「宮田豊昭の部屋」

達人の昆虫誌 / No.006

ヘリコプターは低空を飛ぶ
コクピットからいろんなものが見える
[達人の昆虫誌]
 
[最終回]


虫一番 ■12.26.2001

虫の話の最後が虫の話ではない。恐縮だが飛行機の話である。タイトルの連想は単なる語呂合わせで、T-33でのファーストソロが641号機だったのだ。自分では飛行機の虫が乗るにふさわしい機体番号だと感激した機体である。机にこの機体の模型があって、垂直尾翼に新田原17飛行教育団のマークが入っている。誕生プレゼントに貰った。

T-33は最初TF-80Cだった。F-80はアメリカ最初のジェット戦闘機であり朝鮮の空で砲火の洗礼を受けた。だから戦闘練習機であり、良く出来ていたので世界中で使われた。航空自衛隊もながらく高等練習機に採用していた。

■ソロ

初級過程はT-34メンターだった。クラスの尻でソロに出た。エリミネートされた者はどこかに行ってしまい、残った皆は次の課目に移っている。

それがエリミネートにもならずトラフィックを回っている。内心どうしてソロにしてくれないのか不服だったが、それぞれ空域に消えていく仲間を横目で見ながら離着陸を繰り返し、開き直って離着陸訓練にいそしんだ。ソロに出たのが20時間くらいだったろう。

吹流しをつけて離陸したとき、例に倣って「バカヤロウ」と叫んだ。別に誰がバカヤロウだったのかわからない。気の利かないことおびただしいセリフである。後ろを見たら教官は居ない。一人で飛んでいるのが誇らしい気持ちだ。下手糞な着陸をしても、高揚したが気分は目減りしない。

中間過程はT-6だった。星型9気筒のR-1340が凄みのある唸り声を上げる。尾輪式で車輪間隔が狭い。じゃじゃ馬で油断すれば引っ掛けられ、たちまちグランドループになるオソロシイ機種である。総飛行時間120時間のヒヨッコたちを泣かせた。

この機種もなかなかソロに出られなかった。同じように何人かがエリミネートされ、いなくなったのにアウトでもなくソロにも出られない。担当教官が着陸100回でソロに出られない奴はいないというが、100回でまだ教官のデモを受けていた。不甲斐ないことおびただしい。やっとソロに出られたのが120回目であった。

そして高等練習過程でT-33なのである。T-34もT-6もてんで話にならなかったから、今度も駄目だろうと覚悟を固めた。そしたら教官32回でむっすりランプに帰れという。またかと気落ちしたが、エンジンは止めるなと言い残して座席を降りていく。呆気にとられていたら、無愛想にソロだと言ってジープに乗り込んだ。びっくりした。

正直自分で着陸していたように思えない。教官のジープが韋駄天でモーボに走っていく後をとことこタクシーしながら途方に暮れた。まさかオトコノコ、口が曲がっても自信がありませんと言うわけにはいかない。ランウエーにアラインし、100%チェックをコールしながら胆を据えた。レッツゴーと大声で叫び猛然と突進した。ままよなるようになれ。

驚天動地。T-33はトップソロであった。33回目がソロでT-33、その機体番号がムシはイチバンなのである。

■エルロン

T-33でいちばん気に入ったのがエルロンだ。3舵のうち補助翼だけが油圧操舵になっていて、素晴らしく軽い。前のT-6のエルロンは泣きたくなるほど重かったから、これには有頂天になった。

T-6で連続3回も緩横転をやらされたら死にたくなった。左は左手で風防の縁をしっかり掴み、右手は渾身の力で操縦桿を挟むように引き付ける。きっと真剣白刃取りもこんなだろう。まあ緩横転らしくなったが、右は左肘を縁に支え、右手を返して押さえつけなければならない。細かい舵を使えないから全くサマにならず泣いた。

