家族 ■06.04/2002


子煩悩だった若い友人が、最近わが子を亡くした。昨夜まで元気だった子が、次の朝には冷たくなっていたそうだ。問題になっている突然死であったらしい。葬儀のときに悲しむ若い夫婦の姿を見ていて、家族の絆を思った。まだ2歳にもならない子の、遊び道具が並べられた斎場は参列者の涙を誘う。始めから嗚咽が絶えない。

▼水害

新潟の北部が大水害に見舞われたことがある。新発田が孤立して、炊き出しを新潟から運んだ。わずかにヘリコプターが着陸できるあいたところが鉄道を跨ぐ陸橋だけで、航空自衛隊のS-55と一緒に飛んだ。

機種はKH-4、初夏の暑い日が昨日までと打って変わって厳しい。グランドが狭くてS-55には気の毒な広さで、観客席が高いから離陸できないそうだ。やむなく真っ先に離陸し空き地を作ってやった。

だが4機が追い越してくれない。打ち合わせと違う。振り返るとおとなしく付いてきて、編隊の長機になってしまった。

気を揉んでも仕方がない。一番で着陸したが、後の機体が着陸できるようにと、もう水がそこにあるぎりぎり前に進んでパークした。

当然傾斜している。続いていたS-55には車輪が付いている。転がってきてひかれやせんかと、つまらぬ心配が浮かぶ。陸橋の上に、ちっぽけなKH-4と大きな図体のS-55が一列に並んでいる図は想像すると滑稽だ。

▼義をみて水上機

また金魚のウンコみたいについてこられたらたまらない、弁当はS-55と同じ量だけ積んでいたが、KH-4の荷役ははるかに易しいから義理はない、編隊を振り捨ててさっさと飛び出した。

小学生の頃水害にあったことがある。水に浸かった稲は品質が落ち、収穫のときにお百姓さんは苦労する。大変だろうなと思い、夏の日が照る眼下の水田も、早く水が引けたらいい。

しばらく飛ぶと一艘の田舟に逢った。新発田に向かっているが様子がおかしい。竿さす男がただならぬ身ごなしだ。必死に漕いでいる。

スパイラルに入れて近づくと、竿を操っているのが父親で、母親が胸に子供を抱いている。艫には祖母だろう老婆がいて、必死の面持ちでヘリコプターに手を差し伸べている。すぐ子供が病気と分かった。水害のうえきっと子供が急病で、新発田に急いでいるのだろう。航空法には違反するが、義を見てせざるは勇無きなり。

しかし一面の水害である。ヘリコプターが着陸できそうなところは何処にもない。しかしそこはそこ、ヘリコプターにできないことはない。浅そうなところを探すと、水深が30cmくらいの農道を見つけた。きれいな水底に草が静まりかえっている。ホバリングしゆっくりとピッチを下げる。ドアを開け、誘導する整備士が腹は漬かないと顔を上げた。

▼父親奮闘

父親が懸命に竿を操って近づいてきた。ここは冷静に行かないと行けない。

目と目があったとき、僕がローターを指さし、次に竿を指さすと、意思は電光のように伝わり、父親は大きく頷き竿を平らに漕いでくる。こんなときはすぐに分かるのだ。必死の父親は超人のようにひらめく。

船がヘリコプターに横付けになり、整備士が手を貸し、しっかり子供を抱えた母親が乗り込んで来た。僕が父親の目を見る。頷くと父親は背を低くしてヘリコプターを離れた。

船が十分離れたところで離水する。父親が何度も頭を下げ、艫の老婆が手を合わせている。ホバターンをしながら高度をとり、新発田に向かった。

家族ってほんとうにいいものだ。

▼後に続くものを信ず

このあいだクローズアップ現代という番組で、NHKがキャリアーウーマンの結婚願望を取り上げていた。登場する人たちには美醜にかかわらずそれなりの魅力がある。言うことも切れる。さすが社会で成功を収めていると納得も行く。でも願望は叶えられないだろう。

突然だが、スティーヴン・グールドが亡くなった。はなはだ残念だと思う。大好きな進化論者だったのである。ダーウィン派で自然淘汰を豊かに述べる。

結婚も家族も進化の極小分子だと思っている。昔流に言えば血を繋げていくことだし、今風に言えばDNAを繋げていくことだ。結婚をしないということは淘汰される側を選ぶということになるし、環境適応ができないことでもある。

ひきかえ家族はDNAの繋がる確かな証である。老婆は過去で、親は現在だ。懐に抱かれた子供は未来である。過去も現在も、未来に向かって必死に竿を差し、だから家族は無条件でいい。ヘリコプターが空から舞い降りて来るのは付録に過ぎない。老婆が手を合わせたのは彼女の信心だ。

鎌倉の昔から、日本人は後に続くものを信じた。どちらかを選択しなければならなくなったとき、従容として未来を選んだのである。鎌倉武士のすがすがしさだ。以来日本人の民族性になり、つい最近まで美徳として生きていた。

