マン・アンド・マシーン / 02
text : Toyoaki Miyata


シコルスキー
アメリカの飛行機製造の根のところにはパイロットがいる。使い手だ。パイロットではないにしても、飛行場の垣根で一日中飛行機を眺めていた航空少年たちがいた。その代表がボーイングやセスナ、ビーチといった人々だ。ヘリコプターにも同じような人がいた。

1939年、イゴール・シコルスキーは自ら操縦してVS-300をホバリングさせた。もちろんヘリコプターなど無い時代だから、シコルスキーに教官はいない。

最も難しいホバリングを不安定な機体でこなすのにさぞや苦労しただろうと思う。どの写真を見ても、シコルスキーは目を落として緊張している。記憶の間違いかも知れないが、たしか3回ほど骨折しているはずだ。

面白いと思うのは、中折れ帽にコートを着てネクタイ姿で操縦している写真が多いことだ。彼が設計者で経営者であることを示している。しかし手段としてはパイロットであり続けた。
シコルスキーはロシアの人である。1913年には巨人機グラントを設計したが、革命でアメリカに逃れ数々の飛行艇を作っている。パンナムが地位を確立したクリッパーは彼の設計だ。しかしシコルスキーが到達した最後がヘリコプターであり、VS-300は世界最初のシングルローター・ヘリコプターなのである。

究極の夢を自分の手で操縦する。アメリカはそういう男を大切にし、それを可能にするということだろう。

ヨーロッパでも飛行機を作った男たちの多くはパイロットだった。デハビランドなどは1時間半でソロに出たという伝説がある。

レッド・バロンで有名な3葉機や、第1次世界大戦最優秀戦闘機DZのフォッカーは、名機FZ3Mのテストを自分で飛ばせている。彼もまずパイロットであり、次に製作者になった。

3Mは戦前の日本航空輸送の主力機であり、世界で広く使われた輸送機であった。


中島知久平
第2次世界大戦が終わるまで日本にもたくさんの飛行機メーカーがあったが、専業のメーカーは中島飛行機だけだった。そして創始者中島知久平は製造を始める前に操縦を習っている。

知久平は海軍士官であった。海軍から飛行機製造と整備の研究が目的でアメリカに派遣されたのだが、当然のように操縦を習いライセンスまで取った。命令違反を問われたとき、「製造と整備をするためには飛ばす技術が必要だ」と答えている。

操縦修得の動機や会社創立以後の経過を見れば、ボーイングの思考や行動と瓜二つで、パイロットというよりは経営者であり、壮年以降はむしろ政治家であった。だからこそ、マン・マシーン・マンが本当に分かっていたと思う。日本の航空界が持てた最もスケールの大きな人物といってもよい。

B-29が日本を壊滅させるために立てた戦略目標の第一が、中島飛行機のエンジン工場であり、納得するまでしつこく爆撃している。この工場がいかに重要であったかが分かるし、中島の何たるかが理解できる。

だから戦後はいち早く解体され、現在は富士重工になっているが、往年の飛行機専業メーカーとしては復活できなかった。

日本でも草創期には奈良原式とか伊藤式など、セスナやビーチに匹敵するパイロットによる飛行機製造の機運があった。ところが1920(大正9)年に航空局が設立され、航空法が制定されてから急速に活力が失われ、ついに小資本によるベンチャーな飛行機製造は消えてしまった。セスナやビーチは育たなかったのである。

有名な桜号事件というのがあった。

当時は大航空時代であり、リンドバーグの単独大西洋横断に世界中が沸いた。目の前に太平洋が横たわっている。千載一遇のチャンスではないか。
日本人の手で渡ろうと飛行協会が張り切ったのは当然で、長距離機桜号が作られた。しかしできたての航空局は法を盾にしてこれを押しつぶし、結局淋代から飛び立ったアメリカ人が初横断の栄誉をものにした。

ところが桜号に適用した条文をアメリカ機にも適用すれば、不適格であったのである。ダブルスタンダードであるが、これは今にも続く卑屈さだ。

航空局といえば民間をイメージするが、生みの親は帝国陸軍である。初代長官は陸軍中将、次官は少将であった。

遅れていた軍事航空が列強に追いつくために、うろちょろする民間は邪魔な存在である。空を独占するために抑圧的だったのは当然であった。

以来終戦まで、すべての航空機製造は陸海軍を対象としていた。民間航空は即新聞航空であったが、使っていた機体は軍の払い下げである。優れた技術があったという神話も、軍用機に限定されての話だ。簡単なはずのYS-11をみれば、戦前に蓄積された技術の内容がどんなものであったか分かるだろう。

中島飛行機も創始者はパイロットだったが、あくまでも国土防衛のための飛行機を作ったのであり、知久平自身、戦争が終われば勝っても負けても会社は成り立たなくなると知っていた。戦争で膨れた企業を、平時には維持できないのを知っていたのだ。

現在も禁止の風潮が強い行政や、防衛産業に強く依存するメーカーの体質は、1920年から1945年まで、日本の航空界を決定した成長期の習性がそのまま残っているからに他ならない。


