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アメリカの飛行機製造の根のところにはパイロットがいる。使い手だ。パイロットではないにしても、飛行場の垣根で一日中飛行機を眺めていた航空少年たちがいた。その代表がボーイングやセスナ、ビーチといった人々だ。ヘリコプターにも同じような人がいた。
1939年、イゴール・シコルスキーは自ら操縦してVS-300をホバリングさせた。もちろんヘリコプターなど無い時代だから、シコルスキーに教官はいない。
最も難しいホバリングを不安定な機体でこなすのにさぞや苦労しただろうと思う。どの写真を見ても、シコルスキーは目を落として緊張している。記憶の間違いかも知れないが、たしか3回ほど骨折しているはずだ。
面白いと思うのは、中折れ帽にコートを着てネクタイ姿で操縦している写真が多いことだ。彼が設計者で経営者であることを示している。しかし手段としてはパイロットであり続けた。 |
シコルスキーはロシアの人である。1913年には巨人機グラントを設計したが、革命でアメリカに逃れ数々の飛行艇を作っている。パンナムが地位を確立したクリッパーは彼の設計だ。しかしシコルスキーが到達した最後がヘリコプターであり、VS-300は世界最初のシングルローター・ヘリコプターなのである。
究極の夢を自分の手で操縦する。アメリカはそういう男を大切にし、それを可能にするということだろう。
ヨーロッパでも飛行機を作った男たちの多くはパイロットだった。デハビランドなどは1時間半でソロに出たという伝説がある。
レッド・バロンで有名な3葉機や、第1次世界大戦最優秀戦闘機DZのフォッカーは、名機FZ3Mのテストを自分で飛ばせている。彼もまずパイロットであり、次に製作者になった。
3Mは戦前の日本航空輸送の主力機であり、世界で広く使われた輸送機であった。 |
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