空中戦は格闘技と知った。飛行機が勝負すると思ったら間違いだ。膂力がないと勝てない。呆然とした。これはいい戦闘機乗りにはなれそうもない。

高速になるにつけて戦闘機のエルロンは重要になっていく。かつて零戦は130ノットが最適戦闘速度で、ここでは無類に効きが良かった。だが170ノットで重くなり、240ノットでは緩横転ができない。サッチウイーブはその弱点に目を付け、高速で切り返す機動だ。エルロンの重い零戦は追尾していくことができず、両手で必死に操縦桿と格闘していただろう操縦士を思って涙が出た。身につまされる。

覚悟していたらT-33、無類にエルロンが軽い。翼端に燃料タンクがあるから慣性が大きく、横転が遅いだろうと思ったら、これが速い。軽くてぱっと回る。もう嬉しいのなんのって。油圧サマサマだ。ソロに出たときはやたら横転を打っていた。

F-86は3舵が油圧になり、朝鮮の空では人力操舵のMiG-15を圧倒した。もっともらしくほかの理由が書かれているが、本当は密かにエルロンだと思っている。重い舵にしがみついているパイロットと、軽々操縦桿を操っているパイロットの勝負がどんなものか想像してみたらいい。

■ジェットエンジン

アメリカはP-51からF-80に機種改変したとき、ヨーロッパや太平洋を往来した千軍万馬のベテランが次々に着陸事故で死んだ。アメリカ空軍は慌てた。これは特別な訓練を考えなければならない。そこでF-80Cの一機を改修し、急遽複座にして訓練したら事故はぴったりと無くなった。TF-80Cである。正式採用しT-33になった。

初期のジェットエンジンは呆然とするくらい加速が悪い。Me262のユモ004はアイドルからフルパワーまで15秒が必要だった。F-80のJ33も12秒である。着陸進入で低くなって、遅れればスロットルで修正しようとしても間に合わない。エンジンは知らん顔するし、機体はどんどん沈んでいく。あらぬところに接地し転倒すること請け合いである。

高くなってゴーアランドしたことがあった。モーボにコールしてフルスロットルにしたがエンジンは他人みたい。祈るような気持ちでラウンドアウトを続け、ランウエーの真ん中くらいでタッチダウン。そのころにやっとエンジンが反応し、その間は機首を起こして我慢していなければならぬ。エアボーンしたときは本当にほっとした。

加速の悪いのは編隊飛行で決定的になる。長機とパワーが合わなければ何をしているのだか分からない。長機の前にのめり、ブレークを叫んで何処かに行っちゃう奴もいた。聞くところ、隊形を崩さずついて行ければ、ウイング・マークは間違い無いそうだ。

クラスの皆が大騒ぎしているのに、不思議と始めから長機について行かれた。ピール・オフ・リジョインでは200度も回ればポジションにいた。T-33では苦労の思い出が無い。T-34もT-6も、あれはいったい何だったのだろう。641が効いたのかな。

アクロバット・チームができたのは初期のジェット戦闘機の時代である。編隊を崩さずアクロバットが出来るのは、操縦のスキルとエンジンのレベルを示すなにものでもない。素人筋は華麗な演技に拍手しているが、その筋はスキルとレベルを読んでいた。相手武官に対する無言の示威なのだ。

戦闘機用のジェットエンジンで、第2次世界大戦並になったのはJ79が初めてだ。それまでパイロットはひたすら待った。

■高高度飛行

F-80の初飛行は1944年である。日本陸軍のキ84「疾風」が1943年だから同世代と言ってもいい。その疾風はB-29を迎え撃って高高度で苦闘した。実用上昇限度10,500m、遥かな虚空でコントレールを引き、懸命に戦う。しかし戦果は思わしくない。高高度とはそういうものと思っていた。

T-33で40,000フィート・ミッションというのがあった。12,000mである。機体は失速速度に近くなり、上を向いてあっぷあっぷだ。少し乱暴に旋回すれば、たちまちガタガタと高度が下がる。小さなバンクでゆるゆる回らねばならず、これで敵機を追いかけるなど容易なことではない。観念の問題ではなく、体中で実感できた高高度だ。もし銃と弾丸を積んでいたら、ほんとにまったく大変だ。

