大海原孤影遥かに索敵機-03

海軍偵察機

索敵機という正式機種は無い。機種としてあるのは偵察機である。それに日本海軍には終戦直前まで哨戒機という機種もなかった。

あたかも単一の機種があって、それを索敵機と呼びたいのは、大きく機動する敵艦隊を探すことは至難の技であり頭脳と根気と運が必要だからだ。成否が時には国運を分ける。

こじつければ固定基地や動きの遅い敵情を偵察するのが偵察機、素早く大きく動く敵を探すのを索敵機と呼びたい。そして、居るか居ないか分からぬ敵を用心するのが哨戒機である。偵察機は点を観察する機種だが索敵機は面を捜索する。哨戒機は用心のため飛ぶ。

●固定概念

日本海海戦で完勝した成功体験は抜きがたい。海を制するものが世界を制した。大航海時代があって砲艦外交も通常の手段だ。大国と尊敬していた中国でさえ大砲の前には屈したし、厭だというのにアメリカやロシアから無理やり開国させられたのはつい昨日の記憶だ。

かろうじて西欧列強の侵略をしりぞけた東洋の島国が、肩肘張るには張るにふさわしい砲艦が必要であった。巨砲とそれを載せる大艦が無くてはならない。国家が危うかっただけに信奉も強かった。

この国にはいつも文明は外からやってきた。外来のものは無条件に良いものと信じ、これが固定概念になる。原理は分からずともしゃにむに飲み込み辻褄を合わせてきた。自分の意思で取り入れたものも押し付けられたものも、そうしてきたのである。大艦巨砲も例外ではない。

でも消化には時間が要る。蛙を飲んだ蛇のように消化の間は動けず、ものごとは静かに平坦に推移させなければならない。だから変化は段階になる。

昭和のはじめ、アメリカやイギリスに対抗しようと息張り、大艦巨砲が神法典のようになっていた。海戦は巨砲が決する。信じてやまない。違った現象が起きて、しかもその立証者が自分であっても一切が目に入らないのだから並ではない。

さりとて砲を根本的に考えようとはしない。それは海の向こうの誰かが考えることで、形だけ真似するから身についていないのだ。砲について自由で連続する思考があったなら、急降下爆撃機は砲の延長と思いつくに違いない。

最も明確に意識し、飛行機を砲の延長として活用したのがドイツであった。電撃戦はスツーカJu87を砲の代用としていなければ成立しない。

たぶんアメリカ海軍も急降下爆撃機を砲の延長として考えていただろう。意識していたかどうかは分からぬが、艦載機に急降下爆撃機が多いのはそう思うと納得できる。アメリカの航空母艦は超遠距離砲を持つ巨大戦艦なのである。

引き換え日本は雷撃機が多かった。魚雷を主兵器にする艦は駆逐艦だ。すねた言い方をすれば、日本の航空母艦は大艦巨砲主義を信奉しながら巨大な駆逐艦であった。どうみても補助艦である。

SBDドーントレスが99式艦上爆撃機と似たような性能という定説は誤りだと思っている。弾道や飛距離は似ていても、片や弾量450kgの巨弾、片方は250kgの弾である。戦艦の主砲弾と巡洋艦の砲弾の差がある。してみると、やっぱり大艦巨砲が勝ったのだ。

●水上偵察機

航空母艦を大艦巨砲の延長で捉えられない。艦載戦闘機を対空砲の延長と考えないから、偵察機は相手戦闘機を無視し、艦砲の射程外は安全と考えた。敵艦隊に張り付き動静を見張り、弾着を誘導してくれることをのぞむ。それが日本海軍の水上偵察機なのだ。

さりとて偵察に力を入れた証拠ともいえない。敵発見に努力を傾注したというわけではなく、ただ偵察機の性能を上げることで良しとした。前提は目視が強固な固定概念になっている。他に頭が回らない。レーダー開発に冷淡だったのは当然なのである。

海軍が採用した偵察機は29種あった。その内水上偵察機が26種、71%に及んでいる。陸上偵察機は3種、艦上偵察機が5機種であることを考えると、水上偵察機をどう思っていたか判る。

最後の水上偵察機は瑞雲であった。E16である。制式採用の最初の機種が横廠式水上偵察機E1、1922年。瑞雲は1943年だから21年間に16機種、平均1.3年で新機種を採用していたことになる。異常な執念だ。=>愛知 E16A1 水上偵察機「瑞雲」11型

最後の艦上戦闘機烈風はA7、1945年である。23年で7機種、平均1機種3.3年、まず正当な開発であろう。艦上攻撃機は流星のB7、戦闘機と同じ程度の3.1年。艦上爆撃機彗星はD4、5.3年である。流星は急降下爆撃ができたからといえばD5にあたるだろう。それでも平均4.6年だ。巨砲にあたるものがいちばん疎かであった。

偵察機は29種、平均にすれば0.7年で1機種の開発をしていたことになる。いかに偵察に関心を寄せていたかのバロメーターになるはずだが、それにも拘わらず情報戦ではアメリカに完敗した。ハードにいくら力を入れても、ソフトが決定的に力量を決めるのが情報の本質である。IT革命がハードに力点がおかれるなら、たぶんかつての海軍と同じ結末を迎えることになるだろう。そうなる気配は濃厚だ。

