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クルー ■08.14.2003
初めてヘリコプターで日本海を渡ったとき、会社全体が緊張した。会社開闢以来の渡洋飛行であり、世界の歴史始まっての出来事である。機種航続距離の2倍を飛ばねばならず、おまけに利用できる航行援助施設が無く、大半を推測航法で飛ばねばならない。社長も専務も平静ではいられない。
なにより戦慄させたのが韓国の空域を横切っていくことだ。朝鮮戦争が遙か昔のこととはいえ、当時中国はまだ北朝鮮と共に、韓国にとって敵国である。中国との境界を黙って通してくれるはずがない。日本とのFIRを通過した途端、戦闘機の邀撃を受ける可能性があった。政治的な問題に巻き込まれないようにしなければならない。
飛ぶベル212は15人乗りである。必要な燃料を積むために増槽を付けたら、3人しか乗れない計算になった。それでも重量はぎりぎりである。
飛ばすほうから考えても、パイロット2人整備士1人は最低限のクルーだ。1人が操縦、1人が航法、1人が燃料管理である。増槽は臨時に付けたから燃料計がない。誰かがディプスゲージで計らなければ残量が分からない。もし算定結果が2人になったら、パイロット2人で飛ぶことになったがさぞ苦労しただろう。
重量がぎりぎりだからディンギー(救命ボート)を下ろした。下ろしながら考えた、これでは帝国海軍ではないか。どうも日本人、発想は時代が変わっても同じになるらしい。保命がどこかに行ってしまうのだ。しばらく考えて燃料の5ガロン缶を10本積むことにした。使い終わった後は筏になるだろう。
保命といえば水と食料。3日分くらいが欲しい。それを用意して「オレが預かる」と言ったら、てんで2人が承知しない。「ミヤタさんはそそっかしい。ディッチングしたとするでしょう。その時『アッ』とか何とか言って落とす」、「そんなの厭ですから」。
保命でもうひとつあった。エマージェンシー・ロケーターである。どうしたいきさつか忘れたが、電波監理局の検査を通っていない。係りが来て、だからダメだという。
「発信したら逮捕されてしまいますよ」
「嬉しいねぇ。東シナ海の真ん中で、電監が真っ先に逮捕に来てくれたら嬉しくて涙が出るねぇ」
スリルとサスペンスドラマで無事に上海に着いた。ところが中国民航、今度は天津まで空輸してくれと言う。打ち合わせの時、内陸は国防上の理由により外国パイロットには飛ばせられないと言っていたのに、わずかの間に不意打ちだ。人治の国はアテにならない。
しかも言われたのが到着したエプロンでのこと。そこで地図を広げた。ジェプソンの地図だ。指定された南京も済南の空港も載っていて、「OK」と答えたら周囲が険しい。
「何でオマエがこんな地図を持っているのか?」
「こんなの世界中で売っている。買えないのは中国だけだろう」
ある種の国では、地図は一級の国家専管品である。幕末にシーボルト事件があったし、第2次世界大戦が終わるまで日本も、帝国陸軍の専管事項であった。この国もまだそうなのだろう。
自由とは何か、地図を囲んでいる人たちがすぐ悟った。雰囲気がたちまちに溶ける。百聞は一見にしくはない。
「でも南京や済南でタワーにどうやってコンタクトするのです? 英語は通じますか?」
「中国民航のナビゲーターとラジオ・オペレーターを同乗させます」
「でも座席は外してますよ」
「なあに箱にでも座らせますよ」
さすが共産独裁の国である。次の日ほんとうにナビゲーターとラジオ・オペレーターが来て握手。上海から乗った整備士のケンちゃんを含め、クルーがいっぺんに6人になった。もちろん燃料は本来のタンクだけでいい。
上海を離陸して肩越しに紙切れが来る。紙にはヘデイングと高度が書いてある。振り返るとナビゲーターが親指を上げて笑い、僕もサムアップして答える。
「おい、この諸元で飛べってょ」
「へぇ、やたら高度に端数がありますねぇ」
「メートルを換算してるのだろ」
眼下に中国悠久の大地、左下には太湖が広がり詩情をかき立てる。天気は抜けるほどの青空だ。指定高度が6,560フィート(2,000m)、夏とはいえ涼しい。まさに快適な飛行である。
突然ラジオがやかましい。どうやらこの機が送信しているようだが意味は全く分からない。また振り返ると今度はラジオ・オペレーターと目が合う。
しばらく中国クルー同士が会話していたが、ナビゲーターが紙をくれた。新しいヘディングと高度が書いてある。なるほど、クルーはちゃんと職務を果たしているわけだ。
それにしても指示される高度がヘリコプターらしくない。9,840フィート。常州のあたりで反航して来たミル8はゆうに12,000フィート以上はあった。超過禁止速度や性能はどう理解されているのかしら。
交信し筆談し、和気藹々のうちに事南京空港に着いた。中国クルーがフライト・プランも手はずは全てやったから良いと言うが、ウエザーを知らずに飛べるわけがない。ブリーフィングを受けたいと言ったら困った顔だ。それではと気象室に案内してくれたら大体は読める。職員が熱心に説明してくれて、ラジオ・オペレーターが一生懸命通訳をしてくれた。まさか分かるとは言えなかったので、感謝して離陸した。
南京から済南、海岸を迂回して飛ぶ。たぶん国防上の理由とみた。中国で軍歌は法度と聞いていたが、右手遠くに徐州が見えてきたときは、遂に「麦と兵隊」を口ずさんでいた。あの辺りの何処か、叔父が徐州作戦で歩いたはずである。
済南の手前に泰山がある。午後3時頃で雄大積雲の柱が立ち、烈日を返して光っている。その間から泰山が見えた。歴代皇帝も登る山、是非あやかろうと思ったが、ナビゲーターの渡してくれるヘディングとはひどく違う。
黄河が見えて済南空港が見えて、遂に皇帝の真似ごとはできなかった。
済南空港では国際混成クルーの頭上をミグ19のエシェロンが駆け抜け、引いているバンナー(標的)を落とす。こりゃあ戦闘機基地だ。
時刻は4時、まだ天津までの航程があるというのに歓迎会である。滅多にないのだろう中国クルーは嬉しそうだ。なにしろ円卓を囲み、豪華な料理とビールである。まだ飛ばねばならないと固辞するが、乾杯乾杯に心底参った。
天津までは強引に1,500ftを要求して飛んだ。これがヘリコプターの飛行である。10,000ftは似つかわしくない。
天津について中国クルーと別れるとき、僕らは彼らに感謝を伝えるすべがない。咄嗟にかぶっていた帽子を差し出し、彼らも快く受け取ってくれた。
それから数日が過ぎて、中国側に機体を引き渡し、僕らは北京から中国民航イリューシン62の客になった。搭乗すると驚くなかれ入り口にナビゲーターが居る!
彼氏も驚いたろう感激の握手。機内に駆け込んでラジオ・オペレーターを引っ張ってくる。オペレーター氏何事ならんと付いてきたら僕たちが居た。またもや感激の握手。続く客が怪訝な顔だ。
僕たちの席を見るや荷物を持ってついて来いと言う。1等席に座らせ心配するなと言い、スチュワーデスに何やら申し渡すと仕事があるからとコクピットに帰っていった。中国機に乗ってこれほどのサービスを受けたことはない。
成田でも、「僕たちの中国クルー」の見送りを受けて機を離れた。
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