大海原孤影遥かに索敵機-07

ハワイの忍者 零式小型水上機

零式小型水上機ほど日本海軍が戦略情報をどう考えているか、端的に示している機種はない。潜水艦に搭載し敵の懐に忍んで情報を取ろうとしたのだ。どの国でも一度は思いついた方法だが、正道ではないと悟ってすぐ捨てた。いつまでも拘ったのは世界に類例が無い。

だが零式小型水上機の戦績として、唯一流布されているのはオレゴンに対する爆撃である。60kgの小さな爆弾を森林に投下して山火事を起こそうとした。しかもたった4発である。何になると思ったのだろうか。

発想の仕方を考えるとドゥリットルの東京爆撃に似ていなくもない。両方とも相手本土を爆撃し、度肝を抜いてやろうとした奇術のような作戦だ。だが発想の目的とスケールがまるで違うし合理にも乏しい。

したがって結果はまるで違っていた。ドゥリットルは日本首脳を震撼させ、意図以上の効果を挙げた。ひきかえ零式小型水上機の爆撃は、地方紙さえ気がつかないほどの効果しか挙げなかった。誰もいない森林を爆撃したのだから当然だろう。「やったやった」と喜んだのは日本だけである。首都とはいえないまでも、せめて州都くらいを爆撃したらアメリカも多少は驚いたろう。

日本海軍制式機大鑑(酣燈社刊)より

●忍者

零式小型水上機は数ある海軍偵察機の中で、最も戦略的な偵察機と言えなくもない。敵防衛線の内側にある戦略拠点を偵察する意図でつくられ、航続力は14,000カイリ(25,900km)もある巡洋潜水艦に搭載された。重巡洋艦でも7,000カイリ(12,950km)か8,000カイリ(14,800km)である。それはまさに忍者、隠密、お庭番の世界だ。どうやって戦略情報を得しょうとするのか、いかにも日本歴史の延長ではないか。

潜水艦は水遁之術を連想させる。そうすると零式小型水上機は雲梯之術である。2つを継ぎ足せば忍術以外の何ものでもない。

忍術の極意書として萬川集海というのがあるそうだ。成立は江戸期に入ってからだそうだから、忍者が最も活動しただろう戦国時代とは違った解釈になっているかもしれない。しかも300年の平和で奇形に変質したのがなんとなくわかる。

詳しくは知らないが、この極意書に貫かれている精神は防御に徹していることである。忍術の目的は敵中に忍び込み戦略情報を得ること、そして無事にそれを持ち帰ることであるから、徹頭徹尾切り抜けるための術であることは理にかなっている。逃げ足の速いのは特技であった。

今に伝えられる忍術は奇怪な非合理的な奇術のように思えるが、戦国時代は日本の歴史の中でも最も合理的な時代であった。支配していた原理は弱肉強食であるから、合理を外れれば存続ができない。冷徹な計算なくして凌げない時代である。代表するのが信長だ。

だからその時代の情報収集が非合理的であったはずがない。あらゆる知略を尽くして戦略情報を漏洩させまいとし、盗み得たほうは生還することを考えた。知略のすさまじさが忍術である。インフォメーションでなくインテリジェンスの世界だ。

江戸時代に入って安定が目標になった。乱の元になる各藩の隠密戦略情報収集は禁止しなければならない。圧殺の結果が奇怪な術として記憶されることになったのだろう。

●Z1号作戦

膨張を続けた大日本帝国は、珊瑚海で足踏みになりミッドウエーで頓挫した。ソロモン群島の先端ガダルカナルは容易ならざる気配になってきた。防衛を考えなくてはならない。

陸軍省は中部太平洋の戦線を縮小し、西カロリン、マリアナまでに後退させ戦力を集中する方針であった。しかし海軍省は激しく反発し譲らない。太平洋は海軍の縄張りであり、放棄しては面子を失う。陸軍と海軍を統御するべき大本営は両者に指令できないのだ。

