ヘリコプター騎馬民族説

宮田 豊昭
Toyoaki Miyata

(3)蒼穹無宿

ときどき蒼空無宿のペンネームを使って文章を書いた。四半世紀におよんだ旅から旅へ、ヘリコプター・パイロットの実感だったからである。ただしあまり気取った名で、面映いからたくさんの人の目に触れるものに使ったことは無い。

●漂白

騎馬民族は草を追って生活する。定住はしない。あきらかに切羽詰った目的を持ち、辿り着くのは一族の運命が掛かっている。だから旅は漂白なぞという生易しいものではない。

日本も歴史の中で、草原の民に一度だけかかわりがあった。「むごい」という言葉は「モンゴル」を語源としている。優しい草食の民は、荒々しい肉食の民を驚いたのだ。そして仕草を「むごい」と感じたのだ。

それほど草原の生存は容易でなかったのだろうが、大地に根を下ろし、安堵して暮らした歴史しかしらない東海の稲作民族の目から見れば、「むごい」のほかには彼らを漂白する根無し草のように思った。

遊牧の単位となる邑落は戸数が20戸余、人口は150人程度である。これが更に2、3戸ずつに分かれ草原に散在する。行動の範囲はときに100km以上にもおよんだ。それほど草原の生産性は低い。したがって家畜が草を食い尽くせば、移動せざるを得ないのだ。

家をたたみ家具を運ばなければならないので、すべてが移動に適した形になり不必要なものには興味が無い。定住民が財をなすとはまず家屋敷を整えることだが、彼ら騎馬民族は大きな固定物には恬淡としていた。むしろ家に執着する人々を軽蔑さえしたのである。確かなものとは、天だけであったのかもしれない。

ヘリコプターも草を追って漂白した。稲を草と思えばいい。

もちろん仕事は農薬散布だけではない。報道取材もあれば送電線巡視や資材輸送もある。しかし送電線巡視は電線を追っての旅であり、資材輸送は点々と現場を変える漂白などだ。決して定住はしないのである。

ヘリコプターの飛行の中は、農薬散布が50パーセントを占めていた。ヘリコプターの気質を決めたのは農薬散布だし稲だ。

稲は4月の末から5月の初旬に蒔かれ苗代になる。田植えがあって6月の下旬頃から虫追いがはじまる。ヘリコプター漂白の季節だ。終わるのは8月の末になる。

稲の生育の時期と虫の被害は重なるから、散布には適期があって、ヘリコプターは市町村を単位に旅から旅をする。日々の行動の範囲は騎馬民族の邑落に似ているが、むしろそれよりは狭い。広くてもせいぜい20km四方だろう。

一つの市町村が終わると次の市町村に移動する。移動は県の範囲だ。たぶん100km程度だろう。これでも騎馬民族の移動よりは狭い。

散布の適期は10日ほどだ。計画の市町村に合わせるために忙しい。けれども植物に合わせて移動していると十分に感じる。適期を外したら散布の意味がなくなるのだ。騎馬民族が飢えるのには比べようもないが、農家に眼を怒らせて詰め寄られると、似たような身の上だなとつい思ってしまう。

送電線の巡視も似ている。ハブ・アンド・スポークで飛び、朝飛び出したところに夕方帰る飛行もあるが、ひたすら線を追って旅する巡視もある。「陸の上なる放浪者、海の上なる漂泊者」など呟きながら線を追うが、「空の上では何と言うのだろう?」など、にわかに慣れない疑念にぶつかる。そばには27万ボルトがあるというに。

資材輸送になると、移動のパターンはよほど騎馬民族に似てくる。一ヶ所にいる期間は永くなり、移動の距離も遠い。ときには500kmにもなる。オフショアーは試掘なら3ヶ月か4ヶ月だ。移動は確実に数百kmに及び、国境を越えるときがある。

騎馬民族のリーダーは種族の安全を守る義務があった。定住しないがゆえ特に厳しい。移動の先を決め、移動の途中の安全を保障せねばならぬ。その任に堪えなければならないから、長子相続など暢ン気なことを言っていられない。たとえ末子でも能力に優れたものがリーダーを相続する。

