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索敵機は洋上300カイリ(555km)、500カイリ(926km)の広い海面を単機で捜索する。飛ぶ高度が低ければ海面に孤影が映るかもしれない。そしてときには、それが700カイリ(1,300km)にもなる。
たとえれば索敵線は扇の骨である。骨の上を往き、隣の骨の上を帰ってくる。扇の先端で隣の骨に移る線を側線といい、ほぼ50カイリ(93km)を飛ぶ。したがって索敵線が300カイリなら10度ほどの三角形、500カイリなら6度ほどの三角形になる。想定海面が広ければ何本も索敵線を引いてたくさんの索敵機が飛ぶ。
索敵を距離で言えば感覚に訴える力も弱いが、飛行時間にすれば5.5時間、9時間、12時間である。この時間気を張り詰めて海面を捜索すると思えば容易ならざることだ。とても毎日は続かないし、1日おきでも重労働だ。索敵とはそういうことである。
過労になれば注意力も落ちる。「見れども見えず」、何百カイリを飛んでも見落としを考えれば、「敵が居ない」と滅多に安心はできない。
海の上は晴天で視界がよければ20カイリ(37km)ほどが見える。雲があり雨が降れば索敵に空白ができる。夜になれば打つ手が無い。目視に頼る索敵は不完全だと承知しなければならない。それをひたすら訓練を積んで補おうとするのは、誰かが何かを放棄しているからにほかならないだろう。
戦闘は「発見」「占位」「攻撃」「機動」「離脱」で成り立つ。「発見(索敵)」は勝つための最初の条件であり最大の条件でもある。「奇襲」に意味があるのはそのためだ。敵を知らずに作戦をしようとするのは用兵に根本的に欠落がある。
日本は情報に関し不具者である。ではあるが、実は確固とした評価の基準があった。発信者の「WHO」が最大の根拠になっていたのである。この判断基準は権力を行使する側の「依らしむべし知らしむべからず」という基本理念に対応して成立する。
かわりに権力の側は安定と秩序、平和を保障してきた。だから評価基準は「依る者」の唯一の智慧と考えれば納得がいく。ブランド志向も、有名デパートの繁盛も、メーカー頼りも、見事なばかりに軌を一にしている。製品や内容はともかく、製造者や発信者の「WHO」だけを基準にしていれば良かったのである。
しかし情報の根本的な要素は「WHAT」である。「WHO」を基準にするには前提があってのことだが、400年も経てば忘れて当然だ。にわかに自己責任が声高に言われても「WHAT」を考える智慧も出ない。ましてや「WHEN」や「WHERE」など思いも付かない。
かつて日本海海戦のとき、「敵艦見ユ」の電文が入り「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」が付け加えられていた。この情報について時の海軍大臣山本権兵衛は「美文よろしからず」と言ったが、大本営参謀たちはとっさに日本艦隊有利、ロシア艦隊不利と受け取った。波浪の中での砲弾命中率を読み取ったからである。
たとえ巨艦といえども波浪の中では揺れる。通信文は今日の天候気象によって命中率は下がるが、徹底的に射撃訓練をした日本連合艦隊は低下が少なく、長途に疲れたロシア艦隊には大きいとの判断が含まれている。読み取った情報を「美文」と取るか「天佑我にあり」と取るかは、受けた「WHO」の情報解読能力の差であった。
情報は受信者の能力も要求する。能力が無ければたくさんの情報も無きに等しい。山本権兵衛ほどの男でも秋山真之の必死の情報が読み取れない。骨がらみの日本人であれば「依る者」としてしか能力が無く、取捨選択もできず分析もできず、ゴミみたいな情報の海で溺れるだけかもしれない。
工業化社会の後には情報化社会が来る。たしかにこの50年、日本の技術は世界の先端を行けるようになった。工業化までは成功したが、情報についての日本人は特殊な思考をするのを忘れてはならない。
孫子は敵を知り己を知らば百戦危うからずといった。情報の価値を最もよく表現したものだろう。世界に遅れず、世界の先頭に立って社会を運営していくには自らの弱点を承知して努力することが必要だ。情報音痴はこの国の弊なのである。徳川以来400年、依らしむべし知らしむべからず、が歴史であったことを忘れられならない。
索敵はこの民族的習性を余すところなく伝えている。 |