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この国の歴史を眺めると、いくつか大きな変革の時があった。そして奇妙なことに、変革には「変革の法則」とも呼べる一定の形がある。大化の改新もそうだったし、鎌倉幕府の成立のときもそうだった。室町幕府、徳川幕府、明治維新も例外ではない。 ■変革は階段状 変革が常に階段状になり、まず変革の前に「空気が変わる」ことが要件だ。「空気」が変わらないのに変革の具体策を出しても意味を成さない。 空気が変われば昨日(自民党抵抗勢力)までが嘘のように一瀉千里で消える。そして具体策(マニフェスト)が「空気に沿って」迸る。したがって変革は階段状になるのだ。 いま社会は変革の予兆に満ちている。なぜなら小泉内閣がしたことは「空気を変えた」ことだったからだ。自民党総裁選が「空気」の山場であった。だから具体的な実績に乏しいという批判は、「変革の法則」が分からぬ輩の言葉だと思う。 総選挙は十分に「空気が変わった」と言うのか、あるいはもう一押し必要だと言うのかの違いなのだと思う。しかし多くの議論は、「空気」の重要性を認識していないように見える。とくにマスコミは歴史を知らない。 各党のマニフェストは「空気の存在」を忘れさせるし、ひょっとすると知らない者の提案にも見える。もし知っていて階段を登りきったという評価なら安堵もするが、階段の存在さえ知らないとすれば、そんな党に将来を委ねることはできない。 ■変革者の法則 この国で変革をもたらした者は常に体制側にいたということを知っておくべきだ。いかにもその時の「反体制側」が変革したように思う。ヨーロッパでも中国でもそのために変革を革命と言う。しかしこの国での変革者は「体制の下層階級」か「体制内の異端者」である。したがって変革を維新と言い、これが第2の「変革の法則」なのである。 大化の改新を成し遂げた中大兄皇子は、まさに天皇家の血統であり改新の後に天智天 鎌倉幕府を成立させた武士階級は令外の官であったが、れっきとした体制の下層であった。北面の武士は令外でさえない。しかし体制の下層が永く、鬱積した欲望が爆発して貴族社会を破壊した。変革は階段になっている。 室町幕府は変革者が体制内にあったことを端的に示す例だ。鎌倉幕府を倒したのは反体制派後醍醐天皇のように見えるが、体制内にいた足利尊氏の存在なくしては成立しない。尊氏は鎌倉幕府の御家人だし変革の立役者だった。建武の新政があえなく潰れたのは「変革の第2法則」に反していたからだ。後醍醐天皇は尊氏を低く見ていた。そして室町幕府が成立した。 近世を呼び寄せた織田信長の改革も、織田家が室町幕府統治体制の末端にいたことを思い出せばいい。決して武士階級の外にいたわけではない。豊臣家にしても徳川家にしても同じである。 明治維新は日本型変革の典型になった。永い間権力を握ってきた武士階級を瓦解させたのは当の武士階級であった。手品のようなパラドックスが進行し、権力に遠い薩摩、長州、肥後のそれも下層武士階級が変革を成し遂げた。武士を倒したのが農民の蜂起でもなければ商人の叛乱でもないところが日本の由縁である。 なぜ変革に法則が生まれるのかについて理屈を並べるときりがない。短く答えるとすれば、万世一系の天皇、古都の奈良や京都、法隆寺、正倉院御物と通じる精神である。この国、本質的に変化は望まない。どうしても変革しなければならなくなったときも、完全に切れることは好まないのだ。 今度の総選挙は「変革」のための選挙である。真に変革が成就するためには、歴史が示す「変革の法則」に沿うだろう。あるいは建武の新政が起きるかもしれないが、いずれ権力は体制内変革者の手の中に落ちていくだろう。2大政党論も同じ文脈になければならない。 |
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