ヘリコプターの機長が負わなければならないのは騎馬民族のリーダーの責任と同じだろうと思っている。旅先で自分とクルーの命を保障し、会社の財産を守らねばならない。

●穹廬

匈奴の住居は穹廬といった。字はなじみがないが、青空の下に張り、弓のような棒で支えた天幕と、ささやかな炉だけという感じだ。事実材料はフェルトと細い棒だけである。スキタイは房車と言った。いずれも物はたぶんテレビで見るパオのようなものだろう。入り口は東に向かい朝日を招く位置に建てる。天や太陽を敬愛した質実素朴な住居だ。移動の時には分解し、荷車に積んで手軽に運んだ。

馬や羊を追って生活し、家畜の肉を常食とし、ヨーグルトやチーズを食べ、馬乳酒をたしなんだ。ときには少しの穀物も食べる。

衣服は上衣に筒袖、下服はズボンであった。材料は毛皮、フェルトが主だが、中国産の絹であることもあった。上衣の上から革帯を締め、馬を飛ばせても衣服が乱れない工夫である。今は誰も何の気なしにズボンとベルトをしているが、発明の主は騎馬民族なのである。洋服などとなどと呼んでいるが、早い話が騎馬服なのだ。洋服は装飾過多な騎士のあの服のことだと思うのは誤解だ。

持って歩けるものにしか興味がもてなかったから、騎馬民族は装身具に凝った。美術館で見る騎馬民族の装身具は、金銀と宝石で彩られた見事なものである。

ヘリコプターも旅から旅だから、持ち物は手に持てるものだ。洗面用具、下着、仕事着、靴などである。パイロットなら地図、手袋が加わる。趣味の道具でも、かさばるものはいけない。

あるときやたら釣りが流行ったことがあった。釣竿なら袋に詰めて持って歩ける。ゴルフ・バックなどならひどく苦労することになるだろう。その昔、文机を持って歩く人もいたが、これには心底驚いた。その人おまけに木刀も携えている。

旅といってもヘリコプターは旅館に泊まる。騎馬民族のように家ごと背負って移動するわけではない。しかし出発の朝は、機体が5機にもなれば、10人の旅人それぞれの手荷物で宿の帳場はごった返す。

騎馬民族が装飾品に凝ったように、意を尽くした身の回り品を詰めたバックが所狭しと並んでいるのだ。酒は広島と言った人のバックが、変に膨らんでいるのは酒のせいだろう。ここは酒どころ秋田というに。

機体は村はずれの草原で100時間点検を迎えることもある。そのための交換部品もオイルやグリス、工具も抱えて飛ぶ。係留のキャンバス・カバーはさしずめ天幕だ。パオと呼ぶにはいささか貧弱だが、広げたり畳んだり、まあ似たようなものかもしれない。

資材輸送の機体ともなれば、規模はもっと大きくなる。燃料補給用のポンプだけでも2人掛りでなければ持ち上がらないし、工具も大きな木箱に整頓して詰めている。こうなると家ごと引っ越している雰囲気は十分だ。移動のときは忘れ物が無いよう数えなければならない。

オフショアーでは事務所の用具一式も加わる。運航開始検査で必要になり、現地で調達できない必需品は機体に載せて移動する。立派に騎馬民族である。

●国境

騎馬民族には国境なぞ無かった。草を追って平気で旅をする。国境など近代国家が勝手に引いた線で、許可など凄まれたらえらい迷惑だ。

空にも境目があるわけではない。何処へでも飛んでいけそうだが、これがそうはいかない。国家権力が頑として控え、ヘリコプターは騎馬民族と同じ迷惑を蒙るのである。

農薬散布や資材輸送に精を出している間は良かったが、オフショアーになってがぜん国境が立ちはだかる。国境どころかFIRとかADIZなど、妙なものが通せんぼして迷惑だ。

基地がFIRのこっち側で、リグがFIRの向こう側だったりすれば、一体どうしたらいいんだ。対馬沖を掘ったときなどはほとんどADIZの上にリグがあって、両方の戦闘機に邀撃されやせんかとはらはらした。稚内沖はまだ冷戦の真っ最中だった。こわもての赤い星をつけた戦闘機が眼と鼻の先にいて、警告無しに30mm砲弾が飛んでくるかもしれない。

笑い話になったが東シナ海でトムキャット2機にインターセプトされたクルーがいた。脚を出し、フラップを全開にした向こうも大変だったろうが、こっちだって魂消る。なにしろこいつ、毎分6,000発の20mmガットリングを積んでいるのだから。

