「宮田豊昭の部屋」

達人の鳥類誌 / No.002


渋川の岩燕 ■05.11.2001


いまの時代、渡り鳥と言えば誰でも白鳥や鶴を思い出す。あるいはカルガモを考える人もあるだろう。

でもそれほど昔でなかった素朴な時代、渡り鳥はツバメが代表していたときがあった。 変化はたぶんテレビの影響だろう。倣岸な商業主義が変えてしまったに相違ない。

鶴や白鳥はいかにも絵になる。姿形は良いし、仕草も優雅だ。しかも秋に来て春に帰るのも、干からびた現代人には受ける。野も山も枯れた中での姿映りはよい。特に雪や氷の張った湖なら、バッチリ決まる。

ツバメは春に来て秋に帰る。田も山も一斉に緑になって、目を喜ばせるものはたくさんあって、なにも黒くて小さな見栄えしない鳥に興味を持たなくても済む。

ツバメに関心があったのは、ツバメが害虫を補食する益鳥だったからだと思う。国民の80パーセントが農民だった頃だ。親か祖父母、つい昨日のことだ。

いまどき益鳥なんて言葉が生きているのだろうか。心根より姿形を喜ぶなんて厭な世の中だ。六本木の妖怪よりよっぽど可愛いのに。

そればかりではない。空気力学的にだってよほど立派な形をしている。シャープな主翼と合理的な尾翼だ。特に尾翼がいい。つくづく眺めて旋回性がいいだろうなあと思う。戦闘機だってこれほど良くできたものは無い。

2000年にわたって日本人の大部分は稲作農民だった。稲に群がり稲を食う虫は素朴に害虫である。だから虫追いは労苦であり大事な仕事なのである。イナゴなどが大発生すれば、一年の苦労が泡になる。

ツバメが田のおもてを掠め、稲に仇なす虫を捕ってくれる。姿がどうのこうのというような、人ごとみたいな太平楽な話ではない。切実な感謝の思いが籠もって、渡り鳥の代表だったのである。

農薬ができて、さっさと虫を殺せる時代になり、長い間の恩も忘れて白鳥や鶴にうつつをぬかす。いささか軽薄の誹りは免れない。

それどころかツバメにすれば、生活の糧にする虫が奪われた。数が減るのは当然で、減ればますます意識の外になる。

それでも昭和30年代は、ツバメは今よりもっとたくさんいた。

前橋を過ぎると目立って上りになる。対地高度を保つためには馬力を上げなければならない。普通なら巡航速度を守れるのだが、上昇力の弱いこのポンコツ47Gは、いささか息が切れる。

なぜって中古で輸入したモノで、機体はベル47Gなのだが、改修され油圧操舵になっていた。馬力が無いくせに重いのだ。不細工にハイドロホンプとアクチュエーターが付いていて、密かにG2になれないG1.5と思っていた。

重くなっているのだが馬力は古いままだから、上昇が苦手なのである。おまけに中古でかなりエンジンが磨り減っていて、馬力はガタログなんて何のその、回ってくれるだけで感謝しなければいけない。

そんなこんなで渋川を過ぎる頃は、対地高度も残念無念、速度も中途半端だった。

やっとで利根川に沿って飛んでいたら、ツバメがひらひらと横切る。かなりの速度で、しかもやたら運動性が良い。1羽と思ったらまた1羽。次々と姿を見せては僕の前で体をかわす。船に伴走するイルカのようだ。

僕は慌てて、ツバメストライクを避けようとしたが、ともかく黒くて小さいから見つけるのも容易ではない。避けたらそっちにツバメが居る。反対に切り返すと、こっちもツバメだ。しばらく冷や汗をかいたが切りがない。ままよと真っ直ぐ飛ぶことにした。なにしろ相手のほうが飛ぶのは上手いのだ。

ツバメは可変後退翼かつ可変面積主翼である。翼を縮めて高速で飛ぶときは、後退角が大きくなり安定性はむしろ負で、めったやたらと操縦性が良くなる。吉川英治先生が言うように、佐々木小次郎でなければ捉えることができない。なにせ飛びながらクチバシで虫を捕まえる運動性なのだ。

しばらく飛んだらツバメがいなくなった。ほっとしたが、ヘリコプターにぶつかられる間抜けなツバメはいないのだろうと気が付いて苦笑い。

それにしてもあんな小さな躰で海を渡るのだから凄い。羽を伸ばしてアスペクト・レシオを大きくし、飲まず食わず、昼も夜も飛ぶに違いない。

海面を這いグランドエフェクトも利用するのかな。ダイナニック・ソアリングなどもするのだろうか。ひとりかな、それともツガイかな。風を衝き、きっと雨にも遭うだろう。殺さずに良かった。


