宮田 NOW
M-I-Y-A-T-A ・ N-O-W
08.10/2003

代々木のDMBパイロット・スクールというところで顧問をやっている。スクールには色々な人が集まってきていて面白い。たいがいは若い人で、若い人に興味があり話しかけたいからと時間を貰い、勝手な熱を吹いている。

聞きようによっては勝手な熱だと思うのだが、本人はかなり真面目に喋っているつもりだ。ただ当節あまり流行らない理屈と意識しているので、いささか謙遜して勝手な熱と言うことにしている。もちろんだからと言って節を曲げる気はさらさら無い。

最初に喋るのが「学習」についてだ。操縦の勉強をしにきたのだし、ベテランと紹介された教官が、いきなり国語の講義だから驚く。鳩が豆鉄砲を食らったような顔がおかしい。わざわざ講義の時間を作ってもらった甲斐がある。

学の本字は「學」である。祭壇の前に額づく子供の象形だそうだ。

祭祀には複雑な手順があり、その手順を間違いなく覚え、厳かに行えるようになるには大いに勉強しなければならない。東洋において、祖先を祭る儀式は荘重なのだ。式次第を覚えるために使うのは大脳である。したがって学の本質は「大脳」なのである。

それに対して「習」は羽根を広げた幼鳥の象形だ。羽根を打ち振り巣立ちの練習をしている。もし鷲の子なら、習に失敗して木から落ちれば命が無い。もしアホウドリの子だったらテレビで見たかもしれない。失敗して転び、失敗して転ぶ。習は「体」で「反復」して覚えなければならない。

習という字はまさに飛ぶためにある。

習の白は雛の胴体だと思うのだが、習うとき己を空しくして懸命に努力しなければならない。本当は違うと思うのだが、白をその象形と思え、そう言って胸を張る。柳生新陰流が「さとり」は心が空しくなったときに生まれると言うのと同じなのだ。柔道が乱取りをするのも同じ原理だ。習うためには知性(大脳)を殺さなければならない。

代々木には有名な予備校がある。学習塾だ。街は予備校生でいっぱいだし、東大合格何人と看板が誇っている。そんな街だ。

何人かの若い人たちを前にして「あれは嘘だ」と半身になる。あれは学塾であって習にふさわしいことは何もしてない。世は挙げて偏差値を追い、学にいそしむけれど習をないがしろにしている。きっと報いを受けるだろう。大脳は身体の部分であることを思い出さなければならない。主客を転倒して罰を受けないはずは無い。

長崎幼児殺人とか、少年犯罪の激増は「報い」がストレートに出ていて気味が悪いくらいだ。対策があさってに向かうとすれば転倒はまだ続くのだろう。苦痛に耐え切れなくなるまで、さてどれだけの時間がかかるのかなぁ。

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