「宮田豊昭の部屋」

達人の鳥類誌 / No.001

次のページに進む

前のページに戻る
(新しい原稿が上部に掲載されます)


八郎潟の鴨 ■05.05.2001

八郎潟は堤防を築き乾陸した。せっせと山を削り船で運ぶ。とうとう山は平らになってしまった。塵も積もれば山になる。山も崩せば堤防になった。

総面積は12,500ヘクタール、山手線が3つすっぽり入り、仙台市の人口を1年間養える。飢えが生々しい記憶の時代で、干拓は国家事業であった。

できあがった陸地がまだ葦原で、圃場にはなっていない頃、中央西寄りに60ヘクタールの実験農場があった。まわりを葦で囲まれた農場である。ちなみに60ヘクタールといえば60町歩、横は600メートル縦は1,000メートルもある。

実験はヘリコプターで籾を播種し、肥料を撒き、除草剤を撒き、防除をする。刈り取るのはコンバインだ。試行錯誤の大型機械化農業だけれど、あしたは入植者に伝えなければならない。新技術の確立に泥縄式大わらわだ。実験は4年ほどやったろうか、しばらくして農業大学が設立され、その教官の教官という役どころである。

当時は全国の水田平均収量は、10アール当たり8俵であった。八郎潟は実験3年で8俵を達成し、10俵が目前にある。ヘリコプターを使っての粗放農業といっても、30センチ四方のトレイにプラスマイナス3粒の精度で蒔けるようになり、稲作技術は時代の要請に耐えられるまでになっていた。今もって自称空中百姓を誇りとしている。

そんな農場の備品に2連銃があった。

圃場の脇に建てられた小屋の板壁に、黒光りする鉄砲が掛けられている。山小屋と思えば違和感はないが、平地の真ん中の純農業小屋に鉄砲は妙である。

鉄砲は鴨を追うための道具で、稲が穂を孕むと大挙して鴨の群れが押し寄せる。収量が実験の成果だから、鴨に喰われては堪らない。

いささか脇道に逸れるが、稲作には鳥追いも大事な仕事である。かつてはカカシが農村の風景であったし、鳴子もよく聞いた。

凄いのが威銃で、カーバイトを使い大音響を響かせる。雀も鴨も驚くだろうが、いちばん驚くのがヘリコプター・パイロットだ。電線にばかり注意している機腹で、いきなりすさまじい爆発音がする。てっきりエンジンがイカレタと跳び上がり、血走った目が計器を見る。心臓に悪い。

ともかく鴨の群れが来ると、職員が小屋に駆け込み鉄砲を掴んで飛び出してくる。殺生が目的ではないから空に向かって発砲すればよいのだが、そうなると鴨は利口に立ち回り安全な距離に逃げ、職員をいらいらさせたりする。

見ていておかしいが、本気で撃とうと提案したら断られた。ヨロクで「鴨鍋会」などやってはいけないらしい。まるまる肥った鴨なのに。

僕は雇われ小作で農場の主ではないが、大部分の作業をしているから愛着がわく。しまいには自分の農場のように思って、実験農場の職員より入れ込んでいる。だから脅すだけの方便より、実のある「鴨鍋会」をしてもらいたいクチだが、それもならずいささか欲求不満であった。

秋になって収量が気になりだした頃、北海道に行き来する仕事ができる。都合の良いことにコースは八郎潟の上を飛ぶ。そうすると僕は、喜び勇んで低空に舞い降り20メートルを掠める。

八郎潟の東側に南北を貫く太い排水路がある。鴨は昼間そこで水に浮かび、群れて遊んだり休息したりしている。両岸は丈の高い葦で、人も動物も近づかない鴨の天国だ。

ところが僕は猛禽、鴨の天国を襲う。爆音に驚いた鴨たちが一斉に飛び立ち逃げる。30羽50羽が、かたまって低空を逃げる。

彼らは横に逃げない。排水路に沿って一直線に逃げる。だから僕は速度を落とし鴨と同じ速度だ。鴨は必死に羽ばたき、僕は意地悪く、しつこくついていく。

そのうち鴨は疲れ果て、ダイブして水に潜る。水が最後の隠れ家なのだ。鴨たちを次々に水に飛び込ませ、僕はおもむろにプルアップ。いささかアクタレ童子、イジメッ子の気分だ。ともかく僕の大事な稲に、ワルサをした憎ッくき鴨たちに、ささやかな天誅を加えたのである。

そうそう鴨は全速でどのくらいと思います?

