「宮田豊昭の部屋」

達人の昆虫誌 / No.001

ヘリコプターは低空を飛ぶ
コクピットからいろんなものが見える
[達人の昆虫誌]


ヨコバイ ■09.19.2001

稲の害虫で双璧をなすのがウンカとヨコバイである。正式にはツマグロヨコバイというらしい。ヘリコプター屋は農家の身内だから単純にヨコバイだ。なんでもつめて言うとその筋らしくなる。

■時の流れに身を任せ

横に這うからヨコバイである。捕まえようとすると、稲の茎を横に這って素早く裏側に隠れる。動きが速く憎いヤツだ。

体は5ミリくらいで黄緑色、羽の先端が黒いため、畳んでいるとき裾の黒い着物を着ているように見える。裾はツマ、だからツマグロヨコバイ。

いまごろ芸者などはやらないが、左ヅマをとった神楽坂の仇姿を思い浮かべる色っぽい名だ。ただヨコバイなどいささかはしたないから、芸者は芸者でも田舎芸者なのかも知れない。田圃にいるのだから間違いなく田舎か。

そういえば昭和30年代ヘリコプターが農村に登場した頃は、効果てきめん救世主が空から降りてきた案配になった。桃太郎侍か鞍馬天狗、はたまた黄金バットか仮面ライダー、いずれにしても上にも下にも置かれない。

そうなれば美女を侍らせもてなすのがこの国の風習。おかげで三日に上げず芸者にお目に掛かる栄誉に浴した。

ひとつの町の散布が終わり、隣町に移動したところで旦那衆が集まり挨拶になる。挨拶が終わればこの間の芸者が来る。田舎にはそうたくさん置屋はないのである。

昨日の今日だから「あらミーさん」など呼ばれ嬉しくなる。別に自腹を切ったわけではないが、お大尽になった気分がするから不思議である。悪習か美風かはわからぬが、先人が作った伝統にだらしなく寄りかかることにしよう。何年か同じコースを散布するとすっかり馴染みになったつもりになる。

ツマグロから脱線したけれど、この虫なかなかにしぶとい。甘く見てはいけないのは芸者と同じなのである。

■一網打尽

薬を撒いて根絶やしにしても、次の年にはちゃんと居る。数は少なくなるかどうかもわからない。芝居の幽霊だ。切っても切っても現れる。

何故かを聞いて感心した。

黄砂の時期、気流に乗って大陸から飛んで来るのだという。小さな羽で上昇気流を捉え、亜成層圏を気の遠くなるような旅をして日本に舞い降りてくる。それでは根絶やしにできるはずがない。なるほど黄塵万丈か。いや黄塵万乗である。

たしか神話にそんな神様がいたが、それにしては悪戯な神様ではある。悪戯者でも乱暴者でもこの国、だれでも神様にしちゃうから、案外サルタヒコのミコトはヨコバイかもしれない。そんな気がしてきた。

農薬散布は毒薬を撒く。騒々しい。嫌われるのは尤もだ。しかしまったく農薬が使われない時代が来るとしたら、その後に享保の大凶作が来なければよいが。ついそんなことを考えてしまう。恩恵は忘れやすいのである。飢えも忘れた。

ヘリコプターが散布している傍らで、背負いの動力散布機が小さな音を立てている。興味があるから眺めていると部落班長が来る。薬は同じはずだから効果は同じでしょうと尋ねたら違った。

「動力噴霧器で撒くでしょ。マヌケな虫は死にますが、利口は隣の田ン圃に逃げます。しばらくして隣が撒きますと、こんどはこっちに逃げてきます。ですがヘリコプターが撒くと逃げ切れません」


ウンカ ■09.07.2001

世間は虫というとクワガタやカブトムシを騒ぐ。聞けば1千万円もするクワガタがあるらしい。虫は子供の遊び相手と思っていたから不思議がり笑われた。なんだろと思う。

だいたい、のそのそと歩く虫、すばしこくない虫などは狩りの対象にならない。たとえ子供とはいえ、捕らえるのに全知全能を絞る相手でなければ興味が無かった。クワガタなど子供の捕るものではない。世の中は変わるものだとあっけにとられた。子供も体を動かさず、虫が金儲けの対象とは悲しい。