水上偵察機を重用したのは戦艦と巡洋艦に搭載できたからである。あくまでも艦載主砲に拘る結果だ。急降下爆撃機を砲の延長として考えられない固定観念の機種である。

そして水上機は無限滑走路の機種で、いくら長く滑水しても良い。カタパルトで発射もできる。94水偵は11.3時間、零式3座水偵は過荷重で15時間の航続力があった。陸上機や艦上機なら、とてもそんな燃料を積むことはできない。

しかし水上機には大きな欠点が3つあった。まずフロートの有害抵抗が大きく速度が出ないことだ。最後の水偵瑞雲も、最大速度は439km/h(237ノット)であった。1943年にもなれば555km/h(300ノット)以下の速度では過酷な戦場を生き残ることはできない。

2つ目は揚収のハンディである。所属機が帰投してきたら、艦艇は旋回し着水できる平滑水面を作ってやらなければならない。しかも吊り上げの際は停止が必要で、艦艇はまったく無力になる。交戦中であったり付近に潜水艦が出没する海域なら、大変なリスクを背負うことになる。場合によっては偵察機を見捨てなければならない。

第3は風波に弱いことだ。平滑な着水面を作ってもうねりまでは消せない。着水が冒険になり破損することもある。さらに係留地が風波に見舞われると大破するおそれがあった。揚収を含め水面や地上のハンドリングに大きな弱点があった。

中国戦線では95式複座水上偵察機でも結構格闘戦に勝てた。そのあげくが零式水上観測機を生み出したのだ。零観はむしろ戦闘機としての要素のほうが大きい。褒め言葉の多くは、アメリカ戦闘機を相手にいかに活躍したかということだ。余技に優れているからと喜ぶのだから世話が無い。=>三菱 F1M 2 零式水上観測機11型

日本海軍には零式観測機以外に観測機という機種は無い。最初にして最後のこの機種は、複座水上偵察機の極限として生まれた。本質の迷路を思う。

日本海軍は夜戦が得意だ。だから目となる夜間偵察機が欲しい。96式と98式の夜間水上偵察機を作ったが、どちらも役には立たなかった。普通の水偵で間に合ったからである。

最も日本水上偵察機らしいのは潜水艦に搭載される小型特殊水偵だ。情報をどう考えているか、これほど如実に示している機種は無い。奇術的発想で堂々取り組む姿勢に乏しい。しかも大真面目に3機種も作った。こんな機種に熱を入れた他国の例が無い。

●代用偵察機

艦上偵察機が少ないのは攻撃機で代用したからである。特に97式艦上偵察機を作ったが、性能上97式艦上攻撃機と大差は無いので量産はされなかった。太平洋戦争の全期間を通じ攻撃機が偵察機を兼ねていた。

アメリカ海軍にも艦上偵察機という機種は無い。ただ日本と違っていたのは、爆撃機が偵察機を兼ねていたということだ。対空中戦を考えているということでは、日本に比べて天と地ほども違っていた。生きて偵察情報を持って帰ってくるのだと懸命に思っている。伝えられない情報は情報でない。

そもそも艦上爆撃機という機種は、投弾後戦闘機に準ずる格闘能力が要求されていた。急機動ができたから当然の発想なのだろう。したがって前方固定機銃が付いている。中国戦線で96式艦爆は、怖じずに空中戦をやっている。

先輩に零戦一代という人がいた。予科錬を卒業するときに第1志望艦爆、第2志望艦爆と書いたと杯を傾ける。何故ですかと尋ねたら、格闘戦もできるし爆撃もできると思ったからだそうな。もし艦爆に行ったら、生きてはいなかったろうけれどと笑っていた。

珊瑚海海戦のとき、多くの艦攻がSBDに撃墜された。アメリカの艦爆は果敢に空中で闘いを挑み、まさに不屈のドーントレス(恐れ知らざる者)であった。報告では撃墜40機であるという。

代用を艦上攻撃にしたのは3座機だったからだと思う。操縦員、偵察員、電信員という編成に拘る意思を感じる。もし操縦員と偵察員の階級が同じなら、機長は偵察員であったから、建前では偵察が重視されていたことになる。

日本海軍では操縦員がいても操縦士はいない。士はもちろん士太夫の士、考え判断する階級ということであり、員は単純行為者だ。認識の根底が違う。アメリカのパイロットは全て士官、日本の操縦員はおおむね下士官と兵だったことに符合する。

それはそれとして、座席でいちばん視界が優れているのは操縦席である。経験からしても、最初に発見するのは操縦士の可能性が圧倒的だった。視界がいちばん良いから、それは当然である。そしてアメリカはパイロットが機長であった。

偵察機が複座であっても一向に差し支えは無い。アメリカは合理が支配し、日本は権威が支配する。アメリカの代用偵察機が艦爆、日本の代用が艦攻である。情報に対する姿勢を見事に物語っているではないか。

