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ヘリコプターは低空を飛ぶ
コクピットからいろんなものが見える
[達人の昆虫誌]
松喰虫■11.05.2001NEW
瀬戸内といったら白砂青松だろう。枝振りの良い松と砂浜が続いて、翁や媼が松葉を集めていて風景になる。亀をいじめている子供と通りかかった漁師がいれば、竜宮城の物語だ。おそらく日本の原風景のひとつであると思う。飛んでいても見下ろす松が綺麗だ。
■護岸枯松
その瀬戸内に松食虫の退治に行った。海岸線は埋め立てられ、四角い護岸と無愛想な工場に煙突が林立している。煙突は煙を吐き白砂青松などとはとんでもない。環境がどうのと反対する人の理屈がわかる。
でも枯れた松の上を飛んだら、理屈はともかくどうにかしなければならないと思った。 ともかく気持ちが悪くなってくる。
青々とした松林に囲まれた中に枯死した赤茶色の林がある。想像以上の面積だ。それが点々とあって。次第に勢力を拡大しているのだ。ホラー映画のエイリアンの不気味さがする。テレビ画面の中の出来事ではなく、盛夏の風景だからなお不気味だ。なお理屈を捏ねたい気分はいっぺんに素っ飛んでしまった。大地の横顔と違うのだ。
地面に立って横から眺めたら白砂青松が見えるのだろう。でも上から眺めたら気分は変わる。立場の違いとはこんなものなのかもしれない。
■まだらカミキリ
犯人はマツノザイ線虫、松食虫に寄生して松に取り付き松を枯らせる。主犯は線虫で松食虫は共犯である。
松食虫といっても種類はたくさんあるらしい。60種類も穿孔性の甲虫はいるという。その中のマツノマダラカミキリが悪党なのだそうだ。
もっともカミキリにすれば、寄生されている被害者かも知れないが、人には有無を言わさず殺される運命だ。よくあるサスペンスと同じ筋書きである。主犯はほかにいて、従犯でありながら処刑されてしまうから哀しい。
「これがマツノマダラカミキリ」
地元の人がそういって一匹の昆虫を見せてくれた。いかにも悪党である。彼とて好きでそんな格好をしているわけではなかろう。先祖代々同じ格好で、昆虫は皆似たような姿である。
憎々しげに見えるのは子供の頃の思い出が悪い。噛まれてやたら痛かった。なにしろ松に穴をあける顎を持っている。それに枯れた松が頭にあるからますます悪党に見える。見た目で判断してはいけないが、痛かった記憶はいかんともし難い。
海岸を追って瀬戸内を飛び、海を渡って四国の高松でも薬を撒いた。屋島は細長い半島である。那須与一が扇を射た昔は島だったのだろうか。今は陸続きになっていて、僕は等高線に沿って折り返している。海が見え、あのあたりに平家は舟を浮かべたのかな。
高松には栗林公園がある。名松も多いから担当者は必死だ。周辺の松林に薬を撒く。僕もあっちに飛びこっちに飛びして松を守る。あいまに名物のうどんを食べる。
■源平盛衰記
小学校で源平盛衰記の一節を習った。戦後のことだったがなぜ源平盛衰記だったのだろう。うろうろとしか覚えていないのだが、戦争反対が渦巻いていた時代に合戦絵巻などどうした具合かわからない。いまなら日教組が目くじら立てて怒ると思う。
「那須与一と申す者あり空飛ぶ鳥の三羽に一羽は射落とすほどの上手なり」
「さらば呼べ」
与一は馬を海に進める。沖には波に揺られる舟がいて、舳先に竿が立てられ金扇がある。傍らの官女が「関東武者ならば射てみよ」と招いている。
南無八幡大菩薩、神仏を祈り、弓を満月のように絞ってひょうと放つ。
「扇はかなめぎはを射きられ二度三度舞て海に落ち入りたり」
源氏の軍勢は鞍つぼを叩き、平家は船べりを叩いて与一を褒めたたえた。
屋島を飛びながら考えていた。歴史が行き、いま白い裳裾を引きながらベル47が屋島を行き来する。でもいつか世は、那須与一の扇もマツクイムシ退治も忘れてしまうに違いない。そのとき瀬戸内に白砂青松が帰っていればいいけれど。
モンシロチョウ■10.27.2001