赤いクーガー ■05.12.2001


ヘリの鳥類誌で飛行機は気が引けるが、飛行機屋はしばしば飛行機を鳥という。まあ大目に見てもらいたい。とくにヘリコプター・コクピットから、最初に見た空飛ぶものがグラマンのF9F-8Tクーガーだったのである。おそらく鳥にはしょっちゅう出くわしていたのだろうが、訓練生はゆとりが無いから記憶にまではなっていないのだ。

ヒナは最初に見たものを親と思うそうだ。だから大空で出会った真っ赤なクーガーは、忘れられない存在なのである。

飛行機を鳥としても、困ったことにクーガーといえばアメリカ・ライオンである。でも、ライオンは鳥ではないなどと野暮はいいっこなしにしてもらいたい。なにしろグラマンはやたらと猫が好きで、なんでもかんでも自分の鳥たちに猫の名前を付けてしまう。

闇夜に木の上で目を光らせているワイルドキャットは解るが、ベアキャットとはどんな猫だろう。ヘルキャットとなると気持ちだけ解り、トムキャットはまるで解らない。そんな猫いるのかなあ。無理矢理キャットにしたのではなかろうか。

国家試験に合格し、免許証が来るまで応用訓練をしようとハイ・フライトをやった。それが先行き役立つかどうかなど考えない。どうせ時間があっての暇つぶしだ。

朝鮮で戦争がはじまった時、アメリカ海軍の主力戦闘機はF9F-2パンサーであった。直線翼で亜音速もいいところ。すぐ前の太平洋戦争では、こてんぱんに日本機をやっつけてグラマンは自信満々だ。よもや朝鮮の空で遅れをとるとは思ってもいない。

ところが現れたのがMiG-15、後退翼をもってはるかに性能がいい。海軍が担当した戦域がずれたからMiG-15とは丁々発止の戦いにならなかったが、もし四つに組んだら末代までの恥晒しになったろう。慌てて海軍はパンサーに後退翼をつけ、名もクーガーに変えて登場させた。F9F-5まではパンサー、F9F-6からクーガーである。もっともクーガーは朝鮮戦争には間に合わず、MiG-15とは雌雄を争うことはなかった。

ベル47Gの実用上昇限度は12,200フィートである。G-2でも12,300フィートだ。これには正直驚いた。漠然と飛行機は30,000フィートくらいと思っていたから、あまり低いのに唖然とした。

理屈を聞くに及んでなるほどと思った。ホバリングでもブレードの先端はマッハ0.8くらいで回っている。臨界マッハが0.9とすると最大速度は0.1マッハくらいしか余裕が無い。気温が下がると音速は比例して低下するから、高度が上がるとブレードはみるみる能率が悪くなる。1,000フィートにつき3.5ノット(6.5km/h)の割合だ。

超過禁止速度と最良上昇速度が重なる高度がやたら低い。これがヘリコプターの宿命なのだ。最新式のヘリコプターでも上昇限度は20,000フィート、たいていのヘリコプターはそれ以下である。

ベル47のブレード翼型はNACA0009、おせじにも最新式とはいえず、臨界マッハも低い。海面上標準状態で超過禁止速度は105マイル(177.5km/h)である。12,200フィートでは68マイル(117km/h)に低下する。計器速度ではせいぜい55マイルがいいところだ。

この日は冬の寒い日であった。スカイ・ブルーで気分がいい。昇りに昇って12,800フィート。実用上昇限度より600フィートも余計に上がった。関東平野が一望だ。

ところがいざ降りる段になって魂消た。ピッチを下げようとすると回転がオーバーし、ブレードは臨界マッハを超え金切り声を上げる。スロットルは神経質になり、反応がまるで地表とは違うのだ。ままよと機首をさげたら、こんどは禁止速度を超えまたもブレードが金切り声を上げる。降りられない!

