Minoru Matsuba vs Toyoaki Miyata

009

松葉 稔

宮田豊昭

スカイネット・ワン編集部

川崎3式戦闘機「飛燕」
Kawasaki Ki61 - I Otsu "Hien"

三菱局地戦闘機「雷電」
Mitsubishi J2M3 "Raiden"
独自のイメージを貫いてつくった戦闘機

日本のデザイナーの中で、聞くだけは聞くけれども自分の頭で考えているデザイナーは、たぶん土井武夫さんだけではないかと思う。その当時日本には、重戦闘機と軽戦闘機という思想があった。世界ではそんな区分けをしていなかったと思うんだけど。 その中で3式戦闘機は中戦闘機といわれたんです。土井さんはこれが戦闘機だというはっきりしたイメージを持っていて、重戦闘機でも軽戦闘機でもないジャンルの戦闘機をイメージしてつくった。そういう意味では、飛び抜けていい。

戦闘機としての理想的な在り方はどういうものだろうということを考えていた人ですね。飛燕もできたころは一時、たまたまDB601をエンジンに使ったために、機首の形が似ていたので、メッサーシュミットの日本版だとか焼き直しだとか言う人もいたようだけれど、実際にはメッサーシュミットとは似て非なるもの、日本のオリジナルですねこれは。

飛燕にはね、さっきも出たけれど企業論が出て来るんだよ。川崎航空機というのは、ずーっと液冷戦闘機をつくってきた。

ところが、ある時を境目にして、帝国陸軍はもう液冷の戦闘機ヤメって、要するに日本の工業力では液冷のエンジンをつくるのは難しいから、空冷エンジンの飛行機をつくろうと言い出した。

そしたら川崎航空機というのはね、これからはたとえ話。たぶん社長かなんかが、つまり加賀屋だ。お代官様(帝国陸軍)のところへ行って、「そんなこと言わずに、液冷のエンジンをつくんないと、うちの会社ダメになっちゃう。だからつくらせて下さいよ」と頼んだ。
お代官様としては、「じゃあ、まあしょうがない、やろう」。だけどいいエンジン作れないから、「話に聞けばドイツのダイムラーベンツの600シリーズがいい、それをつくれ」って言って加賀屋がつくるんですよ。

それで、とにかく無理をお願いしてつくった液冷エンジンだから、「これを使え」といわれ、手代の土井さんとしては番頭の言うことを聞かなきゃいけないし、自分としても考えてみれば液冷エンジンの戦闘機がなくなるのが嫌だということもあったと思うし、そんなこんなで3式戦闘機をつくった。

つくったのはいいんだけど、日本にはやっぱり、1,000馬力の液冷エンジンをつくるだけの技術がなかった。

結局泣き所になっちゃった。鍛造技術が良くなかったんでね。液冷エンジンは12気筒のエンジンをクランクシャフトでつなぐ。周りにシリンダーがあるわけだから、液冷エンジンは長いクランクシャフトを使わなければならない。

空冷エンジンはクランクシャフトが短いんですよ。それが高速で回るわけだから、しっかり芯出しができていないと、振動とぶれが起きて、すぐダメになっちゃうわけ。
その技術が日本にはまだなかった。結局それが命取りになってしまったみたい。昔から川崎はBMW、ドイツのエンジンを使って戦闘機つくってたりしたものだから、そういうものには一応経験があったんでしょうけれど、日本の工業技術の限界が、そこへ出てしまったんでしょうね。

だからね、お代官様と加賀屋という構図はね。
いまでも歴然とありますね。脈々とひきつがれているようですね。

そう、戦争が終わったらね、軍がそういったからつくったので軍が一番悪いってこと言うんだよ。悪代官だ! って、で加賀屋は隠れてね‥‥。
数ある日本の飛行機の中でも飛燕の形は、すぐ覚えましたね。
きれいな機体でしょ。デザインセンスがいいですよね。

そりゃ、カッコイイもの。松葉さんがこの飛行機を2番目にあげたのは、ものすごくよく分かる。ところが、乗る方からするとね。こんなものに乗せられたら、命がいくつあってもたらない。
信頼度がないから、それはしょうがないですねぇ。