役所同士が省益むきだしで国家を考えない構図は、今でも続くこの国の縮痾なのである。平和な時代ならいざ知らず、官僚は国家存亡なときでも省益を優先させることを覚えておかなければならない。

昭和18(1943)年9月、激論の末「今後採ルベキ戦争ノ指導大綱」が決まった。ところが陸軍は陸軍でマーシャル群島、西カロリン諸島、マリアナ群島を増強し、海軍は海軍でトラック島、ギルバート諸島を補強する。大綱は骨抜きで統一がなく、兵力は分散した。この間もソロモンではじりじりと後退を余儀なくされ、母艦搭載機までを注ぎ込んで防戦いっぽうだ。海軍は面子のために艦艇と航空機と兵員を果てしなく損耗していく。

Z1作戦とはアメリカ機動部隊を捉えて殲滅する作戦である。日本連合艦隊は神出鬼没するアメリカ機動部隊がまるで捕捉できない。このままでは撃たれ続けてジリ貧だ。そんなとき、連合艦隊司令部付き暗号解読班がホノルル発の電信に新しい兆候を見つけた。そしてアメリカ機動部隊が近く作戦を開始するだろうと判断した。是非撃たねばならない。

直ちにZ1号作戦を発動、10月17日朝、連合艦隊は待ち伏せのため勇躍してトラック環礁を出動した。ところが東京の軍令部は暗号解読に疑念をもち、同じ17日に第1潜水戦隊のイ36に命じパール・ハーバーを探らせた。

ハワイ沖に忍び寄ったイ36潜のカタパルトから零式小型水上機が射出され、レーダーに捉えられることもなく零式小型水上機はパール・ハーバー上空に潜入した。湾内に空母4、戦艦4が居た。作戦のため出撃したという情報は誤報だったのだ。連合艦隊は虚しくトラックに引き上げ「大散歩」と揶揄された。

アメリカ海軍通信諜報部は暗号の解読と通信解析で、日本機動部隊の動きが読めていた。珊瑚海海戦のとき400カイリ(740km)の精度で作戦範囲が推定できたし、ミッドウエーでは待ち伏せしている。ソロモンの戦いでは「Xプラス1日、3編隊の1式陸攻中隊による雷爆撃攻撃がルンガの60カイリ(110km)半径のアメリカ艦艇に予想される」と通報している。すでに誤差は60カイリになっていた。

暗号解読、通信解析に払ったアメリカの組織的で体系的かつ合理的な努力と、潜水艦搭載機の忍者的情報に頼る日本と、決定的な差を見せつけたのがZ1号作戦であった。

●零式小型水上機

昭和12(1937)年海軍は、新たに建造される巡洋潜水艦乙に搭載する水上偵察機を計画した。要求は潜水艦格納筒に納まる大きさと性能である。全幅11m以内、重量は1,500kg以下、着水速度は50ノット(93km/h)以下、航続力は過荷重で600カイリ(1,110km)以上である。取扱い性を考え分解組立が容易に行えることも要求された。

巡洋潜水艦乙型は、水上排水量2,198トン、潜水排水量3,654トン、全長は108.7mあった。幅は9.7mで、水上最大速度は23.6ノット(44km/h)、水中8ノット(15km/h)である。16ノット(30km/h)巡航で14,000カイリ(25,900km)、水中3ノット(5.5km/h)では96カイリ(178km)の性能がでる。

潜水艦としては最も有名であるUボートZC型は水上排水量769トン、水中871トン、全長は66.5mである。いかに日本の巡洋潜水艦が大きかったかわかる。Uボートは全速でも17ノット(31km/h)、航続力は10ノット(18.5km/h)で8,500カイリ(15,740km)であった。

ドイツは潜水艦を通商破壊の戦略レベルで捉え、日本は艦隊決戦補助の戦術でしか考えていない。活躍の違いは用兵者の頭脳の問題だ。日本海軍の稚拙な用兵があたら性能を台無しにした。