国際線の旅客機なら、両方の政府が了解の上で路線が開設される。相互互恵が原則だから、半分ずつ便を飛ばせてしゃんしゃんだが、空の騎馬民族はそうもいかない。


(2)騎馬とヘリコプター

古代の中国の人々にとって馬は車を引くものであった。馬車であり戦車だ。だから異境の蛮族が、馬に乗る姿はまこと奇態に見えたのだろう。

騎の字源を調べたわけではないが、いかにも奇態なものを見た気分が出ている。扁が馬、旁は奇である。奇妙なことをするヤツラだと思う気持ちがありありとしている。

●蒙古馬

今でこそなんでもないが、古代はローマでもエジプトでも中国でも、馬は戦車を引くものだった。馬の背に乗るという発想はよほどの飛躍に違いない。鞍やあぶみなど、馬具を発明した人も常人でなかったに違いない。

われわれは馬といえばすぐ競馬を想像し、サラブレッドやアラブを思い浮かべる。常識というのは存外根が不確かなものだ。普段馬は目にしないのだから、馬は乗るものと信じるのはテレビの影響だろう。しかもこれぞ馬と思うサラブレッドやアラブは、交配の結果で人工そのものなのだ。

騎馬民族が草原を走らせたのは蒙古馬であった。馬格ははるかに小さく足も短い。粗食にも寒さにも耐え、優美とは無縁な存在だ。

むかし済州島で草を食む馬たちを見たことがある。案内してくれた現地の人が蒙古馬の裔だと話してくれた。フビライの軍勢が博多に押し寄せたとき、済州島は基地だったはずだから、そのとき以来ずっとこの島で暮らしていたのだろう。歴史とは面白いものだ。

済州島の馬は木曾の谷に住み、あるいは都井岬を駆ける馬に似ている。雪の風景に立つ寒立馬も同じだ。シルクロードが流行り、テレビにも蒙古馬が登場するようになってから、ああやっぱりあの親戚だと納得した。

これも昔の話だが、中国渤海湾でヘリコプターを飛ばせる契約交渉に行ったことがある。そのとき泊まったのが頤和園で、清朝の離宮であった。北京から車で1時間ほどの北にあり、そのときは公園になっていた。南に大きな昆明湖、大理石の船に700mの長廊が有名で、いくつもの楼閣が建っていた。たぶん今でも公園だろう。

その一隅に食堂があり、ちょっとした土産物が売られていた。ある日ニシさんと食後のつれづれに覗いていて、「馬踏飛燕」のレプリカを見つけた。もちろん青銅製でかすかに土が付いている。いかにも発掘したばかりという雰囲気でひどくリアルなのだ。ニシさんも僕も、「馬踏飛燕!」と叫んで大はしゃぎだ。何事かと中国人が見ている。この人たち、意外と自国の歴史を知らないのかもしれない。

かつて中国は騎馬民族に対抗するため良馬を求めた。飛ぶ燕をも踏むスピードで千里を走る馬である。汗血馬といわれた。いかにも長距離を駆けるにふさわしい名前だ。その青銅像が出土したのはそう昔ではない。眼を怒らせ鬣を奮い、尾を立てて疾走する足は燕を踏んでいる。やはり蒙古馬の血統である。

馬はそもそも長距離を駆けるのが本性なのだ。高速で短距離を走るサラブレッドやアラブは、馬場競争用に交配された結果である。もちろん長距離といっても生き物だから30kmくらいで、それ以上駆けるには替え馬が必要である。蒙古騎馬軍団は1騎につき5頭くらいの替え馬を連れていた。

●騎馬と戦闘機

農耕民族は草地を放ってはおけない。すぐに耕してしまう。したがって草は無いから、馬を飼っても多寡が知れている。替え馬を5頭も引き連れるなど思いもつかない。多くの都市国家が騎馬民族に席巻されたのは、次々に馬を替えながら移動する騎馬民族の速度を見誤ったからである。まさかまだ来ない、来てもこの方向と思っている。しかし蒙古騎馬軍団は駆けに駆け、大迂回をして都市の虚を突いた。

戦力は兵力掛ける速度である。運動量だ。略奪したりされたりして騎馬民族はそれを知っていた。速度を落とさずに騎射し、速度を落とさずに刀を振るう。

弓は動物の骨を薄く削り重ね合わせて作った。短いが弾力は大きく射程が長い。騎射するのに都合が良いばかりでなく、矢を放った後に振動が無い。和弓が振動を避けるため、矢を中心の下につがえるのに比べ、はるかに優れた構造になっていた。馬の走りも上下前後に揺れない側対歩で駆けさせ、矢を放ちながら突撃した。