その昔の虫は生活に密着していた。良いにつけても悪いにつけても、虫は無視できない存在だったのだ。

■ウンカ

「ウンカのごとく」という形容は嘘ではない。

この虫、めったやたらと数が多いのである。漢字で雲霞と書くのは当然と思える。

今は言葉の元になったウンカを見なくなって実感が無くなった。何代も前から稲作とはまるで縁がないような気分さえする。六本木で歩いている娘さんたちの親かその親、顔が見える世代は田の草取りなど手伝ったはずなのだ。茜の空のウンカを見なかったはずはない。虫追いだってしたはずだ。

ヘリコプターが農薬散布を始めた昭和30年代、人口の80%は農家で、いちばんやっつけたい相手がこのウンカであった。

ものの本によれば、ウンカとは体長5ミリの小さな虫である。半翅目ウンカ科昆虫とある。日本には100種あるというからただ事ではない。

耳で覚えたのだから確かではないが、相方はヒメトビウンカ。名が艶めいている。おきゃんな深川芸者を思わせるが、色は淡い黄で黒斑があり、形は蝉のミニチュアだ。目には嬉しくないスタイルをしている。

主食、稲なのが都合悪い。人間様と同じものを喰う。しかも人間様が手塩にかけた稲だ。月夜の晩にウンカのごときウンカの群が、稲のエキスをチュウチュウ吸っているのを想像すると、こりゃ退治しなければなるまい。
 
■飢餓の記憶

享保17年、1732年だからそれほどの昔ではない。西日本を襲った飢饉の原因がこのウンカであった。稲の半分を喰われてしまった藩が46にも達し、飢えた人数が260万人、餓死した者が12,000人以上も出た。農民は言うまでもない。農業を基盤としている幕府も藩も武士も、震え上がった。たぶん桃太郎侍も水戸黄門も震え上がったはずである。

飢饉にまで至らなくても、毎年の米の出来高はウンカに左右された。だから農家はウンカを怖れる。虫追いは稲作の歴史が戦慄する記憶の行事なのである。

だから虫追いが無事に終わればみんなして集まって、盆踊りがしたくなるのは当然だ。よかったよかったという安堵が盆踊りなのである。

「それならばチョコレートを食べればいいじゃないの」

僕の飢えの体験に対する娘の答えである。チョコレートも無いといったらパンが出てきて、次にはハム、その次はケーキであった。飢えはお腹がすいた親分くらいにしか分からない。ついに説明を諦めた。

この国、戦争の恐怖は熱心に伝えるが、飢えの恐怖にはとんと無関心だ。僕には戦争よりも飢えの記憶が生々しい。飢えが戦争の結果というなら、即戦争は絶対反対だ。

■ウンカのごとく

僕の農薬散布は長野県の上田が最初であった。知将真田幸村のあの上田だ。

傾斜した土地に田が連なっていて、あまり散布には適さない。それから電線も多く油断ができない。ヘリポートは農道で、両側に用水があった。

散布の途中で区切りをつけて朝食となったとき、用水を埋めて何か流れてくる。手を拭きながら見るともなしに見ると、水の表面を覆ってウンカの死骸である。呆然として手が止まった。上流続く限りがウンカ。そしてウンカ。

農家の人が驚喜して「ヘリコプターは凄い!」。

だけど気の弱い僕は喜べない。朝食が終わり、着陸するたび目の前にウンカの骸が流れていく。何か天に逆らうことしてるみたい。


翔飛跳投 ■08.29.2001

鳥の次に飛ぶものを書けば昆虫である。ヘリコプターのコクピットから見える昆虫を書くのは難しい。いくら視力がいいからといってこれは困った。仕方が無い、まず理屈でも広げるか。

■スネの傷

日本でのヘリコプターの歴史は虫殺しから始まった。田の害虫を殺す。害虫だけでなく皆殺しだ。どうもヘリコプターは、はなから殺生な門出で後生が良くない。

僕のヨーイドンも虫殺しなのだが、幸い虫は小さくて見えない。見えなければ気にも留めないのが若さである。日差しの中を丸いコクピットにおさまって太平楽に飛んだ。しばらくして薬害問題が起きた。虫を殺すのだから毒薬である。虫だけじゃなく人間にも悪かろう。調べたらどうもそうらしい。