そういえばこの高度、ウンカやヨコバイが黄砂に乗って飛んでくる高度だ。虫たちはエライなぁ。



吉野のカメムシ ■12.21.2000

古代から中世にかけて、吉野は常に政治に係わってきた。都に近くそれでいて織り成す山々は容易に人を寄せ付けない。政変があればすぐ逃げ込むことができるのだ。いかにも風景は神々が活きてあるように思え、そうなれば逃亡者は神の庇護にある。追跡者は恐れて引き下がらざるを得ない。

大海人皇子は吉野から身を立てた。大塔宮は吉野に拠って北朝を倒そうとした。足利勢を引き付けた千早城も吉野にある。「帰らじとかねて思えば梓弓」そう歌って紅顔の美少年が吉野を出陣していった。

■紀の国

バスは10人ほどを乗せあえぎながら登る。エンジンを休ませるため頂上で一息ついた。吉野は山の中である。

さて下りになってからも遠い。川に沿っていたかと思うと峨々たる山の中にいる。やがて吊り橋などが現れて飽きないのだが、降りるところが不安である。発車する前に運転手に声を掛けるよう頼んでおいたが、まるで人家が無いところばかりを走っているから心細い。まさか忘れているのではないだろうか。

どれくらい走ったろう運転手が振り返り「ここだ」と言う。降りたのはいいが、谷間の三叉路だ。たちまちバスが木の陰に見えなくなった。

話では村営のマイクロバスが来るということだった。が、時間になっても姿を見せない。ままよとボストンバッグを道端に置いたのだが、ひどいことになったと思った。

時計ではいくらも遅れなかったのだが、脇道からマイクロバスが現れて止まった。やれやれである。これで山の中で野宿することはなくなった。

乗客は僕一人、運転手席の後ろに座ってあたりを眺める。左は迫るような山、右は切り立った断崖だ。底に川が光っている。対岸の山波が木々に覆われ急峻に落ちている。いかにも木の国だ。

しばらく走るうちに気が付いた。谷底に事故車の残骸が水に洗われている。なぜ片づけないのか運転手に聞くと、「道しるべになる」と答えはあっけない。それに引き上げるには新車を買うだけの費用が掛かるらしい。

■カメムシ

夕陽が谷を染めているとき宿に着いた。もちろん宿といっても普通の民家である。空いている部屋を貸して貰って食事の世話をして貰う。それだけである。

おとなうとオカミサンが出てきて、道路を挟んだ小さな家を指差し部屋はあそこだという。都会のような愛想は無いが、日焼けした顔に瞳が活き活きしている。

たぶん夕食の支度に忙しいのだろう用は済んだとたちまちに引っ込んだ。部屋にはかってに行き、かってに上がれということらしい。

クルーはまだ帰ってきてなかった。上がりこんだ部屋に荷物を置いて一服する。何気なく壁をみるとあっちにもこっちにもカメムシ。こやつらも気楽に這っている。

やがてどやどやとクルーが帰ってきた。交代のマッチャンがもうやたら嬉しそうである。それもそうだろう、カメムシと同居で2週間も過ごせば御赦免が嬉しくないはずはない。

たあいのない冗談を言い、たいしておかしくない話に笑い。それでも夕食をすごして横になったら、天井にはヤモリが這っていた。これは仙人になる覚悟が要るなあ。

布団を襟元まで引きあげて考えた。カメムシとは聞こえがいいが、洟を垂らしていた頃はヘッピリムシと呼んでいた。いささか下品な呼び方だが、つかまえるとやたら臭い匂いを出して逃れようとする。捕まえても手柄になる虫ではないから、そんな気はないのだが相手は誤解して大仰だ。そういえば満員電車の中でオカチメンコに睨まれたことがあったっけ。誰が尻など触るものか。あれはカメムシだな。

次の日ヘリポートの小屋で、またもカメムシの無愛想な歓迎を受けた。それだけではない、機体カバーを外したらキャプテンシートにのそのそとカメムシが這っていた。