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●奇襲
ギルバート諸島が反撃を受けたのは昭和18(1943)年11月19日であった。正規空母6隻、軽空母5隻の襲撃を受けた。けれども日本海軍はその全容をつかめなかった。
ついでマーシャル諸島が襲われた。昭和19年1月30日である。ギルバートから2ヵ月半の後だ。このときも押し寄せたのは正規空母6隻、軽空母6隻で搭載機は700機、守備の日本勢は85機、鎧袖一触であった。
アメリカ海軍の作戦インターバルからすれば、トラックはまだ襲われないと思っていたのだろう。あるいは準備ができていないので、自分の都合から相手の出方を考えなかったのかもしれない。
それでも2月の4日にB-24の偵察があり、危険を感じた連合艦隊本隊は、2月10日にトラックを撤収した。残されたのは本来トラック守備担当であった第4艦隊と第4根拠地隊、陸軍の第52師団と独立混成第51旅団である。基地のトラック島を失って勝負があるのだろうか。飛車が逃げ回る下手な将棋のようである。
そんな事態になっても統一された指揮系統は無く、強力なアメリカ軍を迎え撃つ態勢にはなっていない。陸軍は陸軍、海軍は海軍の縦割りなのだ。
マーシャルを襲ったスプルーアンスの機動部隊は、ほとんど手傷も負わなかったから余力がある。トラック島攻撃は5月の予定だったが、繰り上げて作戦することになった。2月12日メジュロ環礁を出撃する。
こんな想像をする。
提督スプルーアンスは考えている。15日にレーダーは長距離索敵機2機を捉えた。危険なほど接近したので戦闘機を発進させて撃墜したが、きっと明日は近距離索敵機が来る。しかし日本の索敵パターンからすれば450カイリを保っていれば見つかることは無いだろう。
16日になった。早朝0600、想像通りレーダーが索敵機天山艦攻の機影を捉えた。固唾を飲んで見守るエコーは400カイリの扇形索敵線に沿って飛び、0700にはトラック方向に消えた。第2段が来るかもしれないからしばらくこの位置に居よう。
1600が過ぎたが次の索敵機は見えない。よし全艦25ノットの戦速前進だ。1700まで接触が無ければ奇襲は成功する。もし第2段の索敵機が来たら、護衛軽空母4艦から戦闘機を緊急発進させ、「敵艦見ユ」を発信する前に撃墜しよう。
日没になった。ついに索敵機は来なかった。これで明日早朝の奇襲は間違い無かろう。
トラックの第4艦隊は無線を聞き、まだ索敵機天山艦攻が帰投してない0800、第1警戒配備を解いて第2配備とし、1030には平常勤務に戻した。司令も幕僚も、おそろしいほどのマニュアル人間だ。官僚以外の何者でもない。第1段早朝索敵で敵を発見できなかったことの意味をまるで考えていない。居ないと決め付けている。
トラック島が襲われたとき、機銃弾を積んでない戦闘機もあったし、外出して操縦士もろくに居なかった。太平洋戦争が物量に負けたとは言い訳に過ぎない。
●南洋拠点
1920年、国際連盟から南洋諸島の統治を委託された。委託条件で非武装化されたけれど、1933年連盟を脱退して中核トラック諸島の要塞化が始まった。南方への進出と防御の拠点である。特にアメリカから資源を断たれてからは重要性が大きい。これを守るために、南にラバウル、東にマーシャル・ギルバートを前進基地とした。
そもそも太平洋戦争の直接原因は、アメリカの石油禁輸措置である。今でも論議を呼んでいる経済制裁なのだ。合理的に行動するなら譲歩は止むを得ないところだが、日本は乾坤一擲の戦争に訴え、代わりに南方の油田を押さえにかかったのである。したがってトラック諸島の確保は戦争目的のキーポイントだ。