側対歩というのがあるそうだ。たぶん「馬踏飛燕」がしている走り方だろう。普通の走り方ではなく、左右交互に前後の足を揃えて走るのだと思う。揺れないから騎射するのに都合がよかった。

速度を落とさず刀を使うためにはソリが大きくなくてはならない。切ったとき、ソリが無いと切り手が衝撃を受け、突撃速度が落ちてしまうからだ。刀を取られてしまうかもしれない。だから騎馬民族の刀はソリの大きい半月刀だ。しかも扱いいいように短い。

ヨーロッパは弓でも刀でも速度でも騎馬民族に及ばない。怒涛のような侵略を受け、ロシアなどは300年にわたり服従に甘んじなければならなかった。

I-16というロシアの戦闘機があった。スペインで戦いノモンハンでも戦った戦闘機である。たぶん姿や形からの連想だろうが、通称はラタで英語ならラット。すなわちネズミだ。強そうでもないし好ましい動物でもない。対戦したドイツの、蔑称なのに違いない。

しかし貫かれている思想は、高速一撃離脱、簡単な構造で大量生産である。群れをなし草原を走る蒙古馬そのものなのだ。ロシアはロシアを征服した民族の血を濃厚に受け継いだ。なぜ征服されたか骨身に沁みてわかっていた。

さえぎるものの無い空は草原と同じだ。速射しながら高速で駆け抜ける。I-16の搭載している銃は無類に発射速度が大きかった。

I-16は確実に受け継がれ、第2次世界大戦を戦ったソ連戦闘機はみな蒙古馬の末裔である。そればかりではない、朝鮮戦争のMiG-15もベトナムのMiG-21も、駆け抜ける蒙古馬の血の色が濃い。

第2次世界大戦で最も優れた戦闘機といわれるのはアメリカのP-51ムスタングである。意味は野馬だ。速いし長距離が飛べた。高高度でも性能は落ちない。キャリバー50の機銃を6挺積み、強いばかりでなく均整が取れた姿をしていた。

アメリカ人にとっての馬は、特別の生き物のようらしい。単なる家畜とは違うように見える。西部劇の馬泥棒は即縛り首だ。荒野で馬を失い、鞍をかついでさまよう画面を見ると、縛り首がわからぬことも無い。だから人の手を逃れ、原野を疾走する野生の馬は畏敬の目で見られたのだろう。自動車にもムスタングの名前をつけている。

ジョン・フォードという映画監督がいた。騎兵隊ものを作らせたら右に出る者がいない。「リオグランデ」「黄色いリボン」「駅馬車」も彼の作品だ。そのジョン・フォードに出演する常連役者たちがいた。筆頭はジョン・ウエインだが、脇役にベン・ジョンソンという役者がいて馬の名手であった。インデアンに追われて走る姿はそれだけで絵になり、アメリカは馬の特別な国だといっぺんに納得できる。

●馬術はヘリコプターの操縦

草原の騎乗は馬術の世界である。競馬は20kmとか30kmを競う。わずか2kmやそこらを走るのではない。

夏、ナーダムの祭りで走らせるのは10歳前後の少年たちだ。6歳の少女もいる。数百頭におよぶ馬が砂塵を上げ、小さな騎手が草原を駆ける。馬は幼いときから生活に欠かせぬ友なのである。ときには運命を託する相方であり、単なる遊びの相手ではない。生きる環境を思えば、アメリカの比ではないだろう。

なみあし、はやあし、停止。その場で回り輪乗りにもする。障害を跳び越え崖を下る。西洋馬術にはコレクトとかコーディネートとかの言葉があり、飛ぶ世界ならまるでヘリコプターではないか。飛行機に喩えたのはヘリコプターがまだ無かった時代だからだ。ヘリコプターこそ馬に比べてふさわしい。

ホバリング・ターンはピルーエット、横進はラテラル・ムーブメント、後進はレインバック、そしてホバリングはホルト。歩度を変えるのは移行というのだそうで、ただちに遷移を連想した。体の中に、ホバリングから前進飛行へトランジションするときの、小さな振動がよみがえる。

よりふさわしいのは低速バックサイドの世界だ。たいていのヘリコプターは最良上昇速度が50ノットから55ノット、それ以下ならもろにバックサイドの領域である。こう思いつけば、バックサイドの操縦はきっと馬術と似ているに違いない。

