宮田 NOW
M-I-Y-A-T-A ・ N-O-W
09.06/2003

秋田に無明舎という出版会社がある。つてがあってエッセー「ヘリコプター物語」をここから出した。

校正が終わった頃この会社が出版目録を送ってきた。いきなり目に付いたのが「あきた夜這い物語」だ。続があって続々がある。ほかに春本あきた音頭、艶本あきた音頭、裏本あきた音頭というのがあった。ほっほうと思った。

その昔、小さな運航所が間借りしていたのは秋田共済連であった。キョウサイの連想が良くないが、正式には秋田県農業共済組合連合会といって、稲作の保険組合である。不作だったときに戻し金があって飢えることが無いようにしている。ヘリコプターは不作にならない手伝いなのだ。

共済連の奥に畳敷きの部屋があって、夕方になると仕事を終えた男衆が集まってくる。不思議と酒が出てきて誰かが三味線を鳴らし始める。押入れから太鼓が出てくるし鉦も出てくる。出て来方が自然で、あたかも湧いて来るようである。

秋田は民謡の宝庫だ。美声の持ち主が歌い三味と太鼓に鉦が囃す。無芸な東京人は笑いながら杯を重ねる。途中から必ず「あきた音頭」になり舞手が現れる。

あきた音頭は「渤海楽」の名残だそうだ。なるほど海の向こうの騎馬民族の香りがする。調子も音程も純然たる日本風とはちょっと掛け離れていて、陽気で迫力があり思わず踊りだしたくなる。囃し文句も何のことか分からない。ヤートセー ヨーイヤナァー キッタガサッサー ドンである。

「渤海楽」は明笛、太鼓、摺り金の囃しに乗って足で地を踏み鳴らして踊るのだそうだ。察するに胡旋舞なのだ。まさに共済連の奥座敷の風景である。

資料には渤海楽は西暦773年に伝わったと書いてあるらしい。渤海使鳥須仏が来朝したとき、日本人の内雄という人が渤海に渡り学んだのだそうである。数人が先立になり男女が唱和して回旋円転する。

あきた夜這い物語のつもりが秋田音頭になってしまったが、この音頭の替え歌はそれこそ夜這いそのものである。物語と銘うった本よりもこっちのほうがはるかに気に入った。

夜這いの方法は「若衆宿」で先輩から教えられる。なん百年も地域に伝えられている秘伝だから、コツを身につけて磨きをかければ万に一つの失敗も無い。そう信じ込まないととても夜這いなどできない。度胸と智慧と運動神経と体力が要るのである。

夜這いはひとりで女のところに忍び込むと思ったら大間違いだ。相手の女の協力がなければ叶わぬことなのである。娘の寝ているところや親兄弟の寝場所など、こっちは分かっていないから、無闇に夜這いをかければ失敗するに決まっている。(と書いてある。経験がないから本当は知らない)

だから夜這いの経験が無い男が処女に声をかけ、示し合わせて忍び込むなどは不可能だ。やはり最初は年上の経験を積んだ女に手ほどきを受ける。ときには後家や人妻から誘われる場合もある。なにごとも練習が大切なのだ。

たとえば新人夜這いの主を与平としよう。与平は先輩が段取りしてくれた年上の娘が最初だった。相手は手広く繁盛しているカラダのいい女で、そのため先輩とは兄弟になった。村の若衆の絆はそれで強くなる。

先輩の手引きでオンナが「いいよ」と頷いてくれた。時間と入り込む場所を決め、約束の時刻に約束の場所の雨戸に乾いた砂を掛ける。ここまでを先輩がやってくれ、雨戸が「さあ」と密かな音を立てる。

「うまくやれ」そう囁いて先輩が闇に消えたときは、心臓が飛び出すほど高鳴り、体が震えてならなかった。合図を待っていたオンナがそっと戸を開ける。

恥ずかしながらあっという間に果ててしまいうろたえた。それでもすぐ2度目ができて相手に褒められた。ヨカッタのだろう次の約束をさせられたのだから手柄だと思う。急に大人になった気分がした。

美風か悪風か分からぬけれど、若衆宿が消えてこの国、ある部分がポンと欠け落ちた。

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