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●ソロモンの予兆
開戦後2ヶ月もしない昭和17年1月23日、破竹の進撃を続ける日本軍の先端はソロモンの北端ニューブリテン島に達していた。占領したのがラバウルである。
アメリカは日本をみくびり油断もしていた。しかも西欧に無い日本軍の戦法に意表を突かれ適切な対応ができない。思わぬ敗北と日本の進攻速度にアメリカはあせった。どこかで一度出鼻を挫いておかなければならない。
1月27日、日本軍が身近に迫り危険を感じたオーストラリアからの警告もあって、アメリカ太平洋艦隊は乾坤の処置をした。空母エンタープライズの第8任務部隊(Task
Force:TF)とレキシントンの第11TF、ヨークタウンの第17TFを派遣する。いちかばちかの賭けに近い。ヒット・エンド・ラン、通り魔的な作戦だ。
第8TFはタロア・クェゼリン、第11TFがウェーク・ラバウル、第17任務部隊はマキン・ミレ、そしてヤルート攻撃を担当した。作戦発動日は2月1日、予定通り第8TFはクェゼリン環礁とタロアを奇襲する。勝算に自信は無くても、いつまでも日本の勝手にさせておくことはできぬ。
第11TFは2月20日09:00、ラバウル東北東460カイリ(850km)に忍び寄った。これを発見したのが横浜空分遣隊の97大艇である。ただちに「敵艦見ユ」を打電、接触を開始し続報を打ったが消息を絶った。レキシントン戦闘機隊の邀撃を受けたのだ。
ラバウルには新編まもない第4航空隊が展開していた。4空は2月10日トラックで開隊されたばかりで、定数は陸上攻撃機27機、戦闘機27機であった。しかし2月20日の時点では1式陸上攻撃機27機と96式艦上戦闘機13機、それに零戦6機を保有するだけだ。零戦は空母祥鳳が運んできたもので増槽はなく、とても460カイリの援護はできない。もちろん96艦戦の足は届かない。
97大艇の「敵艦見ユ」を聞いて、2個中隊17機の1式陸攻が発進する。護衛なしの裸攻撃は過信がさせたのであろう。しかもまだ魚雷が届いていない。艦船攻撃用の80番(800kg)爆弾も50番爆弾も無い。とるものもとりあえず25番と6番を抱いて攻撃に向かった。
ラバウルのすぐ北にはニューアイランド島がある。攻撃隊はこれを越えて往くのだが、その東方海上にはスコールが立ちはだかっていた。編隊飛行に難渋し、目標位置になっても天候は好転しない。
14:35 第2中隊の9機がまず11TFを発見した。が、待ち受けていたF4F戦闘機の邀撃を受け、たちまち2機が撃墜され7機は爆撃したものの命中しない。それどころか対空砲火とF4Fによって全滅させられてしまった。
15:00 第1中隊8機が到着した。この中隊も爆撃前に3機が撃墜され5機は投弾したが命中しない。さらに1機が撃墜され、2機は不時着、ラバウルに帰り着くことができたのは2機のみであった。
事態は容易ならざることである。とりあえず第11TFの作戦意図は挫くことができたものの、攻撃隊はアメリカ機動部隊の防御網を突破することができないことが明白になった。それよりも、97大艇がなぜ待ち伏せを受けたのか、なぜ帰れなかったのかはもっと大事だ。
この戦闘は明らかに以後の戦闘を予兆するものであった。ミッドウエーもソロモン沖も、索敵機の多くは帰らず、攻撃隊は防御網に阻まれる展開を繰り返すことになった。
さらに1ヶ月の後、珊瑚海海戦の前々日、アメリカ機動部隊を発見したのも97大艇である。この時も海軍は情報を活かせず、大艇の長大な航続力は宝の持ち腐れに終わった。
●ラバウル