●変わる戦場

水上偵察機は単フロートと双フロートの機種があった。まれには飛行艇形式もあった。

単フロート形式は近距離偵察用で弾着観測を主務とするもので、格闘戦もこなせたから戦闘機的に使われた。95式水偵でほぼ完成し零式観測機は発達の極限に達した機種である。そこから先は2式水上戦闘機にならざるを得なかった。

長距離偵察は双フロートの水上機が担った。そのため、緒戦の主戦場で活躍したのは双フロートの水上偵察機となったのである。

航空揺籃期の偵察機は最大速度が戦闘機と大差が無かった。1920年から1935年頃まで、差はせいぜい30ノット程度である。双フロートの偵察機であっても、あえて心配するほどの速度差ではない。

それが1940年前後に急速に広がった。戦闘機の最大速度が飛躍的に大きくなったからだ。開戦時の戦闘機主力は零戦、偵察機の主力は零式水偵であったが、速度差は90ノットにも広がった。相手方艦戦F4Fも似たような速度だから、ひとたび空中で遭遇するや水偵は逃げ延びる可能性がほとんど無い。代用偵察機97艦攻も零式水偵と似たような速度で、速度差はやはり100ノット近い。

戦闘機どころか敵偵察機SBDと遭遇しても零式水偵は20ノット遅い。かつての戦闘機との速度差だ。相手を見たら偵察を放棄して逃げなければならぬ。しつこく追跡されれば逃げきれないかも知れない。

海戦戦場にレーダーが登場するや日本海軍の想定は根本から覆った。海軍には敵中を突破する偵察機の発想が無かったのである。敵艦隊防御高角砲の射程外なら、安全であると思っていた。しかしレーダーが登場して200km(100カイリ)の彼方で探知されれば、偵察機は突如敵防空戦闘機の邀撃を受けた。よほどの幸運がなければ逃れられない。

普通日本機は攻撃一辺倒で防御に弱いといわれる。たしかにそれはそうなのだが、偵察機だけでなく戦闘機も爆撃機も、「敵中を突破」して攻撃する基本的な発想が見事に抜け落ちていた。防御以前の問題なのだ。

大捷となったマレー沖海戦でも、プリンス・オブ・ウエルスは索敵機94水偵の接近を15分前にレーダーで捉えている。ミッドウエーにおいては02:53、すでに日本機の接近を知っていた。たぶん気が付かず通り過ぎた巡洋艦筑摩の索敵機であろう。利根機の発見報が04:28だから、アメリカとの情報に1時間30分も差があるのだ。

反撃の鬼になっている飛龍攻撃隊も、レーダーは20分前に捉え防空戦闘機を待ち伏せさせていた。99艦爆18機のうち13機、零戦6機のうち5機が帰れなかった。損失率は実に75%に及ぶ。もはや無敵零戦の神話は無い、それにほんの2ヶ月前、インド洋でイギリス海軍を屠った颯爽たる攻撃隊はなかった。

レーダー覆域は200kmほどで、単機で行動する偵察機も十分捉える能力があった。邀撃戦闘機を発進させれば鈍足な水上偵察機や攻撃機は、逃れる可能性はきわめて小さい。敵艦も見えないうちに撃墜されてしまう。索敵どころの話ではなくなりつつあった。

●内に向かう情報

陸軍は97式司令部偵察機で戦闘機より速い偵察機を意図した。敵中突破は偵察機の宿命であると承知している。無防備な偵察機が敵戦闘機の手を逃れ、情報を持ち帰る最高の対抗手段は速度と信じたからである。ちなみに97司偵の最大速度は470km/h、97式戦闘機の460km/hより速い。

次に開発した100式司偵は俊足をもって空の通り魔とまで言われている。100式は海軍で零式だ、すなわち皇紀2600年、1940年の制式である。零戦の最大速度が510km/h(275ノット)なのに100偵は540km/hを出した。

それでも戦闘機に待ち伏せされ、急降下で襲われれば逃げ切ることは難しかった。ましてや大きなフロートを付け、抵抗の塊のような水上偵察機が戦闘機に対抗できるわけがない。海軍は次々と偵察機を失い、敵の所在が判らぬまま打たれ続けて戦いに敗れた。

同じ日本軍で、しかも97司偵は海軍にも採用されて98式陸上偵察機にもなっていながら100式司令部偵察機は無視された。陸軍と海軍の確執もさることながら、海軍内部でも力関係を維持するために懸命だ。そのため情報収集はライバルに負けないため、内へ内へと向かわざるを得ない。戦争は負けているのに情報収集の努力は内を向いている。

昔のことだと嘲笑ってはいけない。民族の、しかも骨がらみの習性なのだ。今でもそう変わってはいないし、特に政治家や官僚に顕著である。例は枚挙にいとまが無い。

IT革命を標榜する首相がまったく情報に疎く、自国の船が他国の潜水艦に沈められたと聞いてもゴルフを続け、それが国際問題になるとは発想できない。たぶんゴルフは、内部の誰かに、何かの意思を伝えたかったに違いないのだ。

情報公開法が成立したのはつい先ごろである。やっと国際世間並みになる端緒につきはしたが、レベルに達するまでは長い時間が必要だろう。

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