僕の速度計では45マイル、72km/hというところが正解だ。

聴けばあっちには「ファザー・グース」という優しいオジサンがいるそうだが、こっちには追いかけ回す恐いオニイサンがいた。


ヒマラヤの鶴 ■05.01.2001

コクピットはパイロットの仕事場だ。見張るのが商売のコツだから、例外なくパイロットは視界のいいコクピットが好きである。戦闘機のパイロットも爆撃機のパイロットも、そして旅客機のパイロットも穴倉は好まない。

創世記、ヘリコプターのコクピットは無類に視界が良かった。良かったなんて表現は適当ではない。裸で空中にぶらさがっているようで、恥ずかしいくらい何でも見えた。よたよたと飛び始めたヒヨコの時代、いささか頼りない思いをしたものである。アルミでも何でも、少しは囲われていて欲しかった。

慣れと言うものは恐ろしい。いや素直になったのかもしれない。少し経ったら無類に好い視界が大好きになった。そうなると、わずかばかりの計器が邪魔で仕方が良い。第一計器はうるさいのである。

大部分の人は誤解しているが、計器は深情けの古女房みたいなものなのである。もしあなたが女なら、気難しい亭主のようなものである。たくさんいるから良いなどというのは気が知れない。一夫多妻も一妻多夫も、滅びるのは当然だ。ぶつぶつ己を主張する古女房はひとりでも持て余す。

速度計は速いの遅いのと文句をたれ、高度計は気がつかないのかと冷たい目で睨む。エンジン計器もその他もろもろも、声を出さずに陰気に自己主張をする。

だからと言って彼女らを役立たずとは思っていない。彼女らがいてくれなかったら、飛行ははなはだ怪しげなものになるだろう。この点も古女房と同じなのである。肝心な時、肝心なものが判らない。敬して付き合う謙虚さもあるのである。要するに、なるべく少なくて用が足りるのが最も好ましい。亭主は丈夫で留守がよく、女房はブスで悧巧がいいのである。

計器盤が目の前にありパイロットと向かい合っている。たてまえは愛しているからに他ならない。右手は操縦桿を握り、左手はピッチレバーを握っている。足をフットバーに乗せ、体は座席に縛り付けられている。これがパイロットの仕事の姿だ。中仙道は古めかしい宿場で、ロウソクを作っている職人と同じなのが可笑しい。袖に金モールを巻いたところで大差があるわけではない。職人は立てるだけまだいい。

付け加えれば、ヘリコプターはすべて操縦桿である。どんな大きいヘリコプターでも操縦輪ということはない。ホバリングで細かい舵を素早く使わなければならないからだ。それにたくさんのボタンが付けられ、指は横着がこけない仕組みになっている。親指や人差し指は仕方ないが、小指でさえも分担するスイッチがある。それでも足りないからピッチレバーの頭にスイッチだ。天井にもコンソール、手の脇にペデスタル、ため息が出る。

ヘリコプターが創世記を越えて有頂天になり、傲慢にも計器は幅を利かせる。それだけパイロットの視界が侵されだんだん飛行機に近づきはしたが、にわかに反省してこの頃のヘリコプターはまた視界が良くなってきた。わが意を得て慶賀に耐えない。

さて鳥である。ヘリコプターは飛ぶ高度が低いからよく鳥と出くわす。もちろん針路の邪魔になるし危いけれど、バードストライクとか何とか、飛行機のように危険この上ない存在とはちょと違う。敵対する相手というよりは、何かしら懐かしい相手なのだ。

もっともヘリコプターだって120ノットで飛べば、鳥は避けるのが困難になる。君子は危うきに近づかないのが原則だから、そうなればそれ相当の用心が要る。滅多に低くは飛べない。

しかし空では彼らのほうが先住民族で、飛行機のように切羽詰まっていないから、無遠慮に追い出してやろうなどとは思わない。速度を落とし、しげしげと眺めれば飛ぶのは彼らのほうが遙かに上手い。むしろ尊敬の対象だ。

いつだったかテレビで、ヒマラヤを越える鶴のドキュメントがあった。リーダーが風を読み、輪を描いて上昇気流に乗り、8,000mに達し、群は峰々を越えていく。凄いもんだとただ感じ入っている。

第2次世界大戦中「ハンプ作戦」というのがあった。海岸線を日本軍に押さえられ、連合軍の中国を支援する物資は、ヒマラヤを越えて運ばなければならない。それは苦難に満ちた作戦であった。当時の飛行機では、ヒマラヤを越える高度で飛ぶのは容易ではなかったのである。

それを鶴たちは、太古の昔から生活の一部としてやってきた。画面に声を呑み、ただひたすら畏敬し尊敬してしまう。酸素ボンベも持たず、よくあんな高度を飛べるもんだ。

鳥といえば、恐竜が進化したのだという説が起きている。進化論に目がないし、特に2足恐竜が鳥になったと聞かされると、論理の筋より着想の面白さで手もなくシンパになった。2足恐竜は肉食のハンターだ。凶悪なティラノザウルスと、可憐な小鳥の容姿が結びつかない。はたして誰が最初に思いついたのだろう。

オバタさんは帝国海軍の操縦士であった。戦後復員して家業を継いでいたが、空への想いが絶ち難く、息子さんに代を譲って苦労して再び操縦士になった。回り道したからかなりのお歳である。若年を先輩と呼ぶ穏やかな人だ。

そのオバタさんの趣味はハンティングである。鴨や小鳥を撃っていた。しかし再び操縦士になったとき、銃を箱に収めて納戸にしまい、決して空を飛ぶものを撃たないと決めた。秋田県の由利郡金浦町、穏やかな顔で朴訥に語るオバタさんを聴いていた。

秋の日に雁の群が飛んで行くのを見るとオバタさんを想い出す。

次のページに進む

前のページに戻る