日本の中国大陸への行動はアメリカの石油と鉄鋼の禁輸となって跳ね返ってきた。アメリカ得意の経済制裁である。日本にはわずかな備蓄しかない。だが制裁に屈して「参った」とは言わない。かえって資源を求め南方に進出を意図した。
資源を持つ国々はヨーロッパの植民地だ。宗主国フランスもオランダもドイツに敗れて空家も同然、イギリスは自国防衛で懸命になっている。アメリカとてもヨーロッパ戦線に目を奪われガラガラの防備である。破竹の進撃は当たり前であった。
日本南方経営の拠点は信託統治領のトラック諸島である。連合艦隊が集結できる根拠地でもあった。資源を防衛するにはさらに前方に拠点が要る。目に入ったのがラバウルだ。
ラバウルは拠点トラックから南700カイリ(1,300km)、ニューブリテン島北端の要衝だ。ソロモン群島を東に辿ればアメリカとオーストラリアを分断できるし、南に行けばオーストラリアを攻めることもできる。
昭和17(1942)年1月4日、トラックを基地とする第24航空戦隊千歳航空隊の1式陸攻16機が攻撃を開始、同夜横浜航空隊の97大艇9機が爆撃した。機動部隊もこれに呼応、1月20日には第1航空戦隊と第5航空戦隊の108機をもってラバウルを攻撃、21日には52機がカビエン、46機がラエ、サラモアを攻撃している。反撃は微弱で上陸は22日に始まり、23日には占領が完了した。
オーストラリアは危機感をつのらせた。アメリカに警告を発するとともに、少ない兵力ながら連日ラバウルに爆撃を加え、ここにソロモン諸島をめぐる戦いが始まった。
ラバウルに最初進駐したのは水上機母艦聖川丸搭載の95式複座水上偵察機8機、零式3座水偵4機であった。追いかけるように横浜航空隊の97大艇も分遣されてきた。ほとんどが偵察機隊であったことが考えさせる。だが偵察に力点を置いていたからではない。理由は飛行場が要らず、簡単手軽に扱えたからである。
千歳航空隊の96艦戦18機は空母の翔鶴、瑞鶴に収容し、ラバウル近海で発艦させることにしたが、不都合があって結果無事ラバウルに到着できたのは15機に過ぎなかった。完了したのは1月31日のことだ。
2月1日第8特別根拠地隊が編成され、10日には第4航空隊が発足した。11TFが襲ってきたのはまさにその時だったのである。
●97式飛行艇
昭和8(1933)年に海軍は大型飛行艇の開発を決めた。ロンドン軍縮によって主力艦をアメリカ比60%に制限され、仮想敵国アメリカの艦隊を迎え撃つには何らかの工夫をしなければならない。まずはなるべく遠くで発見したかったのである。
8試大型飛行艇は実現しなかったけれど研究成果には見るべきものがあった。確信をもった海軍はあらためて昭和9(1934)年、9試大型飛行艇として川西航空機に試作命令を出した。
要求は巡航速度120ノット(222km/h)で航続距離2,500カイリ(4,630km)以上、最大速度160ノット(296km/h)以上、高度3,000メートルまで15分以内、魚雷2本搭載可能というものであった。
川西は2桁波形板構造全幅40mのパラソル翼に4基のエンジンを並べ、最大全備は17,500kg以下に抑える構想で設計に入った。頭には1934年に完成していたシコルスキーS-42飛行艇に対抗する意識があったろう。翼、支柱、エンジン配置、双尾翼、艇体も似た配置となった。ただしS-42の航続距離は1,000カイリ(1,850km)ほどだ。
設計は昭和9年11月に開始され、エンジンは空冷星形9気筒700馬力の「光」4基。初飛行は11年7月で13年1月には97式1号飛行艇(H6K1)として採用された。同時に海軍指定の2重星形14気筒「金星43型」900馬力に換装され、これが標準となった。操縦性に優れ、実用性にも優れて海軍を喜ばせた。
さらに「金星46型」1,070馬力にパワーアップされたのが2号飛行艇で、後に改称され22型となった。