さりとてやめればヘリコプターは飯が食えない。それよりも日本の農業が怪しくなる。国民全部がリッチになることで頭がいっぱい、目が血走っている時勢、とても農薬散布をやめようなどとは思わない。

そうだ、薬を毒の少ないものにすればいい。それと吸わない工夫をすればいい。水銀粉剤が消えスミチオン液剤になり、撒く量を少なくしようと微量散布になった。パイロットもマスクをしよう。ガーゼでも少しは役に立つだろう。

横着なヤツはどこにもいるもので、マスクもしないしランニングシャツと半ズボン、スネを出して陽気に飛んでいる。

天網恢々疎にして漏らさず。50を過ぎたら天罰が下った。両足のスネがかぶれ変色した。しかも同じ場所だ。理由が分からなかったが、あるときKH4の写真を見て閃いた。ベンチュリーの位置である。ちょうど両スネの位置にベンチュリーがある。
 そういえば薬の害もなんのその、いつも開けて飛んでいたよなぁ。やっぱり後生が悪かった。ああ「祟りじゃぁ!」

■翔ぶ飛ぶ跳ぶ

鳥は飛ぶ。飛ぶという字は羽を広げた象形だろうと思う。翔も羽を広げた象形だ。
風切り羽が反り返って、悠々と滑翔する姿は翔である。翔は羽を動かさない。アンデスならコンドルだし、ヒマラヤなら鶴の群れだ。流氷の上を飛んでいたオジロワシも翔ぶという字にふさわしい。アルバトロスももちろん翔ぶ。タクムオールのあの鳥も間違いなく翔んでいた。

雀や燕は飛ぶのである。羽を打ち振るものは飛ぶ。5,000kmも渡りをする鳥はあきらかに飛び、しかも懸命に飛び、空飛ぶものの中心に居る。鳩もセキレイもオウムも飛ぶ。人間が飛びたい願望をもったとき、それは羽を打ち振る鳥だった。イカロスもレオナルド・ダビンチも幸吉も、鳥のように飛びたかった。そのはしっこに僕も入れてもらいたい。

しかしバッタや昆虫を飛ぶ仲間にするのは抵抗がある。羽よりむしろ足を頼りにしているのは跳ぶ仲間である。概して昆虫は跳ぶ。

こうなると僕は飛ぶ仲間だから、跳ぶ奴らには偏見が出る。何かしら白眼で見たくなる自分が居る。下賎な感じがするのだ。飛ぶほうが一段上な気がするから勝手なものである。

しからば翔はどうかと聞かれると窮する。心のどこかで翔のほうが上等と思うのだが、騒々しい音を撒き散らしてまで翔びたくはない。ならばグライダーだ。グライダーは翔んでみたい。風を聴きながら翔ぶのは最高の悦楽だ。

魚釣りはフナに始まってフナに終わるというが、飛び職もグライダーに始まってグライダーに終わるべきだと思っている。

もちろん昆虫の仲間でも飛ぶ本職がいる。トンボとその一族だ。ギンヤンマとかオニヤンマの姿は威があって、あたりを睥睨するように飛ぶ。眺めていてつい尊敬したくなる相手だ。透明な4枚の羽を陽に煌めかせ、縄張りを往復する姿は冒しがたい。

蝶々も飛ぶが、遊び人風で好きになれない。もっと真面目に飛べないものだろうか。あっちへヒラヒラこっちへヒラヒラ性根がまるで据わっていない。一生懸命飛ばねばならない身の上にすれば、あの気軽さが嫉妬のタネだ。

バッタやコオロギは羽があるくせに足で跳ぶ。クワガタやカブトムシなどは硬い鞘に羽をしまいこんで滅多に使わない。もったい無いことをする奴らだ。

■そして投ぶ

石も飛ぶ。飛ぶと書く。

しかし放物線を描いて空をトブものは、翔ぶとか、飛ぶとか、跳ぶ仲間には入れたくない。彼らは投ぶのである。こんな日本語は無いなどどうでもよく、とにかく投ぶのだ。

だからミサイルが飛翔体なのは不満である。特にICBMが飛ぶなどと聞かされると胸が悪くなってくる。