クローズアップ現代に、未来より現在を選ぶ女性が登場し、溌剌としてなぜ現在なのかを得意の頭脳が説明している。画面の赤い唇を見て思う、嬉々として淘汰される側を選ぶこの国が始めて持った新日本人だ。


スエジロさん ■05.11/2002

会社で最初に会ったのがスエジロさんであった。失業中の僕は、ヘリコプター会社がどうやってパイロットを作っているのか聞きに行ったのである。昭和36年の春であった。応対してくれたのがスエジロさんだ。民間には方法がないらしい。

ところが次の日採用の電報が来た。「なんだこりゃ」。縁側で針仕事をしていたお袋が、眼鏡越しに見上げ「袖すりあうも多少の縁」とつぶやく。

▼空き地

ソロに出て間もなく、突然教官が仕事に狩りだされて出張してしまった。小さな会社だからときたま教官の都合がつかなくなることがあり、会社は急性教官喪失症になる。訓練の歩留まりは悪くなるが、貧乏会社は致し方がない。

何がどうしてなのか僕にも説明できないのだが、ファイター・パイロットになるつもりが小さいヘリコプター会社で操縦を教わっている。もちろんヘリコプターだ。ジェットとのつながりが理路整然と説明できない。縁は異なものなのである。

スエジロさんはスーさんと僕、2人の訓練生をソロ互乗で飛ばせてくれと教官に頼まれていた。これがスエジロさんを喜ばせる。今でこそスエジロさんは事務方だが、元陸軍航空士官学校で操縦教官を12年もやっておられ、この道の超オーソリティだったのである。

スエジロさんには長い戦後の空白も消え、張り切って2人にエンジン始動を命じ、さっそうと所沢を離陸した。所沢は航空発祥の地だし、スエジロさん教官を務めた思い出の空でもあるのだ。

狭山の上空にさしかかったところでスエジロさん、小さな空き地を指さして着陸を指示する。そして接地するやタッチ・アンド・ゴーをやれとおっしゃり、さっさと降りていった。

操縦していたのは相棒のスウさんで、僕は重しの代わりに教官席に座っている。

くだんの空き地を離陸してトラフィックを廻り、ファイナルに乗ったら心細いほど着陸点が狭い。おまけに立木もあれば側には小屋まで建っている。スウさんも同じ思いであったらしくいささか自信に乏しい。地表100フィートくらいでさっさとゴーアラウンドした。2度目も、どうしてもパスに乗れずゴーアラウンド。3度目も同じである。下ではスエジロさんが盛んに着陸の合図を送ってくるのだが、いかんともなし難い。

僕は「こりゃ駄目だ、帰ろう」と無慈悲なことを言ったが、律儀なスウさんは鼻の頭に汗をうかべ、5度目のトライで遂にスエジロさんと感激の再会をすることができた。

スエジロさんは空で何が起きていたか分かっていたと思う。ニタッと笑ってそのままヘリポートに帰ってきた。文句も言わなければ叱りもしなかった。

▼男は馬力

ある日の夕方、スエジロさんに「ついてこい」と言われて築地の料亭に行った。相手は商社で機体を買う商談のツメである。

それなら資材の担当者が役目ではないか。ライセンスひょこひょこのパイロットの僕が、同席するのは見当はずれだ。文句を言うと怖い目で、「黙って見てろ!」と睨まれた。

丁々発止の駆け引きがあり、手打ちをして酒になった。「乱れるな!」

しばらくするとそっと財布を渡され「勘定をしてこい、商社には奢られるな」

忘れていたがこの時スエジロさんは常務取締役なのである。たぶん僕は、この人からいちばん人格的な影響を受けたのだろうと思っている。受けたくなくてもスエジロさんは勝手にやってきて、組織もへったくれも無く、有無を言わさず無茶苦茶な要求をなさる。誰にも知られない特命をずいぶんやらされた。

「男はエネルギーだ、効率は考えるな!」
「繰り返し繰り返し行え!」
「10年先を考えろ!」

▼短気は損気

スエジロさんにはおまけが付いていた。モノ書きである。詩を書き小説を書く。そして煽て、それを僕にも強要なさる。

秋田に転勤していたとき、手紙を書くと朱が入って返送されてくる。曰く、こんな日本語はない。くそったれめ!、手紙を書かなくなった。そうしたら出した報告書に朱が入って返ってくる。しまいには業務日誌まで朱が入っている始末だ。だいたい会社の業務日誌を送り返す上役って何だ!。

反抗ばかりしていたが、いつのまにやら書くのがおっくうでなくなった。以来ものを書くのはやむをえない時だけにした。だがしかし、あの時素直にスエジロさんに師事していたら、今は物書きで食えたかもしれない。