22型は97式飛行艇のうち最も多く作られ乗員は9名。翼面積170.00u、自重11,707kg、全備重量17,000kg、過荷重で21,500kg。最大速度184ノット(337km/h)、巡航速度120ノット、正規航続距離は2,590カイリ(4,800km)である。偵察過荷重ならば3,283カイリ(6,080km)を飛ぶ。
搭載したエンジン「金星」は昭和10(1935)年の試作で140mm×150mmのシリンダーを持つ32.34リッターの空冷14気筒である。直径1,218mm、全長1,540mm、重量532kg。きわめて信頼性の高いエンジンで、金星1型650馬力から金星62型1,320馬力にまで発展した。
プロペラはハミルトン・スタンダード金属製可変3翼であるが、フル・フェザーができなかった。そのため1発停止になれば振動で飛行が困難になる弱点があった。
主翼は2桁間を波形板で箱型を形成、外板で覆うボックス型で強度を確保した。この構造は次の2式飛行艇にも採用されている。艇体とは中央4本の支柱と翼中間からの4本の支柱で固定される。中央翼一杯のスプリット・フラップがあった。垂直尾翼は優雅な2枚。
胴体はセミモノコックで2段のステップがあり、川西独特のセオリーに従い飛行艇にしては細い。ビーチング・ギアが装着でき、第2ステップの前にブリスター型の銃座が張り出していた。
飛行艇ながら攻撃武装を持ち、左右の支柱に800kg魚雷、800kgもしくは500kg爆弾が搭載され艦船攻撃ができた。250kg×2、120kg×4、60kg×6のラックを左右に装備して陸上攻撃も意図した。アメリカ流にいえばパトロール・ボンバー(PB)である。
ラバウルに進出した当初、鈍足でさすがに昼間爆撃はできなかったが、ポート・モレスビーに夜間爆撃をしている。
防御兵装は機首に7.7mmが1挺、左右ブリスター銃座にそれぞれ7.7mmが1挺、尾部に20mmが1門である。大型機としてはひどく貧弱だ。そのため、戦闘機だけでなくほとんどのアメリカ機に対抗できなかった。
97大艇には南洋信託統治領への輸送にも期待がかけられ、改造されて97式輸送飛行艇がある。クルー8名、乗客は10〜18名であった。海軍だけでなく大日本航空も使用し、昭和15年から20年にかけて活躍している。97大艇の総生産数は215機であった。
●カタリナ飛行艇
太平洋戦争ばかりではなく、第2次世界大戦の全期を通じ太平洋と大西洋で活躍した飛行艇があった。コンソリデーテッドPBYカタリナである。戦後も永く使われ、今日でも森林消火機として活躍している。
大西洋にはドイツUボートの猛威が吹き荒れている。イギリスは海上交通を遮断されて継戦も困難なほどに追い詰められた。Uボート対策は焦眉の急である。そして最大の回答がレーダーを装備した航空機であった。中でも飛行艇には大きな期待が寄せられ、イギリスもPBYを100機発注しカタリナと命名した。
カタリナに搭載されたのは開発まもないASV Uレーダーで、海上走行中のUボートを捉え襲撃する。ついには昼間浮上走行が無理になる。浮上を夜間にすると今度はリー式サーチライトを装備、レーダーで探しエンジンを絞って無音で接近、突然点灯して攻撃する。失われるUボートがうなぎのぼりになった。
海上交通に脅威となったのはUボートだけではない。仮装巡洋艦やアドミラル・シュペー、ドイッチェランドに代表されるポケット戦艦、中でも本格的な戦艦ビスマルクはイギリス海軍にとって目の離せない強敵だ。
1941(昭和16)年5月26日、イギリス艦隊必死の追跡をかわし、32時間にわたり姿を消したビスマルクを大西洋上に発見、「敵艦見ユ」を打電したのがPBYカタリナであった。
