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総選挙の結果が出た10日、読売新聞の夕刊見出しは「どっちが勝ったの?」であった。与党3党の獲得したのは275議席であり半数240議席を上回っている。自民党にしてみれば、解散時の議席から10落としたものの安定多数を占めたのだから勝ちである。まして「政権選択選挙」だと主張してきたのだから明らかに勝ちである。さりとて挑戦した民主党にしてみれば、40議席も増え177議席となったのだから勝ったと言いたい。 さて新聞である。状況をどう解釈するのだろう。たぶん両者のどちらにも軍配を上げられず、やむをえないから「どっちが勝ったの?」と疑問符をつけてお茶を濁しように見える。 ■目線の高さ さざ波や打ち寄せる波は見える。うねりも見えるだろう。しかし潮となると目には見えない。感覚で見ることを「見」といい、知性で見ることを「観」とすれば、さざ波は見ることになる。少し知恵を働かせ、高台に登りうねりを観ることもできる。 海峡で潮を観ることはできるかもしれない。しかし大洋の岸に立って潮を観ることは難しい。潮はこころで看ることになる。感覚でみることを「見」とし、知性でみるのを「観」とする。そうして心でみることを「看」と仮に名付ける。見・観・看は視点の置きようだ。 変革は階段状になり、変革の前に「空気が変わる」。元の「空気」を変えたくない人たちが頑強に逆らう。その戦いが困難なのだ。そして空気が変われば旧守派は嘘のように消える。だから変革は階段状になるのだ。 今度の選挙を自民党と民主党の戦いと見るのは目線が低い。うねりと観るのも適当ではないだろう。見・観の視点からすれば「どちらが勝ったのか?」と聞きたくなるのは当然である。 総選挙は変革の階段を登ろうとするものと、階段なんか無視したい人たちの争いであった。本当は自民党と民主党の争いではない。いかにもそう見えただけである。 ■本当の敗者 本当の敗者は旧守派である。そして誰の目にも目に見えた旧守派は社民党と共産党であった。10年1日のように古ぼけた主張を掲げ、あくまでも階段の向こう側にいようと頑張っている。選挙に破れたのはタイミングや手法に間違いがあった、と見当はずれも甚だしい。 旧守派は何も野党の中にあるばかりではない。与党の中にもはっきりと旧守派はいる。変革に反対し、階段の向こうの基準が崩壊するのを全力で止めようとしている人たちだ。抵抗勢力と呼ばれた一群の人たちで、自民党橋本派、亀井派、堀内派がそうであった。 橋本派は12議席を失った。社民党の失った議席数と同じである。解散前が59席、社民党の18席に較べれば3倍以上だから、社民党よりダメージは小さかったといえるだろう。亀井派も11議席を失った。共産党の失った議席数と同じである。堀内派が6席で、自民党抵抗勢力旧守派の失った議席数は29に達する。 脇にそれるが、もし付け加えるとすると自民党は本来が連立党である。橋本派というけれど、ありようは公平分配自民党と自分では呼びたいだろうし、森派は本家自民党と言いたいだろう。自民党を一党など考えるほうがおかしい。連合の絆は時に応じて緩くなったりきつくなったする。軟体動物のように柔軟なのだ。 ■勝ったのは小泉総理 選挙で勝ったのは改革派である。絞れば小泉総理だろう。自党内の反対勢力を29名も処分し、なお単独過半数を確保し、与党全体で安定多数を勝ち取った。時局は急を告げているから背負うものは大きいが、ためらうことはないだろう。 民主党の中にも旧守派は相当紛れ込んでいるはずだ。どうしたら彼らを見つけ出せるか今のところ方法論がない。かなり油断ができない手合いがひそんでいるだろうと思うと、とても政権を委ねる気にはならない。素直に勝たせることができないのである。 とにもかくにも変革者は権力側から出る。選挙に勝ったのが小泉総理であってみれば、変革は法則にのったものである。施策に紆余曲折はあっても、それほど大きな間違いはないだろう。 |
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