だがトラックは侵攻のカナメとして機能させたが、しかし中継基地の域を出ず、防衛の拠点にはほど遠かった。それだけに整備が遅れ、慌てて補強にかかったのはギルバートが敵の手に陥ちてからである。
ミッドウエーで敗れガダルカナルを失ったとき、戦線を縮小整頓して「絶対国防圏」が決まった。当然トラック諸島は最前線になるべきであった。あったが、そこまでの覚悟と準備に乏しい。連合艦隊の基地でありながら要塞化は遅遅として進んではいない。
トラックの索敵の主力は天山艦攻だったはずである。でも「絶対国防圏」の決定的な戦いに、期待の天山は「敵艦見ユ」を打てなかった。アメリカ艦隊の脇を掠めながら発見ができず、多くは地上で奇襲され壊滅した。
連合軍はカサブランカ会談、ワシントンで会談、ケベック会談で反攻計画を決め、ギルバート諸島からマーシャル諸島、トラック諸島に迫ってくる。狙いはマリアナ諸島であった。B-29基地確保のためだ。
トラックは攻防のカナメであった。背後を気にしなくて済むようになりアメリカ艦隊は本命のマリアナ攻略に手を染めた。日本本土に王手がかけられる。
●艦上攻撃機 天山
昭和14(1939)年、海軍は97艦攻のエンジンを交換して3号艦攻を造ると同時に後継機を計画した。特命で中島が指定された。
要求性能は最大250ノット(463km/h)以上、97式1号艦攻が199ノット(369km/h)だったから一挙に50ノット(93km/h)、25%の速度向上だ。航続力は攻撃過荷重で1,800カイリ(3,330km)以上、驚くなかれ50%近い飛躍だ。凄いというよりは異常な感じがする。相手には打たれず、自分は相手を叩けると無邪気に信じているからだ。相手をデクだと思っている。
要求仕様は将来戦争の予測である。そこで意図が発揮できるだろうとの想定で決まる。相手防御を突破して射点につき、搭載兵器で相手を打倒する。仕様は天山艦攻を97艦攻より性能で飛躍させるけれど、戦場が変質するとはまったく考えていない。
本格的な設計に入った1940年5月はバトル・オブ・ブリテンの直前であったが、モックアップ審査のときは帰趨が見えていた。将来を占う戦いだから固唾を飲んで見てしかるべきだが、てんで見ている気配がない。遥か遠いヨーロッパの出来事だけれど、太平洋にも日ならずして波及するだろうとは連想もしないのだ。夜郎自大の要求である。
エンジンはライバル三菱の「火星」を海軍は希望した。しかし中島は同級の「護」が試作中でもうじき出来上がる。このほうが容積も大きく将来のパワーアップが望め、それ以上に自社製品だから自由が利く。押し切って「護」を正式エンジンにした。
この事例は、「海軍が絶対で、メーカーはひたすら従うより方法が無かった」という戦後の神話はいささか眉唾だと思わせる。メーカーは自社の都合と主張を適当に按配していたのだろう。海軍が消滅し、悪者にしても差し支えない事態での言い訳だ。商売人がしたたかなのはいつの世でも当たり前の話。「お代官様」「上州屋」の構図を悪と決め付けていたのでは何も見えない。
「護」は空冷星形14気筒。離昇は1,870馬力、公称1,750馬力(1,400m)、1,600馬力(4,000m)である。97艦攻の「栄」の離昇は1,000馬力だったからほぼ倍増した。
シリンダーは155mm×170mm、容積45リッター、直径1,380mm、重量870kgの大型エンジンで、嘱望されはしたが故障が多く、ついに信頼性を期待するところまでにすることができなかった。たまりかねて「火星」25型1,850馬力に換えたのは戦勢が怪しくなった昭和17年であり、完成は翌18年の1月だった。ガダルカナルのケリが付いたときだ。「護」装備の初飛行が昭和17(1942)年3月14日だから、天山は1年タイミングを失したことになる。
「護」装備の天山11型のプロペラはハミルトン・スタンダード式の金属製定速4翅直径3.50m。「火星」装備の12型は3.40mである。