そういえばオーストラリアには多くのKH4が輸出された。牧場で牛や羊を追う馬の替わりのヘリコプターである。操縦席が真ん中にあり、計器版を両足で挟む姿はまさに騎乗する雰囲気がある。ローター・カウボーイに気に入られただろう。

アメリカ騎兵隊は馬から車に乗り換えた。機甲師団の先祖は騎兵隊である。そして今、騎兵はヘリコプターに乗っている。流れがいかにもアメリカらしいと思う。


(1)疾風録

司馬遼太郎最後の小説は「韃靼疾風録」である。彼がモンゴル平原に憧れ、そこを夢見て生涯をすごしたことにふさわしい。想いがどれほどのものか、「モンゴル紀行」をかりればわかる。たとえば冒頭に種族の名を紹介し、こんなことを書いている。

「古い時代の漢民族文明は、彼らの種族名を漢字にする場合、ひどい文字をつくった。ケモノ扁とか豸(ムジナ)扁であらわした種族名が多い。」

中国はみずからを中華と自負していた。域外にあって言葉も通じず、貧しい身なりで喧しくしゃべり、辺境を脅かす異民族はケモノと見えたのであろう。これがヘリコプターを騎馬民族になぞらえた連想の引き金である。

ヘリコプターは航空の辺境にあった。航空の中華に属さず、独特の気風と習性をもって域外で翔けていた。文明の世の中、まさかケモノ扁はつけなかったろうが、気分は似たようなものだったろうと思う。

中華は文明に他ならない。文明は生きるしきたりである。約束事だ。その頂点に皇帝がいて、しきたりに属するものを民とした。人種は問わない。紅毛碧眼で胡旋舞する人々でも、王化に属すれば中華の民とした。自らの風を捨てないものの、中華を尊び慕ってくる種族に寛容ではあったが、呼び名はかならずしも美しくない。

日本は倭である。かろうじてニンベンが付いているから人とは認められているものの、どう見ても蔑意がなければつけられない文字である。意味はチビほどのものだろうが、僕はチビだからこの名は身にこたえる。ことさら人に言われると腹が立つ。

しかし域外にいて草原を疾駆する人々は、ケモノ扁で呼ばれても意にとめもしなかった。まるで眼中に無い。生半可中華に遠慮があるから卑屈にもなる。中華の周辺の国家が心属していたのに比べ、彼らはきわめて自由闊達に暮らしていた。

僕自身が初めてヘリコプターに接したとき、航空中華の域外にあって、身なりはまるで航空人らしくなく、航空図以外の地図を持ち、航空気象に依らず、航空用語以外をしゃべり、それでいて人々は不思議なほどに溌剌としていた。決して高給というわけではないが、浩然としてとらわれた者の翳が無い。此処だと思った。

以来ヘリコプターを例外の空と呼んでいる。あえて域外とはいわないが、気持ちは韃靼疾風録である。

古代はローマでも中国でも、馬は戦車を引いて戦場を疾駆した。チャールストン・ヘストンが、競技場で戦車を走らせる映画にひどく感心したことがある。秦の兵馬俑から出土するミニチュアが似ているのにも感心した。洋の東西を問わず、戦車は歩兵に対して有利な武器であった。

ところが草原の西の端に、スキタイとよばれ直接馬に乗る民族が現れた。紀元前6世紀の頃である。技術はたちまち草原を伝わって草原の民はみな騎乗するようになった。ズボンとベルトのバックルは騎乗技術の底辺である。いずれにしても、騎乗は戦車を作るより気軽であり機動力も速度もくらべものにならない。集団で行動すれば秀でた戦力になる。

草原は生産力が低い。農業民族が富み、遊牧する民は貧しかった。貧しくとも馬に跨れば農業民族を略奪することができる。以来騎馬民族は農業民族の恐怖になった。

ヘリコプターを操縦するのは馬を御するのに似ている。機動性に優れ、止まったり横に走れる能力はまさに馬だ。急勾配を上り下りするとき、航空機のような気がしない。もしたとえるなら、飛行機はヘストンの戦車でありヘリコプターはスキタイの馬だ。

もちろんヘリコプターは農業を略奪する物騒な存在ではない。むしろ農業と共生する存在である。フレンドリーな間柄だが、農業をあてにしている点では騎馬民族と同じだ。

農業の発明が人間を飛躍させた。採取や狩猟、牧畜などがわずかな人口しか養えないのに、農業は多くの生活を保障した。それだけでなく富も生み出し、階級は農業とともに発生したという人もいる。

