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自民党の総裁選挙が世間を賑わせていたとき、形勢不利と見た元幹事長が「毒ダンゴ」のセリフを吐いてマスコミを喜ばせた。言った人も人だが、飛びついたマスコミもマスコミである。時は衆議院の解散を避けられそうも無かったから、名付けて「毒ダンゴ選挙だ」とはしゃいだテレビ局もあった。 民主党と自由党が合従連衡して自民党と拮抗するかに見え、大見得を切ってマニフェストなるものを広げたら、一つの党の派閥次元の騒動をあっという間に飛び越えた。時は急流になっている。あれほど騒いでいたマスコミは、もう「毒ダンゴ」の「毒」さえ言わない。有名だった元幹事長の名前さえ忘れ去られたようである。わずか1ケ月しかたたないのに、未来予測も見識も無かったのだろうと笑止に耐えない。 ■マニフェスト 俄かに横文字を持ってこられたら気分が変わるのは情けないが、それで動くのがこの国のレベルなのである。「政権公約」と言っておけば済むものを、言い換えたい人は横文字で何だか分からなくしたいのだろう。でも今では、一人歩きして「マニフェスト」なるもの無しでは選挙は語れぬ具合になっている。 横文字をやめようなど言う大合唱は頭からなくなっていて、言い出したあの人の顔を思い出すと、言っていることと腹の中はまるで違うのではないかと信用ができぬ。それともあの人は、横文字賛成派なのかも知れない。どっちにしてもいま必要な解決策は、知性(マニフェスト)の問題ではなく、胆の問題なのだと思うのだが。 例えば消費税である。自民党も民主党も、78%の立候補者は税率を上げなければならないと言っている。国家が成り立たないのだ。しかし自民党の総裁は、任期の期間は税率を上げないと公約している。上げる前に、何が何でも歳出を削るぞと胆が決まっているのだ。較べて民主党は税率を上げると言っている。到達するところは同じでも、胆の据わり方が違うように見える。 天邪鬼はやめよう。某新聞が面白いアンケートを実施した。衆議院選挙を前に、立候補予定者約1,200人を対象にアンケート調査をして1,082人から回答があったそうだ。回答率は90%ということになる。結果の分析よりもまずこれが面白い。これから立候補しようとする人には、マニフェストなる文字を無視できない。選挙は「毒ダンゴ」などとっくの昔にすっ飛んで、既に「マニフェスト選挙」になっている。 アンケートでは、所属する政党と自分の意見が異なったとき、対応はどうするのか聞いたそうだ。設問は意地が悪いのか適切なのか、この答えがまた面白い。「マニフェストに反する主張はしない」と答えた人は全体で43%、「納得できない項目は自らの考えを主張する」と答えた人は48%あったそうである。 これを政党別に見ると、自民党は12%が従い、民主党は44%が従うと答えたらしい。共産党は81%、公明党が55%だったという。新聞の書き方はマニフェストの軽さを皮肉ったり、従わないのは悪であるかのような雰囲気だ。まあ何がマニフェストだと言いたくなる気持ちは分かる。そして自民党が最悪だといわんばかりなのも笑える。 事態を最も素直に解釈するとすれば北朝鮮やナチス、大政翼賛会を目に浮かべればいい。もし統計があって、それを分析できるなら、従う回答は果てしなく100%に近いに相違ない。マスコミは嬉しがっても鉄の団結は恐ろしいものだ。共産党が81%だから素晴らしいとは夢にも思わない。かつて一党独裁を主張していた党だから、北朝鮮と似たアンケート回答になるのは頷ける。 アンケート調査をすれば、政権を取らせたくない政党にいつも共産党が入る。国民は分かっている。原理は同じなのだと思う。マニフェストに従う人が多い党は油断がならない。それよりは政権を委ねたくないバロメーターと考えるのが健康なのだ。 民主党の44%を考えると、この党が置かれている現在の立場や焦りが気になる。まだ政権政党には遠いのではないかと思ったりもする。 興味が尽きないのが「郵政民営化」と「道路公団の民営化」である。問題は小さいのだと言われると唖然とする。要は政治家と官僚の戦いなのである。政治家が勝つということは、国民が官僚の手から解放されることに他ならない。問題が小さいなど言う人の頭脳の中を見てみたいと思う。「森を見る人山を見ず」という諺があるが、まさにその通りなのだろう。政治を官僚の手から取り返すのがどれほどの努力が要るか、道路公団総裁解任一つを見ても分かろうというものだ。ここはやはり知性でなく、やりぬく胆の問題なのだ。 ■歴史の転換点 この国の歴史は階段状に変化する。そして今が、明治維新にも匹敵する大変換点であると思う。それをこの目で見、この耳で聴くことができるのは胸躍ることである。 今度の衆議院選挙は転換点を曲がりきれるかどうかの切所になるだろう。自らが新しい針路に一票を投じられるかと思うとワクワクしてくる。棄権する人も多いだろうが、こんな面白い場面はそうざらにあるものではない。 この国、歴史は段になって変わるが、決まった形があってまず空気が変わる。そして空気にふさわしいシステムが出来上がっていく。まず不可逆な空気の転換が必要なのだ。空気に言及せず、明日にふさわしいシステム(マニフェスト)の優劣を考えても何の役にも立たない。 明治維新は尊皇攘夷が叫ばれた。だがそれは徳川幕藩体制をひっくり返すための方便に過ぎない。維新の志士たちが命がけで奔走したのは空気を変えるためであった。歴史が旋回するとき、掲げたスローガン(マニフェスト)の良し悪しを詮議しても何の役にも立たない。事が成就すると攘夷などあっという間に反故になった。 自民党総裁が主張する政権公約は欠点が多い。にもかかわらず、空気を変えることがこの国の真理であることを多くの人が知っているように見える。 変化が段になるのは新しいシステムを外から輸入せざるを得なかったためだ。押し付けられて変わらざるを得ないから、それまで横着を決め込む。勢い変化は急激で振幅も大きい。どうしても段になる。 しかし今回は、歴史初めて自分たちの手で変化に対応しなければならない時を迎えた。うまくやれるかやれないか。それを占う選挙が行われようとしている。知性に働くか、空気の跳躍を選ぶか、歴史に残る選択が行われようとしている。 |
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