▼葬儀

スエジロさんが亡くなった。86歳であった。通夜の席にスエタロウと札がかかっている。間違えるはずはないし呆然とした。ニシさんにそっと聞いてみたら戸籍上の名前はスエタロウですと答える。でもいきさつは知らないそうだ。

葬儀の最後に親戚の挨拶があった。

スエジロさんの教え子たちはフィリッピンや沖縄の地で特攻に果てた。人一倍血液量の多いスエジロさんには耐え難い思いであった。やがて命令が来た。教え子たちで一隊を組み、その隊長として8月20日に出撃する。たぶん遺書も書いたろう。

しかし戦争は15日で終わった。スエジロさんは死ぬことができなかった。スエジロさんは自分で自分に引導を渡し、戒名をスエジロウとした。そして50年、いきさつは誰にも話さなかった。

遺影はまじめな顔をしている。空き地で手を振ってたスエジロさん、目を怒らせていたスエジロさん、日本最後の男だったスエジロさんは「普通にやれ、それがいちばん難しい」、そう言っているようだった。


旗を振る ■03.21/2002

弥生式稲作は共同作業である。共同でしなければならない理由があるのだ。1枚の田は1日で田植えをしなければならないし、同じ品種はなるべく同じ日に田植えをしたい。成長がばらばらではなんともならない。だから人手を集めて集団で作業する。少なくても田植えと刈り取りは共同になるのだ。一列に並んで田植えするのは日本の原風景なのである。早乙女たちが裳裾を濡らして玉苗を植える心情が日本を作った。

誰の田から始めるか、どの田から始めるか。

▼変わり者

だからといって変わり者はいる。列に入るのが厭なのである。

あるとき土手がヘリポートで、見晴らしが良く散布地全体が見えた。もちろん監視のオートバイなぞない。しかるに燃料補給をしているときにオートバイが来て、「オラトコのタンボにクスリがかからない」とオソロシイ剣幕だ。誰の目にも見えていたはずなのに黙っている。気の弱そうな責任者は下を向いている。しかたなくまた撒きに行った。

しばらくするとまたオートバイが来た。あの人は毎年そうなのだと耳打ちしてくれる人がいて、集落の人間関係がわかった。純朴であるはずのここ東北でも、仲間に見放された変わり者は居たのである。

「わかりました。それなら旗を持っていって下さい。旗を振ったところを撒きます」

くだんの人、自分のタンボで旗を振っている。平坦な散布地だからここが駄目なら全部駄目だ。訳のわからぬ手合いである。ゆっくりとアプローチしクスリを出した。

クスリを撒きながら頭の上を飛んだら、くだんの人、これはかなわぬと逃げる。そのつもりは無いのだろうが旗が揺れて、約束どおり旗が振れればボクは撒く。逃げ回る後ろをモウモウとホバリング移動しながらヘリコプターが追いかけて、オジサンはクスリだらけになった。ついにオジサン旗を放り投げ頭を抱えて逃げる。約束だからクスリを切った。

大人げないことをしたと思ったが、ヘリポートの人たちが手を打って喜んでいる。日頃の溜飲が下がったのだろう皆親切にしてくれた。

ヘリコプターは鼻つまみまで見えるのがおかしい。

▼地域の気質

いつの頃からだったのだろう農薬散布にオートバイがツキモノになったのは。ようするに散布に信用できない心が、ご苦労様に朝露の中を走り回っているのだ。

そのころ東北地方が専門だったが、それがどうした風の吹き回しかあるとき岐阜に飛ばされた。大いに好奇心を満足させてくれたのはよいが、行く先々をオートバイが走る。純朴な東北から来て、はじめは何のことだったか分からなかったが、ボクが真面目に散布してるかどうか、監視に走っていたのである。さすがは中京地方だ。

燃料補給をしていたら、血相を変えた髭面のオッサンが来て、どことかのタンボを撒かないと怒っている。地図で聞いたらはじめに撒いたところだ。周囲の風景を言って、そこは撒いたと説明したがてんで承知しない。それならと補給を終わって撒きに行ったが、しばらくすると烈火のごとく怒って飛んできた。いくら待っても来ないと言う。「オートバイよりヘリコプターのほうが速いから、そんなにいうなら先に行って下さい」と頼んだが、離陸するまで睨んでいる。処置がない。

もちろんヘリコプターのほうが速くて、また真っ赤になったオジサンが走り込んできた。マンガみたいだけれどホントの話である。後で聞いたら自分の田だったそうだ。

▼信頼

弥生式稲作は自分が柱で親戚縁者とご近所で成り立つ。どこの馬の骨だか分らぬよそ者は信用できない。内か外かで計れば、ヘリコプターは明らかに外なのである。それなのに大事な虫追いの行事を任さなければならないのだから、髭面のオッサンも旗のオジサンも気が気ではなかったのだろう。

いささかエキセントリックではあったが、日本の信頼がどういうように成り立っているのか教えられるところがあった。ただ情けなかったのは、自分の利害に結びつかなければとたんに濃度が薄くなることだ。