上昇反転 ■12.28.2002

ハンマーリング・ターンはプロのヘリコプター操縦士に必須な操作である。低空バックサイドで、まったく無意識にこのターンができなければならない。

いつかヘリコプターの仕事が計器飛行ばかりになっても、ハンマーリング・ターンは操縦士にとって欠くことのできない操作であり続ける。できるのとできないのでは決定的な違いである。操作は必ず操縦士を救う。

ハンマーリング・ターンは手始めに上昇反転から習う。機械的にできる部分があるからだ。ただしいきなりバックサイドからは難しいので、時速60マイル(哩)が開始速度だ。高度も少し高めで対地100フィートであった。

畦道を選んで真っ直ぐに飛び、60マイルから機首を起こしてラダー・ペダルを水平線まで持ってくる。ベル47は足下まで見えて、ほんとうにラダーを水平線に重ねることができるのだ。姿勢はほぼ45°機首上げになる。

待つことしばし、速度が20マイルを切ったところで風上側のラダーを踏み込んで反転する。45°の傾斜面で、バンクを効かせてホバリング・パイロンをすると思えばいい。極端に言えばホバリング・ターンをするつもりだ。

右ターンではローター・トルクで機首が落ち、左ターンでは機首が上がってしまう。操縦桿を支えたり押さえたりし、畦道を100フィートで帰る。機速に応じて足が踏み変えられれば合格だ。

ラマスくん右足を踏み込み、機首が10°ほど振ったところで風下側にターンしたと気が付いた。風下ターンはセットリングの可能性があるから禁止されている。慌てて足を踏み変えようとした。

ターンが逆だ。風が弱いからいいようなものの、こいつは難しくなるぞと思ったら踏み換えだ。危ない!

機速が死んでいるからそれは間に合わない。テール・スリップの虞がある。それにしては決定的に高度が足りない。とっさに喚きながら操縦桿を取り右足を踏み込む。しかしラマスくん、失敗に動転して惑乱した。手足を離さない。

ラマスくんは屈強な若者である。ラダーの蹴り合いも容易ではない。

世の中どうしてこうなるのか。泣きっ面には蜂が刺す。前の晩、階段を踏み外して右足を捻挫していた。その痛い足でラマスくんとの蹴りあいだ。思わず涙が出た。が、四の五のは言っていられない。

それでもなんとか右に機首を落とせたが、なにせ対地は100フィートと少し、みるみる地面が迫って来る。こんどはラマスくん機首を起こそうとする。僕は突っ込む。操縦桿も奪い合いになった。機体を水平にし、機首を起こしたらパワー・セットリングが待っている。地面に叩きつけられるだろう。

大地は目前にある。機速がつくのが早いか、地面にどっつくのが早いか。しかしここで機首を起こしたらプロじゃない。危機迫る!

地面すれすれでたて直し、畦道をかすめて走る。心臓は高鳴り、ほんと教官は楽じゃあない。ふだんは腕を組んで我慢するが、ときにはせっぱ詰まって怒鳴る。

上昇反転はハンマーリング・ターンの入り口である。ここを卒業しないとヘリコプターのバック・サイドが分からない。それにしても足が痛かったなぁ。

教官が喚き訓練生が汗をかき、潰れてしまいそうな自尊心を必死になって支える。支えきれなくなればそこが終点である。支えは教官に対する信頼感で決まる。信頼感に陰がさせば、ついて行くことができない。

操縦士になれなかった多くの訓練生は、教官への信頼感を維持できなかったからだと思う。操縦訓練はたぶんに人間くさい。


カケ違い■12.20.2002

ニュウタバル(新田原)は一瞬日本の地名かと戸惑う。そのあと九州らしい読み方だと納得する。宮崎空港の北隣にあって、ランウエー・エンドが急に落ち込んでいる。まるで航空母艦みたいな飛行場だ。ここで乗ったのがT-33。

飛行機も昨日まで乗っていたムカシ型ではなく、ピカピカのジェット機。しかも少し前までは戦闘機で、感動的に視界が良く、チビの僕でも黙って前が見える。おまけに落下傘が背負式だから特製の背当てを持って歩かないで済むのだ!