子供の頃、蝶は女の子のものと思っていた。気まぐれに飛ぶし、終始が一貫しないのも女の子だ。こっちかと思えばあっち、あっちかと思えばまた帰ってくる。何を考えているのかてんで分からない。だから男の子で、蝶を採集するとか興味を持つものにかすかな軽蔑を覚えていた。
育ちのいい秀才がいて、勉強が良くできて超然としている。着ているものもいい。それが案外に蝶が好きだっことを知ると、こっちは鼻水を袖で拭きながら俄かに優越感を持つ。たあいも無いのである。
蝶でもアゲハなら横目で睨んでうらやましく思ったりもするが、モンシロチョウならまるで軽蔑だ。テヤンデー。
■喋喋喃喃
由利町を流れる子吉川は段丘を作り蛇行する。水田を直線で飛ぶと上昇降下を繰り返し、まるでダイナミック・ソアリングだ。ナップ・オブ・ザ・アースが分かる。波に戯れる海鳥もきっとこんな気持ちだろう。
7月末の稲は青々と水を吸い上げ、陽に戯れ、嬉々と風にそよいでいる。2尺ほどに伸び、穂ばらみがはじまって頭が少し重そうだ。
登りになると田を抱える土手ばかりしか見えず、短い草に向かって飛ぶ。波をかすめるカモメのジョナサンだ。土手を越えると水田が開け、ジョナサンは軽やかに身を翻す。
目の前にはまた土手がある。そんな土手に白いチョウが2つ、ひらひらともつれて舞っていた。軽やかな舞。
たぶん散布でチョウを見ることは無数にあったのだろうが覚えてはいない。気にも止めなかったからだと思う。しかし子吉の段丘で出会った相愛のチョウは鮮やかだ。土手と田ン圃が次々と切り替わる視覚の中で、違う動きがあったからだろう。それともそんな漢詩をどこかで読んだのかもしれない。歩歩肩を並べて歩く比肩の獣、比翼の鳥、連理の枝、仲の良い譬えに蝶々はあったかなぁ。
■曲線の世界
むかし田ン圃は等高線に沿った畦になっていた。土工量を少なく水田を作る智慧である。水田は水深の差が15センチ以上あると水管理ができなくなる。稲が作れない。そこで畦を作り、田を変えるのだ。1枚1枚が違った形をしていて面積も違う。ことに段丘の田は曲線に囲まれた不定形が連なり、見る目を和ませた。斜面に作られた千枚田ほどではないが、起伏の田は情緒があった。
効率を考えると田の不定形は都合が悪い。土木機械が普及して地均しが容易になると、みるみる四角になった。段丘の田さえ四角である。
田植機もコンバインも入り農作業がしやすい。効率があがって人手が掛からない。しかしそのぶん素っ気なくなる。高度成長とともに田は姿を変えた。見る見るうちに優しい田ン圃は姿を消し、いまでは日本中が四角い田ン圃である。
効率が良くなってそれからどうなるのだろう。農家は豊かになったのだろうか。それからの農政はどうなるのだろう。蝶々のように、あっちへ行ったりこっちへ来たりのようにも思えるが。
■捜す眼
ほんとうを言うと、農薬散布でのんびりモンシロチョウなど見ているのは邪道なのである。鷹の眼で電線を捜していなければならない。
ヘリコプター・パイロットにとって、何より恐ろしいのはワイヤー・ストライクだ。毎年何人ものパイロットがそれで墜ちる。沢の曲がり角、木立の影、ポンプ小屋、電線だけでなくテレビや電話線など、身を潜めて迂闊なパイロットに罠を仕掛けているのだ。
熟練してくると匂いで電線がわかるようになる。法則があって電線は張られるのだろう。しからば法則を挙げてみろと言われると困る。多分無数にあるから列挙できない。できないけれどきっかけがあって、脳味噌の回路に電流が走り注意のシグナルが点滅するのだ。カンといえば多分そんなものだろう。
捜す目も脳味噌も浮遊している。起きたばかりは全力回転をしない。どれだけ速く立ち上がるか、いつしか自分の目と脳味噌の性能も特性も解ってきて、性能に合わせて仕事ができるようになれば一丁前だ。
目は具体的な何かを探しているわけではない。だけど虚ろでもない。頭は案外鼻歌を歌っているが、全神経は張り詰めているのだ。矛盾に耐えるのがこの商売だが、いまは段丘を這って飛ぶパイロットもいなくなったし、田は四角ばかりで舞うモンシロチョウも味気ないに違いない。
瀬戸内の蛾 ■10.20.2001
デ・ハビランドは蛾が好きなのではないかと思う。出世作は蛾のシリーズなのだ。