天山は翼幅14.89m、全長は10.87mである。主翼面積は37.20uで自重3,083kg、全備重量5,200kgだ。過荷重では5,650kgであった。自重こそ97艦攻より少し重くなったが、大きさはほぼ同じだ。馬力増加は性能向上に注ぎ込んでいる。
主翼は低翼単葉の折り畳み式、翼型は層流翼。内翼にはセミインテグラル・タンクで防弾は無い。後に防弾をしたがそのため容量が30%少なくなった。もちろん航続力が落ち、無節操にも再び防弾を外している。自らは戦闘に参加しない誰かの脳天気な発想だ。
垂直尾翼は空母のエレベーター寸法に合わせて前傾させてある。97艦攻の2倍近いエンジンに、胴体を長くして対応できない苦心の対応だ。3点姿勢で方向舵後縁が垂直になるよう設計した。しかも飛ばしてみると離陸でトルクにより危険なほど偏行するから3°、後に2°10′のオフセットを付けた。絶えず応力が掛かるということであり、これが事故の原因になり対応を手間取らせている。
水平尾翼も魚雷投下の重心移動に対応するため可変取付角が採用されたが、実用上不便で普通の尾翼になった。操縦士は投弾後、懸命に操縦桿を押さえなければならなかったと思う。
胴体はエンジンに合わせて太さが決まった。性能を追求するから操縦席を出っ張らすことはできない。でかいエンジンに遮られ操縦視界は悪かった。比べてアベンジャーは遠慮なく操縦席を高くしている。
アベンジャーのエンジンR-2600は、直径が1,397mmである。「護」より17mm大きい。「火星」よりは57mmも太い。それでも操縦席を高くするのにためらった痕跡は無い。誰が戦うかをちゃんと考えている。性能の良し悪しではない。
天山もアベンジャーも雷撃後の掃射を考えて尾部銃座を備えた。ひたすら撃たれながら逃げるのは日本もアメリカも耐えがたかったのであろう。
主たる攻撃武装は800kg魚雷1もしくは800kg、500kg爆弾1である。魚雷は91式改7が可能であったから、最大は1,055kgが可能ということである。ただし投下後の雷蹟が安定せず、安定装置や、2°下向きに装備する方法の開発に手間取った。
もちろん500kg爆弾も可能であった。250kg爆弾なら2発、60kg爆弾なら6発が可能で、左翼に7.7mm固定銃を装備したがすぐ外されてしまった。アベンジャーが12.7mmを振り立て牙をむいたのとは違う。防御兵装は後席に1挺の7.7mm機銃だけである。
偵察兵装は搭乗員の目視と8倍の双眼鏡のみである。索敵情報を発信したのは96式空3号無線機で出力50ワット、周波数が5〜10メガ、カタログでは800カイリ(1,480km)到達するはずだが、電離層の状況に影響され安定度は問題があった。またこの無線機は300〜500キロヘルツの周波数帯もカバーでき、100カイリ(185km)の方位測定ができた。
レーダーを装備できたのは、終戦直前の天山12甲型で、うまく取り扱いできずに終わった。生産機数は、天山11型B6N1が133機、B6N2が1,133機であった。
●TBFアベンジャー
天山艦攻とアベンジャーはほぼ同じ頃に設計が開始されたが、戦場に姿を現したのはアベンジャーのほうが早い。遅延の原因はいろいろ重なったが、いちばん大きな原因はエンジンだった。メーカーの中島が自社のエンジンにこだわったからである。
脇にそれるが、今でも日本の機体メーカーは同時にエンジンも造っている。企業は貪欲なのだ。だから設計はどうしても自社製品に引きずられ、選択が限定されてエンジンが失敗すると機体まで心中することになりかねない。海軍は他社のエンジンを押したが、中島は頑強に抵抗した。
ともかく天山とアベンジャーは比較される。そして天山のほうが優秀だと考えたい。