飛燕に対していい印象を持てない理由がいくつかあるんですよ。その1つにね、シティエアリンクという会社の初代社長がモロさんという人で、この人が244戦隊の整備小隊長だったの。244戦隊というのは、帝都防衛隊の調布にあった有名な戦闘機隊なんですよ。

ある時重役会議が終わったあとに、たまたま飛燕の話になって、「モロさん244戦隊で、飛燕をどう思いましたか」ってきいたら、「あれには泣かされた、たまらんかった‥・。
こんな飛行機は嫌だと思っていたら、次の発令が、キ115『剣』の部隊を立ち上げるところに行かされた。行ってみたら、それはもう飛行機ではないものだった。驚いて東京へ出かけて、『もうやめろ!』って喧嘩になった」っていうんだね。
どういう飛行機だったんですか?

中島のいわゆるもう特攻専用の機体ですよ。これもまた珍しい飛行機で、資材がないから、胴体構造は全部ブリキ板。アルミ合金なんて高級なものは使わせてもらえない。トタン板を全部張って胴体つくって、とにかく飛べばいいという。

CG(重心)も無茶苦茶でね。練習機だけしか乗ってない人が、こんな飛行機に乗れるわけがないという、ひどい飛行機。

話を飛燕に戻すけど、モロさんは静かなジェントルマンですよ。
戦後は日本航空に入って整備をずっとやっていた。その人が「イヤーよく聞いてくれた、あれはひどい飛行機だった」って言ってましたよ。だから全くアイデア倒れの飛行機だな。

エンジンさえ信頼度があれば、随分この飛行機の評価は変わったと思うんですがね・‥。

これが好きなのは、何しろ当時は大阪に住む飛行少年で小学校のまだ5〜6年ころでしょ。家の2階に部屋があって、部屋の裏の窓を開けるとすぐ物干し台があって、爆音がすると「お、来た!」って、ダーっと物干し台に上がっていた。

ある日、音が全然違うわけ、それまで聞いたことがない音で、なんか変な爆音だなーって思いながら物干し台に上がったら、こいつなんです。
生駒山の上から低空で300メートルくらいをダーッと単発のカッコイイのが来るわけですよ。「ああ! 液冷だ!」って。そのころ戦闘機の設計で、空冷か液冷かどちらが有利かという大論争があったわけ。

日本には液冷の戦闘機はあんまりなかったから珍しいし、空冷エンジンはかなり音が大きいんだけれども、あんまり大きい音がしなくて、軽い音で飛んで行くんですよ。

「これは凄い! カッコイイ!」それからいっぺんに飛燕の、液冷のファンになっちゃって・‥。
やっぱり幼児体験は大きいね。

そう、第一印象でしょ、理屈なしにすっかり頭の中に入っちゃってる。
分かりますよ、だから好き嫌いというとね、そういうレベルになっちゃうんだなー。

[パイロットの心理は考慮の外]

確か宮田さんのあげられた鍾馗も雷電も小さいころの思い出があるんですよね。

そうですよ。おれんちが焼けたときに、上空で戦っていたのが鍾馗と雷電。雷電もひどい飛行機で、本当ならけちょけちょに言わなければならないんだけど・‥。だけど、おれんちが燃えてたときにね、戦っていたんだよなー。

僕は雷電というのは、妙な印象がありましてね。あれ強制冷却機だからファンが回ると、サイレンみたいな音がするわけね。B-29が来ると、迎撃に飛ぶわけですよ。そうすると「ウワーン、ウワーン、ウワーン、ウワーン、・・・」って、泣きながら迎撃に向かうような感じがしましてね。なんだか奇妙な感じがしたのを覚えてますね。

たぶん、その唸るっていうのは、ファンの回転とプロペラの回転とが共鳴するからだろうね。
ええ、それにしてもあれは独特の音でしたね。

雷電は検索でもトップですし、凄い人気ですよ。振動で大変苦労したという話を聞いたことがあります。

延長軸で泣いたんですよ、これもやっぱり機械工作の精度というか何というか・‥。アメリカではP-39があれだけ長い延長軸をつくったって平気で飛ばしたんだけれど、日本では雷電がわずかシャフトを延ばしただけで、振動でもう困っちゃった。