ただエンジンの加速がびっくりするほど悪く、ゴーアラウンドは12秒も待たなければならない。その間ラウンドアウトは続け、フルスロットルなのに間が抜けている。後で知ったのだが、初期の頃、そうは思わぬベテランをかなりたくさん殺したらしい。知らぬが仏はハッピーだ。

初めから訓練生は僕はひとりで、心細いことおびただしい。出来が良いのか悪いのか、相棒がいないからさっぱりと分からない。しかもよく教官が替わった。

飛び始めていくらもしない頃、ガンさんが後席に乗ってきた。ガンさんはアシスタント・コマンダーで、さてはまた僕、問題児なのかも知れない。

ガンさんはメーネさんと同期生。コールサインは「ガナリー」。銃がどうのということではなく、自分の名に引っかけて「がなり立てるぞ」という宣言だと思う。

それがまるでがならない。2回ほどタッチ・アンド・ゴーをしたらランプに帰れと言う。あーあ、やっぱりダメなんだ。止まるとき、ブレ−キで機首が沈み意気も沈む。

そしたらガンさん「エンジンは止めるな」と言いジープを呼んで、とっととモーボに行っちゃった。何が何やら僕ただ呆然。

整備士がハンド・シグナルをしている。ランプ・アウトしろとの催促だ。せかされるままランプ・アウトをしてしまった。

着陸はまだ33回、ソロのはずは無い。しかもクラスで1番のはずも無い。さっきは本当に自分で着陸してたのだろうか?

不決断にタクシー・ウエーを転がしながらまったく自信がない。チップ・タンクまで無心に揺れて薄情だ。

さりとてここで泣き言はない。ままよ男の子、覚悟を決めて飛んでやろう。

スーパーバイズド・ソロは、モーボの前で100%チェックをラジオ・コールする。僕はやおら踵でブレーキの頭を踏みつけ、沸騰するエンジンを読んでいく。見るとガンさんモーボで腕を組み、ポーカーフェイスでこっちを見てる。「レッツゴー!」

T-33のトップ・ソロはまともに育たぬジンクスがあるらしい。僕も妙になった。課目は順調でどうってことはないが、飛んでも楽しくない。フォーメーション(編隊飛行)が始まり仲間は興奮してるのに、てんで気持ちが弾まない。

T-33の関所はフォーメーションだといわれていた。無事なら卒業まちがいないから、誰もが一喜一憂騒いでいるのだ。しかし僕にはT-33のフォーメーションが苦労でない。ノーマル・ターンなら初めから着いていかれた。

難関のピールオフ・リジョインの初日、ハマド教官がデモして次は僕。長機がピールオフして3秒を数え、後を追ってジョインナップしていく。おおむね270°回ったところでポジションに入れた。

すぐまたピールオフ。また270°あたりで定位置に着く。その時ハマド教官、「あなた操縦してるのですか?」

その日にコマンダーに退職を申し入れた。

たぶんガンさんがずっと教官でいてくれたら、僕はファントム・ドライバーになっていたかも知れない。それともマル4で殉職してたかな。

人間関係はアートである、ウエスト・ポイントの教科書にはそう書いてある。師弟は最も原初の人間関係であり、直截な信頼で繋がっている。信頼の出来上がり方が単純であり壊れるのも単純だ。成否がきわめてはっきりしている。

パイロットには特別な資質があることになっている。たしかにその通りなのだが、教官との人間関係も無視はできない。エリミネートされた訓練生の中の多くのは、教官といい人間関係を作れなかった。

アメリカ陸軍でエリミネートされ、あらためて海軍に志願したパイロットの話や、カナダ空軍でパイロットになった話はたくさんある。しかもエースになったりしているのだから人間関係はおろそかにできない。師弟の関係はどいうふうに出来上がるのだろうか?


蛍の夜■12.10.2002

T-6テキサンもT-34メンターと同じで、マツちゃんとテツちゃんと僕が、同じ教官のグループである。教官はマモットさん。またPISが終わったばかりの新米教官である。

防府ではマツちゃんはデキが良くてトップソロだった。そこで落ちこぼれ2人とは別にグループを出された。朱に交われば赤くなる。だからグループを出されたのだろうが、ここでは下手なのに僕が出された。

T-6はムカシ型飛行機だ。メンターと同じ巡航速度のくせに重量は倍もあった。おまけに尾輪式だから引き起こすとでっかい星形エンジンが機首を占領する。前が見えない。とびきりチビの僕には、はなはだ具合が悪い飛行機である。なにしろエンジンのR-1340は直径が1,315mm、零戦のエンジンより太いのだ。部屋のプラモによれば、図体は2式単戦鍾馗よりも大きい。僕は特製の背当てを抱え、機体をよじ登る。