「戦艦1隻。方位240度5マイル、針路150度。ワガ機位北緯49度33分、西経21度47分。起点時刻26日1030」
イギリス主力艦の位置は遠い。なんとかビスマルクの足を止めなければならぬ。止められないまでも追いつける速度まで落とさせる必要があった。
空母アーク・ロイヤルが艦を軋ませ激浪の中を走り、ソードフィッシュの一群を発艦させた。そのうち数機にはASVレーダーが装備されている。そのレーダーが艦影を捉えた。
ソードフィッシュは散開し肉薄する。ところが艦は敵ビスマルクに急行する巡洋艦シェフィールドだった。シェフィールドは懸命に魚雷を回避し危うく同士討ちを免れた。
ソードフィッシュがレーダーに輝点を見つけたとき、味方が付近にいるとは知らされていなかった。てっきりビスマルクと思い込んだのである。
識別には問題があったにせよ、荒れる北大西洋で艦影を見つけられたのはレーダーの威力である。たぶん日本なら、レーダーの効果より同士討ちを騒いだであろうけれど。
折り返したソードフィッシュが再び魚雷を積み、今度はビスマルクの舵に当てた。遂にイギリス艦隊が追いつき、勇戦むなしくビスマルクは大西洋に沈む。
アメリカ海軍はイギリスの成果を取り入れたのは言うまでもない。ASVを装備し全面をつや消しの黒に塗装、ブラック・キャットPBY-5Aカタリナが日本艦艇を捜して太平洋の夜の空を飛ぶ。艦隊を見つけ張り付く。
●情報への意欲
97式飛行艇は4発、カタリナは双発、規模の違いも性能の違いもあるが使用目的は同じである。パトロール・ボンバー(PB)だ。
性能は97大艇のほうが優れている。しかし目的の達成という点でははっきりとした差があった。情報能力の決定的な違いだ。巡航速度も航続力も戦略的な差にはならない。いくら長大な航続力があっても乗組員の人間的な能力を超えることはできない。目視はレーダーの目に遠く及ばないのである。
カタリナが装備していたASVUレーダーは周波数176MHz波長1.7mのレーダーである。36カイリ(67km)のレンジがあり、20カイリ(37km)の人間の視力と注意力をはるかに凌駕していた。夜や霧の中なら差は決定的だ。
どちらの飛行艇も20時間を超える航続が可能であったが、クルーは緊張を維持し続けることはできないから、レーダーの無い97大艇の索敵能力はクルーの視力と緊張維持にかかってくる。精神力で補えるものではない。
昭和17(1942)年8月6日、ガダルカナル反攻の前日、ツラギ横浜空の97大艇はアメリカ上陸船団をかすめて飛行しながら気付かなかった。長時間の哨戒の後であり油断があったのだと思う。レーダーを装備していれば見逃すはずはなかったろう。
天候は曇り所々スコールで難はあったが視界は10〜20カイリである。もし船団を見つけていれば、ガダルカナル争奪戦はまったく違った展開になっていた。この索敵が太平洋戦争の最大索敵ミスに数えられているのももっともだ。しかし隔日ながら6時間以上に及ぶ索敵行が人間の能力を超えていたのだろう、見えなかった。
昭和17年2月20日、ラバウル97大艇の敵艦発見報は虚空に消えた。相手にレーダーがあり97大艇は140km(75カイリ)で捉えられ、接触しようと近づいた機は次々に撃墜された。飛んで火に入る夏の虫である。
能力は相対的にしか存在しない。そして索敵者の人間的な限界を忘れて機種の性能は無く、搭載兵器の性能もろとも機種の能力である。97大艇や2式大艇の自賛は、人間を無視して空虚に聞こえる。
もし設計に携わる人々が装備品は別のこととし、関知しないことと言うのであれば、空しさはもっと大きい。そして97大艇を凡機にした用兵者の罪は大きい。劣っていたはずのカタリナは縦横の活躍をしているのだ。 |