むかし長いシャフトというエッセイを書いたことがあるの。ベル47やなんかは、マストそのものもすごく長いんだよ。その先にローターがついている。それからテールローターもものすごくシャフトが長いんだよね。確かに長いシャフトというのは大変なんですよ。あれはベルだからできたんだよね。

ああそうか、そういう経験があるんだな。

そうです。P-39の長いシャフトで振動を出さないようにする経験があったからできたんですよ。日本はダメだったからね。3式戦闘機のクランクシャフトもそうだし、雷電のプロペラシャフトもそう、ちょっと長くしただけでもうダメ。

この間、国会図書館で資料を調べてましたら、雷電のシャフトのテスト結果のデータが全部あったんですよ。もう何十種類とつくってますね、ちょっと長いのやら短いのやら、ずらしたのやら、あらゆるものをつくっては、テストしテストし‥‥。すごい大作でしたよ、もうあれ見ただけで大変だったと思いましたね。

とにかく振動と摩擦というのは、メカの中で一番難しいんですよ。そこにはまりこんだらもう大変。

もう迷路に入り込んでしまったようなもので。

そう悪い女に掴まったようなもんでね(笑)。

雷電はひときわズングリムックリしてますね。安定感があるというか。

しているけれど、形は一番スムーズでしょう。これおもしろいのが、中島は戦闘機の抵抗を減らす手段として、機体の表面積をできるだけ小さくすることをやっていた。というのは摩擦抵抗が一番大きいと彼らは考えていたわけです。ですから中島の戦闘機は胴体がみんなほっそりしてるでしょ。

ところが三菱は逆の発想で、抵抗を減らすには形だと。表面摩擦抵抗よりも形状抵抗の方が影響が大きい、だから胴体が太くても、スムーズに流してやった方が、結局は抵抗が減るんだという仮説を立てたわけです。
雷電はそっちの方に行ったわけ。「火星」というでっかい直径のエンジンを積んだので、グラマンみたいになっちゃうわけですよ。

大きいエンジンをおいて、それをスムーズな形にしようというんで、さらに先を絞って後ろを膨らましたので、こういう形になったわけ。

日本の戦闘機乗りは、ものすごく視界にこだわった話はしたけれども、この雷電はそういう意味じゃたまらない。雷電の試作機なんて、もう見られたもんじゃあないよね。操縦席が埋まっちゃってさ。

あれは確かにそうですよ。また子供のころの話だけど大阪の伊丹飛行場が海軍の基地だったの。雷電がおいてあったので乗っけてもらったんですよ。あの中に入ったら、だだっ広くてね。首だけ出しても見えないんだもん。胴体がやたらに太くってね。本当にガン箱というのが分かりますよ。

操縦席の中で酒盛りができたと言われてた。

おそらくパイロットにしたら孤独感にさいなまれるんじゃない? あれだけ広いと。首を出しても下が見えないわけよ。

エッ、逆に広すぎちゃったんですか?

操縦席というのは、ある程度狭くないとね、そりゃあんまり狭くてはダメだけれど、ある程度狭いってことはね、守られているような気がするんですよ。母親の胎内にいるみたいな感じ。それよりも大きかったらね、不安でどうしていいかわかんないよね。

心理的にちょうどいいバランススペースがあるわけですね。

グラマンの戦闘機は胴体は大きいけれどね、操縦席をそんなに大きくした飛行機はないですよ。

そう、意外に小さいんですよね。むしろパイロットから操縦席が狭いというクレームがついたくらい。あんなにでかい胴体で何で操縦席が狭いの? と思うけれどもね。それがまた雷電はやたらに広いんだなー。落ち着かないよね、あの広さは。

だから雷電はね、死なない立場が頭で考えた一番いい飛行機をつくったんだね。

そうですね、パイロットの心理状態は考慮に入っていなかったんですね。
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