たしかに理由がある。性能を見れば天山は最大速度で30ノット(56km/h)速く、巡航速度は50ノット(93km/h)も速い。航続力に至っては倍ほども違うのだ。飛行機としてみれば天山がはるかに優れていたと考えるのはもっともである。
しかし目的論を逸脱する論議はことを誤る。アベンジャーは日本機動部隊を壊滅させ、守備する島嶼に大打撃を与えた。文字通りパール・ハーバーのアベンジャー(復讐者)なのである。ひきかえ天山はアメリカ防空網に阻まれ敵艦隊に迫れるかどうかもあやしい。
もちろんそれは天山の罪ではない。優秀な兵器とはどういうものか判らなかった用兵者の罪ではあるが、片や役に立った攻撃機、片方はほとんど役に立たなかった攻撃機である。
何がそうさせたか。回答を考えると「インテリジェンス」に突き当たる。いうならば「インフォメーション」は部品であり、体系化させ論理的に組み立てて「インテリジェンス」である。「インテリジェンス」によって設計されたのがアベンジャーだと思えばいい。天山には支える「インテリジェンス」が無かった。
過酷な戦場で生き残り、敵に打撃を与えるためには性能を多少犠牲にしてもタフでなければならない。アベンジャーはそうした。防弾し、単発機でありながら旋回銃座を設け、レーダーを積み、翼の折り畳みを工夫したのは、明日の戦場に備えるためである。
天山艦攻は昨日のままの意識にいる。97艦攻より50ノット(93km/h)も速い。これを進歩と思っていた。戦場が様変わりしてレーダーに捉えられ、戦闘機群に邀撃され、VT電波近接信管の弾幕を潜るには、全速250ノット(463km/h)を誇っても儚い。
ミッドウエーですでに戦場は逆転していた。飛龍攻撃隊の被害は99艦爆18機中13機である。損害率は実に72%だ。わずか2ヵ月前、インド洋で奇跡の急降下爆撃を行った部隊が、敵にかすり傷を負わせただけで壊滅してしまったのだ。
97艦攻は10機中5機の損害で、帰投5機のうち4機は修理不能であった。90%が再起不能になった。もしこの時に天山艦攻が間に合っていたとしても、形勢を逆転させられたとは到底思えない。もう性能だけでは済まない事態になっていたのだ。
レーダーを活用し、インテリジェンスで戦うCIC(Combat
Information Center)と、VT信管でアメリカ艦隊は防御されていた。戦場の位相は、すでに日本海軍の想定するものとは違うものになっていた。
それに時代はもはや魚雷ではなくなっていた。射点は1,000mから1,500m、一方、防御の高角砲は口径5インチで射程が15,600m、40mm砲でも10,000m、針鼠のように装備された20mmは4,400mだ。加えてVT信管は命中率が3倍になった。雷撃するにもは射点まで容易に迫れない。
ギルバート諸島が陥ち、マーシャル群島が陥ち、敵はひしひしと迫っている。アメリカ艦隊は30ノット(56km/h)で走り、夜の間に360カイリ(667km)近づく。それでも今敵が見えないから、居ないと考えてしまう。
それをおかしいと笑うことはできない。バブルのときも阪神淡路大震災のときも、練習船衝突でも外務省不祥事でも、似たような反応の仕方はきわどくある。この国の避けようも無い縮痾と思わねばならない。
ITの「I」はインフォメーションではない。インテリジェンスなのである。われわれにはそれが、今もって決定的に不得手なのだ。
情報を本業とするマスコミを見るがいい。中立に立とうと一生懸命で、あげくが手に入ったインフォメーションの断片を伝えるだけとなる。主体も何も無い。ただ滑稽なだけだ。
かつてマスコミに「困ったときの司馬遼太郎頼み」という言葉があったそうだ。インフォメーションからインテリジェンスを組み上げる名人だったからである。 |