騎馬民族が己の力を自覚したときから、境界の農耕地帯は騎馬民族の略奪の対象になった。あるいは報復の結果かもしれない。

騎馬民族が草を追って留守にすると土地はたちまち農業民族に耕され、帰ってきても草が無い。家畜はたちまちに飢える。家畜が飢えれば人が飢える。怒りは心頭に発しただろう。妻子の命が危ない。

いちど略奪の美味を知ると際限なくなる。根源は戦闘力だから服装も武器も戦闘に便利なものになった。騎乗で引ける短い弓と矢、そりの大きい刀は疾走しながら扱うために生まれたものだ。

中国の歴史は騎馬民族の侵入を防ぐ歴史でもある。草原地帯を囲む国々のうち、とくに中国は富める国だった。それに直接草原に接する。ほかの国々のように、砂漠を越えたり山を越えたりする必要がない。

中国は騎馬民族の侵入を防ぐためついに長城を築いた。もし長城に登れば大変な努力だと知れる。それが2,400キロに及ぶと聞かされると、騎馬民族への恐怖がどれほど大きかったのか想像がつかない。

騎馬民族は定住しない。だから土地への執着が無い。草を求めて移動し、移動する先はリーダーが決める。もしリーダーが予測を間違えば、種族はたちまちにして飢える。運命がかかっているからヤワなリーダーを戴くことはできない。

何処に草が茂り種族を養うことができるか、移動を開始すべきか否か、リーダーは険しい目で天を見る。そうして時と見れば、種族はパオをたたみ身の回りのものを家畜の背に載せて旅立つ。だから荷物は常にポータブルであり、財物といっても持ち運びできないものに執着は無い。騎馬民族が残した文化は装身具しかないのはそのためだ。

土地に執着が無いから土地にしがみついている農業を卑しむ。誇りが高く、商業にも手を出さなかった。ましてや土で手を汚す人々に同情などはまるで無い。たぶん飼っている羊くらいにしか感じなかったのだろう。侵略が過酷だったのは習性に違いない。

ヘリコプターも定住はしなかった。農業の適期を追って移動した。何処にヘリコプターを養う草原があるのか、あたかも騎馬民族のように漂白した。パイロットもメカニックも旅から旅だ。僕の自称は蒼空無宿である。

草原が養えるのはわずかな人数に過ぎない。だいたいが家族単位で草を追う。騎馬民族はだから、少数で生きるのが原則なのだ。

草原で他の一族に遇う。もし相手が飢えていれば、相手は襲い掛かってくるかもしれない。もし自分が飢えていれば、相手を奪わなくてはならない。草原は過酷であり排他的にならざるを得ないのだ。

ただ農業国家に挑むためには人数が要る。多くの種族を糾合しなければならない。英雄が出てきてカーンを名乗り、種族を束ねて怒涛のごとく版図を広げる。世界最大の帝国は彼らが作った。

時がたち民族の命運が尽きれば、溶けるように消滅する。土地への執着が無いから未練なく草原に帰ってしまうのだ。

ヘリコプターも分散して排他的だった。事業の基盤は痩せていて、決して多くの事業者を養うだけの厚さが無い。たてまえの糾合する組織、全日本航空事業者連合会ヘリコプター部会は、纏めるのが苦労でいかにも騎馬民族を思わせる。一度だけ気を合わせてショーをやって成功させたが、旗振りがいなくなるやたちまち雲散霧消し、みなそれぞれの草原に帰ってしまった。

最もヘリコプターが騎馬民族らしいと思うのは、馬を養う季節と狩をする季節がはっきりしていることである。仔馬が誕生し、世話するときにうろつき回ることはできない。調教する時期は決まっているのだ。

ヘリコプターも冬の時期は再生産にいそしむ。ヒヨッコ・パイロットを訓練し、機体のオーバーホールに忙しい。多忙な初夏までに戦力を再整備するのだ。怠れば組織はたちまちにして老いる。

いま世界史をゆるがせるような騎馬民族国家は無い。ジンギスカーンの末裔モンゴルも、剽悍無類の顔はなく、元の貧しい草原の国になってしまった。最大の原因は工業の興隆である。農業に勝てた騎馬も、工業の前には脆かった。現実には工業が作り出した砲と銃の前に騎馬は屈したのである。

天地を轟かせた馬蹄も時流には勝てない。ヘリコプターを騎馬民族になぞらえたのだけれど、それは似ているというだけであり、歴史の中で同じ運命をたどるということではない。もちろん同じ運命を辿ることもありえる。