抱えたでかい背当、落下傘を腰に揺らしてランプを歩く姿はさぞや滑稽だったろう。今でも同期会には思い出して腹を抱える奴が居る。

それだけでもハンディなのに、何の因果かソロ直前にグループを追い出されて教官が替わった。

新しい教官のモーリャさんは佐官で基地の安全幹部である。教官は片手間のアルバイト、訓練生は僕ひとりで、飛ぶ直前にみえられ、訓練が終わればあまりごちゃごちゃせずに帰ってしまわれる。みんなが教官のブリーフィングを受けているとき、僕は孤児のようにひとりでポツネンとしていた。

ある木曜日の搭乗割の僕の欄はソロと書かれていた。だがその日はあいにくの雨だった。次の日も雨で、航空自衛隊の訓練は土曜日曜に飛行が無い。月曜日におそるおそる搭乗割を見るとアシスタント・コマンダーのチェックになっていた。間があきすぎた。

いきなり最初のアプローチでアシスタント・コマンダーが喚く。僕は何がなんだかわからない。普段と同じにできて安心し、喚かれる理由がわからない。哀しいことに最後までどうして良いかわからなかった。報告にコマンダーが口を歪め、僕はマモットさんに返された。ソロは取り消しだ。

「ミーヤタ、手足を離せ」「100回超えたらバカだぞ」。アウトになった者は去り、皆ソロに出たっていうのに、防府のメンターのときよりもっと悪く、僕はこの期に及んでマモットさんのデモを受けている。ナンテこった!

マモットさんも焦っていたろうが言葉にも態度にも、おくびにも表さない。平家蟹のような体躯が悠然と笑い「遊びに来い」と言う。涙が出るほど信頼が嬉しい。

師弟は原初な人間関係である。親子のような因果もなく、どのように信頼が芽生え育つのだろうか。たとえそれは分からぬにしても、信頼されて期待に応えなければ男ではない。

奥さんの手料理でマツちゃんもテツちゃんも僕も、したたかに飲み、笑いさざめきながら夏の夜道を与太って帰った。稲が夜を描き、蛍が飛んでいた。

ソロに出たらまたモーリャさんになった。モーリャさんはニコニコして後席に乗り、タッチアンドゴーを3回したら「ソロで飛んで」と降りてしまわれる。

スーパーチャージャーを効かせ富士山めがけて昇っていき、僕のT-6は天国だった。お陰というか因果応報というか、また30時間チェックは散々なていたらくで、またもマモットさんに返された。申し訳ありません。

ある日オオクズレ上空でマモットさんスロットルを絞り、フォースト・ランディング。たまたま前日は違う教官で、同じ場所、同じ高度でフォースト・ランディングがかかった。絵に描いたように静浜に滑り込んでお褒めを頂戴したばかりである。「来たか長サン待ってたホイ」

ところが今日は向かい風が強く、柳の下にドジョウは2匹いなかった。高度を失ってファイナルで低いから、「フラップも出しません、脚も降ろしません」と後席に声を掛けアプローチした。

突然にモーボ(移動指揮車)が喚きだした。「シップ オン ファイナル スティル ユウ ハブ ノーギア ゴーアランド!」

フライト・ルームに帰るとアシスタント・コマンダーが真っ赤になって怒っている。
「ピンク!」
「フォースト・ランディングで低かったからギアを降ろしませんでした」
「ピンク!」

ソロの時もそうだった、どうも僕はこのアシスタント・コマンダーと相性が悪い。直立不動起立している僕にマモットさんが言う。「まあ座れ。判断は間違っていなかった」

黙ってピンク・スリップを書くマモットさんの目が悲しそうだった。

「ミーヤタ、最後まで付いてきたら奢るぜ」。テツちゃんとマモットさんが乗ったT-6は真夏の陽を跳ね返し急機動で逃げ回り、60°バンクで相模湾に突っ込んでいく。僕は楽々とトレールで追っていき、「ダダダダ」射弾の口真似をして「撃墜!」。

その晩もマモットさんとマツちゃんとテツちゃんと僕と4人、果てしなく飲んだ。蛍が飛んでいたかどうかは覚えていない。