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普段は話をしたことがない伯父だが、 ●その一 グールドという古生物学者がいた。専門の道での評価は知らないが、エッセイストとしては超一流で、卓越した進化論者でもあった。歳は伯父より1歳若かったのだが、惜しいことにこの春に世を去っている。今回の入院でも「フラミンゴの微笑(上下)」を持ってきた。 グールドは古典的なダーウイン派を宣言して恥じない。今なお新しいことを立証し素晴らしいエッセイを書く。取り上げるテーマが奇想天外で、比喩も警抜だ。思わず唸ってしまう。 そんなひとつが「パンダの親指」である。人類のほか、親指が他の4本の指と違う方向に折れ曲げることができるのはパンダしか無いらしい。 人類が文明を作れたのは、違う方向に曲げられる親指を持ったためである。棍棒を握りそれが石斧になり、精妙な石器や土器を作った。もし親指が他の指と同じ方向にしか曲げられなかったら、チンパンジーの域を越えられないであろう。 結局「パンダの親指」は人類と似てはいるが非なるものとグールドは証明し、だから文明を作ることはできないと説明する。 ●その二 グールドが古典的なダーウイン派を自認するのは、自然淘汰と同じように、強く性淘汰を唱えるからである。種が進化する中で、性淘汰がどうはたらくのか、話題はエッセイ随所に鏤められている。価値ある「牡」を選ぶため、種が築き上げた文化だからである。 有史以来何億年か、生物にとっての最大のテーマは生存を継続させることであった。いかにそれが困難で、自然淘汰に耐え、だから性淘汰に耐えなければならぬかを立証する。2,600万年のインターバルで大絶滅が起き、生物は今でもそれを乗り越えようと、変わらぬ涙ぐましい努力をしているのである。性淘汰はいささか盲目的ではあるが、生き残りの種を生み出す懸命な手法なのである。 かつてエボラ熱が文明を脅かしたことがあった。ウイルスに犯されたものは次々に倒れ、蔓延を止める手段は無いかに見えた。ところがその渦中にあって、8人の看護婦さんは最後まで健闘したのである。後の研究で8人は生まれながらに免疫を持っていたことが分かり、医学会に衝撃を与えた。彼女らは淘汰に耐えるDNAを持っていたのだ。 ●その三 この50年生活が急に楽になった結果、妙な思考が蔓延って、快適に生きることが生存を継続するより価値があるみたいに言う。聞いていると成る程と思うこともあるのだが、進化論的時間のスパンで考えてみれば、直ぐにそれは「目くらまし」とわかる。信じた者は生存不適格者で、淘汰の敗者になること請け合いだからである。 なぜ奇妙な思想が紛れ込んできたかも容易に推測ができる。戦後チューインガムやチョコレートと共に、「愛」はハリウッドB級映画と三文アメリカ小説で輸入された。もともと仏教用語にも文字にも「愛」はあったから、敗戦に疲れていた人々はこれこれとばかりに飛びついのだ。 本来日本にも「愛」の概念があったと信じて疑わなかった。しかし一部仏教思索者の観念的な思想にあったのみで実態は探しても無い。それをそうだそうだと思い込むのが、この民族の悪い癖だ。何かみつけると喜んで思考停止する。 「愛」はキリスト教の土台であり抽象的だが堅固な文化なのだ。駅前での布教を聞いて貴君はどう思うだろう。多くの日本人は生理的に不快の念を持つし「キリストの愛」が嘘臭いと思うのだ。根源的に「愛」が分かる筈が無いのである。「愛があるから大丈夫なの」は歌の世界のこと、「愛」で結びついたら二人なら、実体が無い情念で結びついたのだから、成田離婚も当たり前である。 「愛は地球を救う」という24時間テレビがあるが、いかにも知性も思慮にも乏しいオジサンやオネーサンが、やたら「愛」を口にする。見ていると蕁麻疹ができそうですぐにチャンネルを回す。日本の「愛」は蜃気楼のようなものだ。文化に根っこが無いのである。 「愛」なぞに頼っていては性淘汰には耐えられず、敗者になることはまず間違いが無い。 ●その四 この世に生を受け、男がしなければならないことが二つある。一つは「仕事に惚れること」、もう一つが「女に惚れること」である。「愛」なぞ薄っぺらなものは関係が無い。大切なことは「惚れる」ことである。 「惚れる」ことは造作が無い。観念でなく行為で決まる。「自己納得もしくは自己暗示」が手段だ。妥協は強固な骨の太い自己さえあればすぐにできる。「惚れる仕事を探す」などは精神がヤワだからの台詞である。「過度にのめり込めば必ずその仕事が好き」になり、誇りを持てるようになるのが人間なのだ。 職人の多くはその仕事が嫌いであった。しかし親方に首根っこ押さえられ遮二無二しごかれ、気が付いてみたら「惚れていた」。これが「惚れる」実態である。すでに天職となり、誇りの泉源であり人間国宝になったりもする。「惚れる」ことは自己が確立していれば造作が無い。 ●その五 性淘汰における選択の主体はメスにある。鳥でも魚でも獣でも原理は同じだ。人間とても例外ではない。ところが大きな誤解があって、男が女を選ぶと勘違いしている人たちが多い。 闘争と戦乱の世の中があって、種族が生き残るためには膂力の優れたオトコを優先させなければならない歴史があった。本能片輪の時代である。男優先の社会は片輪なのである。 平和な時代が来れば選定の基準はすぐに戻り、女が男を選ぶ時代になる。それを忘れてはいけない。女に選ばれないということは、「男としての魅力が無い」からである。並み以下の欠陥男を意識するべきだ。そしてこれを克服する手段が「女に惚れる」ことである。何としても「こちらを向かせる努力」はしなければならない。気取っていても女は振り向いてくれないし、ますますもって「魅力の無い男」になってしまう。 それから母親などは糞食らえである。逆立ちしても母親は自分の子を産んではくれない。何を言われても柳に風と受け流し、気にしては「女に惚れること」はできない。 ●その六 いまの時代は面白い。おそらく思想も文化も社会構造も、人類の歴史始まって以来の大変革を遂げているのだろうと思う。日本も荒波に洗われ、もろもろが大淘汰に晒されている。結婚しない女、子供を産まない女がやたら増えているのもその一つだろう。 嘆く人も多いが伯父は結構なことだと思っている。性淘汰の主体は女であるが、神はそれだけ過酷な条件を与えた。彼女らの出産適齢期は35歳までだ。リスク覚悟でも40歳だろう。昔流に言えば「血」今風にいえばDNAだが、「残さなくていい血」として冷酷で仮借の無い淘汰の対象になり、100年後には確実に彼女らの「血」は絶える。 テレビを見ていると、「ウガンダの肝っ魂母さん」とか、「めげないフィッリピン母さん」が登場する。「あねさん被りのヨークシャの嫁さん」もいるし「金髪碧眼の婿さん」も居る。「猛然と血が入れ替わっている」、「この列島は縄文以来血を変えながら歴史を繰り返してきた」、そう思うとうきうきとする。 栓も無いことを書いたが教訓とか忠告のつもりはない。「淘汰の敗者となる勿れ」、伯父が甥たちにした明らかに脅迫なのである。奮起しなければ50年後は無い。 |
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