蛾は英語でモスである。ジプシー・モス、タイガー・モス、プス・モス、ホーネット・モス、やたら蛾だらけである。きっと少年時代は昆虫採集が趣味だったのだろう。
蛾は好きになれない。止まっても羽根を畳まない。さりとてトンボのように凛と伸ばしているわけでもなく、だらしなくほうりっぱなしにしている。羽根を持っているのが迷惑そうだ。
いちばん好きになれないのが夜働きだ。羽根を大事にしないから飛ぶのが下手なのだろう。昼間飛び回るとすぐ捕まってしまうのではないかと思う。仕方が無いから夜働きだ。どうも自堕落な盗人みたいなのが気に食わないのである。
ところがデ・ハビランドの機種は好きなのだから困る。垂直尾翼が特に好きだ。タイガー・モスなんてつい撫でてみたい。なぜトンボにしなかったのだろう。
■毒蛾
瀬戸内に毒蛾が大量に発生したことがある。鱗粉が触れると爛れて痛むそうだ。穏やかな瀬戸内に似つかわしくない。急遽これを退治することになりかり出された。
蛾といってもやたら種類は多い。図鑑では、日本だけでも5,000種類も居るそうだ。皆同じに見え、誰が毒を持っているのか分からない。そもそも蝶は華麗だったり可憐だが、蛾は何となく不気味である。しかもどの蛾に用心していいか疑心暗鬼となれば、ますますもって気味が悪い。地域が限定されているから1機で、アサインされたときは貧乏籤を引いた気分がした。モスラを善玉にした人の気が知れない。
ヘリポートは近くが藪や草むらと相場が決まっている。蛾が居そうだ。こんなときにかぎり燃料補給で蛾が飛んでくる。もう大変、大騒ぎで逃げる。
農薬散布が全部虫たちの反撃に合うなら、ヘリコプターの農薬散布も気楽にはできない。ベトコンに怯えるアメリカ兵みたいなことになるだろう。こんな不幸を、なぜオレひとりがしなければならない。
■瀬戸の潮風
それでもドアを閉じれば蛾は安心だ。海岸線に沿って薬を撒く。風が海から吹いていれば波の上を飛ぶ。海面をバンクしながら農薬散布とはなかなかオツなものである。
岬を回ると小さな港があって、舟がもやっている。朝の陽が輝いてのどかだ。
反転して等高線を追いまた岬を回ると瀬戸内の島々がたむろして、こりゃいい仕事だと思う。さっき蛾に驚いて逃げたことなど嘘のようだ。
人々が起き出して騒々しくなると散布は終わる。ひどく臭くて薬は歓迎されないし朝餉の味も悪くする。皆さん仕事に精を出す頃、機体にカバーを掛けて宿に帰る。
まだ昼前というのに散歩に出かけ、小さな町に本屋を見つける。会田雄次の「合理主義」を買った。なぜこんな小さな町の本屋に、こんな本があるのだろう。亭主は商売上手でないな。
岸に腰掛け沖ゆく舟を眺めながら本を読む。蛾といい本といい、「合理主義」を考えるには格好の環境である。
■合理主義
蛾というと回路がショートして、頭蓋骨の裏側で合理主義が動き出す。因果はまったく合理ではないが、そういうインプットになっているのだから仕方が無い。
なんでも合理主義は地中海沿岸に生まれたらしい。穏やかで規則的な気候が小麦の生産に影響を与え、努力の量と収穫の量が比例していることを教えた。因果がはっきり見えることは合理の始まりである。
規則的な気候の変化は収穫の時期を教える。量のほかに時間の予測も可能にした。因果に時系列が加われば、もう合理の基盤は出来上がる。
地中海沿岸以外では嵐が来るし日照りもある。時ならぬ雨がすべてを押し流し、努力と収穫は等号で結べない。因果は思慮の外、神のみぞ知り給うことにしなければ得心がいかない。縁を加えて納得しよう。アッラーの神の思し召しだったり、お釈迦様でもご存じないことを作らなければ安心ができぬ。
松の陰、岩に腰掛け瀬戸の潮風に吹かれて読む本には、この海は地中海と相似であり、だから日本は西洋の合理主義を難なく受け入れることができたと書いてある。なるほど、もっともふさわしい風景で読んでいるのだ。
蛾と瀬戸内と合理主義、三題話でありました。
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