コンピューター革命
戦後の民間航空を大きく変えた要素は3つある。ひとつはジェット・エンジン、ひとつがコンピューター、ひとつが脚だ。

脚とはいささか奇論に聞こえるかもしれない。大型化の脇役というのが正論だろうが、しかし脚に目鼻がつかなければ決してジャンボは生まれなかった。ごたごたしたボギー車輪を眺めて驚かない人がいたら、そっちの方がよっぽど驚く。

たぶんこれからも、脚を設計している人たち抜きに大型機はないだろう。スケール・メリットの鍵は彼らが握っている。重量と着陸の衝撃を支える足が作れなければ、機体の大型化はできない。僕は図体より脚に拍手を送りたい。

そしてコンピューターである。機体やエンジンのハードがそのままでも、コンピューターによって能力は向上する。状況に応じた最適解を算定し、人ではできないような細かい操縦をして、性能を最大に引き出すことができる。

コンピューターは判断と操作をする。細部をモニターしてシグナルを送るなどは、お茶の子さいさいである。マシーンは無機質なものから知的なものへと変容した。

間違いも少ないし疲れもしない。文句も言わなければ維持費も安く、仕事によっては人より遙かにいい。ラジオ・オペレーターを不要にし、ナビゲーターをコクピットから消した。そして昨日は、フライト・エンジニアに引導を渡したばかりだ。
コンピューターは作り手に絶対の忠誠を誓うマシーンである。だからコンピューターが多くなり、コクピットから人が消えることは、「墜落しない立場」が「墜落するかもしれない立場」を駆逐していくことになる。「飛ばない立場」が「飛ぶ立場」を蚕食して、「飛ぶ」ことを成立させる。このパラドックスが危ない。

コンピューターが機能を充実させていくと、幾何級数的に取り扱いは複雑になる。太郎のメモリーは640KBで悠々だったが、一太郎6では8MBでも少し足りなかった。バージョン7では32MBないと満足に動かない。文章を作る機能はすぐ終点になるが、編集する機能や表示する機能は、いくらでもいじれる。今では256MBが常識だ。

システムのメモリーは作り手が掛けるアイデアとマンアワーである。頭の良い多くの人が、多くの時間を掛けて作る。作った人がアイデアに興奮すれば、使い手に配慮が足りなくてもかまってはいられない。たとえ使い手に一瞬の時間しか与えられていなくても、静かな部屋で沈思黙考してる人の知ったことではない。

なにせ彼らは時代の寵児であり、分からなければ分からない方が悪い。そのへんの気分は、パソコンの取扱説明書(マニュアル)を見ればありありと分かる。

コンピューターは飛行機を変えた。流れは時代の要請だ。これからも変え続けるだろう。ハードを作る人たちに「飛ぶハート」が残っていも、ソフトを作るたくさんの人たちに、同じハートを期待するのはよほどの覚悟がなければならない。


犬とキャプテン
笑い話がある。

いずれコクピットにはキャプテンと犬が座ることになるのだそうだ。

キャプテンはコンピューターをモニターし、犬に餌をやるのが仕事である。そして犬は、キャプテンが操縦装置に手を出したら噛みつくのが仕事なのだそうな。

もちろん笑い話であるが、そう考えていそうなメーカーがあるようでオソロシイ。もし名古屋でキャプテンと犬の組み合わせなら、事故が無かったかも知れないと想像して厭になった。「墜落するかもしれない立場」が客だけになったら、空はいったいどうなるのだろう。

マン・マシーン・マン・システムで、マシーンの前にいるマンは作る人ばかりではない。行政に携わる人たち、経営者も入る。特に作る人たちと経営者の合意は成り立ちやすいし、行政を説得するのもそれほど困難ではない。

いずれにしても、マシーンの前のマンと、後ろのマンの力関係はアンバランスだし、コンピューターの発達はマン・マシーン・マンのシステムをマン・マシーンにしてしまう。

発達したコンピューターを多数装備した航空機をハイテク機というが、マシーンの前のマンが後ろのマンの業務を代行するシステムなのである。

代行するのか奪うのかは、作り手の世界観の問題であり、マン・マシーンではなくマン・マンの問題になる。
「墜落しない立場」が「墜落するかもしれない立場」の業務をどこまで代行できるのか、サンシャイン通りのニシさんはそれを言ったのだ。少なくても、業務は代行できるが立場は代行できない。

地上交通の無人システムは実用の段階に入った。広がるテンポは遅いが、地上には「墜落しない立場」と「墜落するかもしれない立場」のようなドラスティックな対立がないから、基本的な議論は終わっている。

しかし基本をさて置いて、空にも同じ原理を適用したい願望が出て来るのを阻止できるだろうか。代行する謙虚さは心の内で見えない。愚かなパイロットより、賢いプログラマーの方が信用できると考える人たちがいても不思議ではないし、マン・マシーン・マンがマン・マシーンになる流れはいかにも自然に見えるからだ。

アメリカのメーカーを思い出している。企業文化の根に「墜落するかもしれない立場」の代表としてパイロットをとらえ、あくまでもそこから発想する姿勢を評価したい。しかしそれはだんだんマイナーになる危惧も感じる。

犬とキャプテンの笑い話には、それでもマンが残っている。マン・マシーンと聞くと、犬もキャプテンも残らぬ空を想像して、はなはだ心配になるのである。

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