルになり今ではもっと高い。

15メートルではダウンウオッシュが根元に貫入する勢いはない。稲の葉の先端で軽くバウンスし、ストークスの式に従ってゆっくり葉に降りかかる。もし風があれば、風に乗って彼方に運ばれる。沈む速度は秒速センチのオーダーだ。どこまで流れるかパイロットだって分からない。

稲が遠くなる。しかし15メートルの高度が高いの低いのといっても、航空機の高さではない。最低安全高度は150メートルなのだ。問題外も外の外、軽業興業の高度である。

八郎潟で湛水直播きで稲を作った。水を張った田に発芽した籾を撒く。もちろんヘリコプターで撒くのである。稲が株立ちし、しかも列を作っているのはまったく不自然なことだと知ったのはこの八郎潟だ。

稲はイネ科の植物である。野放しならヒエなど雑草と同じなのは当然だ。横にはばかって伸びるのには驚いた。穂を孕んでなければとても稲とは思えない。先入観念があって、畝を作り真っ直ぐ上に伸びると思っていたから心底びっくりした。

種籾は発芽させ粒剤散布装置で撒く。発芽したといってもほんの膨らんだ程度で撒くのだが、雨で飛べないハプニングもある。

ある年3日続きの雨で、「今日もダメですね」といったら課長さんが困った顔だ。「芽が」という。優しい課長さんで無茶は言わない。一緒に籾を見に行って慌てた。まるでモヤシ。これは大変である。雨も何のその、懸命に撒いたが設計した速度も諸元も無茶苦茶だ。なにしろ絡み合って、まともに装置から出てくれないのだから冷や汗である。次の年から雨でも何でも撒いた。モヤシにはかなわない。

そのとき思い当たった。笠を被り蓑を着て先祖たちは、雨の中、揃って田植えをしたではないか。早乙女はモスソ濡らさねば絵にならない。

籾はランダムに落ちるから列にはならない。苗を泥に挿すのでないから、真っ直ぐには株立ちしない。まるで雑草のように横に繁茂する。ははあなるほど、われわれは躾けられ管理された稲しか知らないのだ。青田を見て、自然を感じるなど笑止の沙汰なのである。あれは二千年の人工の結果なのである。

稲はランダムに活着するから撒いた後は田に入れない。田の草取りもできない。だから除草もヘリコプターがする。たぶん営々と築いた農業からすれば、勘弁できない仕業だろう。肝心カナメが取り上げられて、農家の人は手を腰に眺めているしか仕方ないのだ。額に汗しなければ稲作をした気にもなれないし、誇りも持てない。そんな気も知るや知らずやヘリコプターは、初夏の爽やかな空を元気に飛ぶ。

稲の病気にはイモチとか縞葉枯病などがある。特にイモチは大敵だ。ヘリコプターからイモチに罹った稲はすぐ分かる。沢の奥や曲がり角など、風が通らぬ場所は要注意。

見付けると重点的に薬を入れ、ヘリポートに帰ってきて責任者に告げる。大抵は農業普及員もびっくりする。まだイモチの報告が無いからだ。慌ててバイクで駆けつけたりもする。イモチは伝染するから補正散布で、周辺の田にも念入りに撒く。こんな時、いくらか散布量が増えても文句は言われない。