巡洋潜水艦乙は航空機搭載を前提に設計され、格納筒は長さが8.6m、内径が2.4m、出入口の直径は1.85mである。この寸法が搭載機の制約になる。

零式水上偵察機は空技廠が設計を担当し、低翼単葉の双フロート機でまとめた。座席はタンデム複座、前席が操縦士で後席は射手を兼ねた。装備機銃は7.7mm 1挺である。

エンジンは空冷星形14気筒の天風12型340馬力。いまなら水平対向型の6気筒クラスの容積は10リッター・エンジンである。だが天風は17.7リッターもあった。重量は110kg、プロペラは木製固定ピッチの2翼2.50m。

翼幅は10.97m、全長は8.54mに収めた。主翼面積は17.80u、着水速度が抑えられていたから大きなフラップを備えていた。自重は1,085kg、全備重量1,450kgである。過荷重で1,600kg、超過荷重は1,750kgまで可能であった。

最大速度は133ノット(246km/h)、巡航速度は85ノット(157km/h)、着水速度が48ノット(89km/h)、航続距離は476カイリ(882km)である。果たしてこの性能で忍者が務まるのかどうか考え込んでしまう。お世辞にも逃げ足が速いとはいえない。忍び足で逃げ切れると思っていたのだろう。

1920年代アメリカやイギリス、ドイツも潜水艦に飛行機を搭載する研究をした。少し経つと多寡の知れた飛行機しかつくれないことがわかり、どこの国もさっさと開発を止めている。実用化できたのは日本だけであったと自慢げに聞くと、インテリジェンスの欠落を強く感じる。零式小型水上機は軍事音痴の証拠みたいな機種だ。

日本潜水艦は「金太鼓を叩きながら動き回るようだった」とアメリカ海軍は言っている。大西洋でUボートに鍛えられたアメリカ海軍にすれば、日本潜水艦は探し出すのに造作もない相手だったのだ。水遁之術とは自分で思っているだけである。見つかっていないと思い込み、隠れたつもりの忍者は喜劇である。何の戦略的価値もない森林に爆弾を落とすしかなかったのがつらい。

主翼は前縁基部に固定スロット、後縁には2重式のフラップと補助翼が付く。外皮は前縁が合板の上に羽布、後縁は羽布であった。胴体は鋼管羽布張りであるが前部には金属板を使っていた。構造で目新しいところは無く、忍者の修行のような切迫感がない。

格納は主翼を胴体から外して行う。そのためフロート支柱の金具は着脱容易に工夫されていた。補助翼とフラップはヒンジで翼下面に畳み格納する。2重式にしたのは格納筒に納める対策だ。

昭和13(1938)年に試作機が完成したが、重量が180kgもオーバーして燃料が半分しか積めない。方向安定不良で巡航中に横滑りする。方向陀を増積しフィンをつけ、あちこち改修の結果制式採用されたのが昭和15(1940)年12月であった。

昭和18年に入ってから60kg爆弾を搭載する改修が行われ、この場合の全備重量が1,750kgである。カタパルトの射出は強度の都合で2.8gに制限された。

●晴嵐

忍術は徹底的に隠れる術である。隠れおおせなくなったときはひたすら逃げる。しかし、数少ない例だが攻撃的だったこともあった。本地の伊賀や甲賀が信長に攻められたときである。そして壊滅した。忍者は正面兵力として弱い。

零式小型水上機の略号はEの水上偵察機である。あきらかに発案当時は偵察機を意図していた。すなわち昭和12(1937)年には偵察機だったのである。しかし制式になった昭和15年には零式1号小型水上機と命名され偵察の文字が消えた。昭和17年4月に改称されたときも零式小型水上機11型であり偵察の文字は復活していない。それどころか昭和18年に爆弾架取付けの改修がされ、用法の道筋は変質した。

昭和17年4月と言えば太平洋の各地で信じられないほどの勝ちを収め、日本は有頂天になって戦勝に酔っていたときである。零式小型水上機が改称されると同時に、海軍は17試攻撃機の計画要求を出している。