往きはよいよい帰りは怖い。もう操縦はガチガチ。これは大変なことになった。

やっと10,000フィートまでたどり着いたとき。真っ赤なクーガーが足元を反航してくる。厚木の連絡機および雑用機、タンデム座席から唖然と見上げる2人の戦闘機ドライバー、見下ろす赤いヘリコプター。

「なんでこんなところをヘリコプターが飛んでいるんだ?」



高い鳶 ■05.12.2001

ときにびっくりするような高度で鳥に出くわす。何でこんな高度で飛んでいるのだろう。獲物を狙う高度では高すぎるように思うし、さりとて旅をしている鳥にも見えない。

そんな高度で出くわす鳥は鳶だと思う。もっとも鳶も鷹も鷲も、見分けるほどの知識はないから案外鷹なのかも知れない。

高く飛んでいるのは形而上の理由だと勝手に思っている。鳥の視力は優れていて、高い上空からも獲物が見えるなどの説明は、知に働いて面白くない。鳥が哲学するかと訊かれたら返事のしようもないが、腹を満たすことはしばし忘れ、きっと鳥も、遙かな虚空まで昇ってみたいに違いない。

北海道の十勝平野、然別湖の近くで峠を越えてきたら、鳶が瞑想に耽っていた。きっとそうだ。秋も深まり日高の山々は鮮やかな紅葉だし、むこう阿寒の裾も燃えるような錦秋だ。鳥だってメランコリックになっておかしい理由はどこにもない。

天気は良かったし風も吹いていなかったから、幸せな気分の目の前に鳶がいて、咄嗟に避けたがしばらく心臓がどきどきした。鳶も瞑想を邪魔されて怒っていたに違いない。

鳶は上昇気流に乗って飛ぶ。下は平地だったから熱上昇風だったろうし、そうすればサーマルを外れぬように輪を描いて飛んでいたろう。ただし旋回していたか、直線で飛んでいたかは分からなかった。そんな高度で鳶を予測していなかったから、あまりにも突然だったのである。対地2,000フィートはあったと思う。

コクピットから見たのではないが、鷹に忘れられない想い出がある。

たしか小学校に入ったばかりの頃、トリさんが鷹を捕りに行くからついてこいという。トリさんは家の使用人の若衆である。本名は知らない。

まず鼠を捕らえ、1尺5寸ほどの丈夫な紐を用意する。そして長さ2尺ばかりの竹竿にトリモチを塗り、それを何本か作る。これで仕掛けの出来上がりだ。

頬かぶりしたトリさんの尻について野原に来た。むかし将軍家の鷹狩りの野原で、その名も想像をかき立てる「お花茶屋」。地名のいわれは聴いたことないが、聞かずとも分かるようだ。将軍が鷹狩の途中で寄って、茶かなんか所望する。するとオハナさんという娘さんがうやうやしく茶を出す。その後はどうなったのだろう。

母の実家は遠くないところで、隣の家の屋号は「エマキ」、たぶん字を当てれば「餌撒」なのだろう。近くに「エサシ」の屋号もあった。鷹狩りには縁のある土地柄だったのである。

トリさんは鼠の足を木蕪にくくり、周りにモチ竿を挿す。少し離れた枯れ草の中でトリさんと僕は息を潜めて待った。鼠が逃れようと走り回る音だけが風の中に伝わってくる。

どれほど息を潜めていただろうか、記憶の中では気の遠くなるほどの時間が過ぎ、やがて空の一点に鷹の姿が現れた。鼠は身の危険を感じてただならぬ様子だ。走り回るのだが、哀しいかな1尺しか逃げられない。

僕は小さいながら「その時」が分かった。狩人になり興奮する。狩は快感だ。

鷹は突然翼をたたみ、まっしぐらに鼠に襲いかかる。大きな翼がトリモチに捉えられ、暴れた拍子にもう一本の竹竿がついた。

トリさんが飛び出し、僕も夢中で駈けていく。

鷹は鼠を掴み、怒りに燃えた目で駆け寄る人間どもを睨む。あまりに恐ろしい目だったので、僕は思わずたじろぎ足を止めた。

しかし若衆のトリさんは驚かない。頬かぶりをとり手早く足を縛る。慎重に竹竿とトリモチを外す。それでも興奮しているのだろう頬が赤かった。

家に帰って、トリさんもう鼻高々だ。僕もはしゃいだ。なにせ一緒に鷹を捕まえたのだから。馴らして鷹狩りをするのだと逢う人ごとに自慢する。

ところが自慢話に夢中になり、油断したトリさんの手から鷹は逃げた。座敷を横切り、両足を縛った手拭なびかせ、開いていた窓から自由の大空に舞い上がる。

逃げる姿はスローモションのように生々しい。たくましく打ちふる翼をいまでも思い出す。

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