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text : Toyoaki Miyata |
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進化論の起源はもちろん西欧で、動物や植物の原理だが人類は別格にした。たぶんキリスト教の影響だろう。宗教の凄いところだ。人類が進化の結果であり、類人猿の末裔であるとは天地創造の教義にそぐわない。ヒトは神によって作られた特別な地位にいなければならぬ。 ダーウインはキリストの教義を根底から覆す己の理論に20年も悩み、悩んだ末に自然淘汰説を発表した。当然囂々たる非難を浴びせられたが、反対者も科学的には論破できず、次第に受け入れられていったのである。 しかし偏見は色濃く、アフリカでアウストラロピテクスの化石が発見されたとき、人類と類人猿を結ぶ「ミッシング・リンク」とは認められなかった。最大の論拠は脳の大きさである。 進化論は認めたものの、人類が他の動物から区別されるのは特別に大きい脳のためである。脳が進化の主役であり、手足の機能に先んじて大きくなる。なると疑わぬ人々がいて、それは確固たる信念であった。 |
脳が大きければ大きいだけ進化していると考え、進化論者が人間の脳の測定にかけた努力は計り知れない。白人の脳は大きく、黄色人種や黒人の脳が小さいことを情熱的に証明しようとした。アウストラロピテクスの脳は類人猿の脳と同じ大きさだから、とても「ミッシング・リンク」とは思えない。そして中間の大きさの脳を懸命に探したのである。 かけた時間や努力にかかわらず、天才の脳が特別大きいとは証明できなかったし、黒人の脳が小さいことも証明できなかった。研究が進んで解ったことは、進化の最初は脳ではなくて脚であったらしい。直立2足歩行が手を解放し、上手に動かすために脳が発達した。どうも順序はそのようだ。 脳が原因ではなく、結果であるというのは寓意に富んでいる。はじめに脚ありきが面白い。知性より前に、何かがあるのは嬉しくてしようがない。だから飛行機やヘリコプターや鳥類でも、脚にもっと敬意が払われてもよいと考えている。 まあ屁理屈でもいいではないか。 |