この攻撃機は潜水艦に分解して搭載され、カタパルトで射出される。まさに零式小型水上機の発展的後継者である。爆竹みたいな60kg爆弾ではなく、800kgの魚雷か爆弾を積み、雷撃と急降下爆撃をする。そして搭載されるのはイ400特殊潜水艦である。

800kgは重すぎてフロートを捨てざるを得ない。帰還は機体放棄が前提になる。500kg爆弾でもフロートを捨て、250kg爆弾ではじめてフロートを捨てずに済んだ。まるで捨て身の攻撃機であり、機種略号も特殊機のMである。どう分類するかも定かでなかったのであろう。迷路の攻撃機であり愛知が受注し晴嵐になった。

忍者は戦略情報を持ち帰り復命してこそ忍者である。隠れおおせなかったのは失敗だ。それでも逃げ切るために忍法がある。晴嵐は乱心した忍者の宿命を負って誕生した。

パナマ運河攻撃やアメリカ海軍拠点のウルシー泊地攻撃が計画されたが、実施を見ないで終戦となった。意図は戦略的であるのが救いだが、イ400潜は全部でも3艦である。1艦3機、合計9機9発の800kg爆弾が戦勢を変えられるとは思えない。何でこんな機種に人材と資源を投入したのだろう。

●相対性原理

1920年代世界は潜水艦搭載の飛行機を研究していた。たしかにシュナイダー・トロフィー・レースの優勝機は、フロートを付けながら陸上機よりも速かった。世界はシュナイダーに熱狂していたから、水上機を速いと思い違いした人もある。

トロフィーは3回連続して優勝したものが得る。イギリスの手に落ちるのだが、連続優勝の1回目は1927年であった。スーパーマリンS.5はN.ライオン875馬力を付け453.5km/hで優勝した。次回は2年後の1929年である。1920年代最後の年だ。改造したスーパーマリンS.6が528.9km/hで優勝した。搭載していたエンジンはロールスロイスの1,900馬力である。ほぼ倍のエンジンで獲得したのが80km/hだった。最後は1931年、ス−パーマリンS.6Aは2,350馬力547.3km/hで優勝トロフィーを得た。

このレースは、結果としてフロートがいかに高速機に向かないかを立証したことになる。優勝したスーパーマリンは、1936(昭和11)年にスピットファイアをつくった。最初の量産型Mk.1はロールスロイス・マーリン1,050馬力を付け568km/hである。1944(昭和19)年のMk.21ではグリフォン2,035馬力で726km/hを出している。

世界各国は抵抗の塊の水上機にさっさと見切りをつけたが、相対的に横を見ることができない日本は水上機にこだわった。少なくとも自分が使っている前の時代の機種より優れた水上機はつくれる。世間はずれを気が付こうとしない。

発注するのも評価するのも国家である。現実には軍人だ。もっと正確に言えば軍事官僚である。軍服を着ているか否かはそれほどに問題ではない。要するに官僚である。

官僚には功罪がある。社会を向上させる功もあるが決定的に破滅させる欠点もある。遅れている時代、追いつく時代はおおむね功が多い。しかし抜けた瞬間から破滅させる方向に動く。いつの時代でもそうだ。珊瑚海海戦以降、最も愚かしかったのは軍事高級官僚たちだった。そうして今、指弾されているのは財務省はじめ外務省を含むすべての官僚なのである。思考と行動は驚くほど似ている。

功罪の分岐点は、外部が理性で見えるかどうかで判定できる。相対化できるか否かだ。そのための情報に敏くなくてはならぬ。アメリカ、イギリス、イタリア。シュナイダー・トロフィーに熱中したすべての国が水上機に見きりをつけた。潜水艦搭載水上機を放棄したのは、たとえ理由がわからなくても方向として間違ってはいない。

零式小型水上機も晴嵐も、相対化できない独りよがりな喜劇の機種であった。

日本機動部隊の期待に反した結果にはなったが、それでもZ1作戦の戦略偵察で零式小型水偵は成功を収めた。レーダーに捉えられなかったのが偶然か小型であったためか不明である。いかにも忍者らしい結末だ。

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