Minoru Matsuba vs Toyoaki Miyata

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松葉 稔

宮田豊昭

スカイネット・ワン編集部

中島2式単座戦闘機「鍾馗」
Nakajima Ki44 -II Kou "Shoki"

川西局地戦闘機「紫電改」
Kawanishi N1K2-J " Shiden-Kai"

メーカーが独自の発想で考えた戦闘機

用兵の問題を宮田さんもおっしゃってるんだけど、戦闘機の使いこなし方をどうするのか、という考え方が日本の軍はちょっとうまくなかった。

だから結局、空中戦の性能を重視する方向で、技術者に要求したわけでしょ。
技術者の方としては、もうこれは時代遅れだと、もう少し変えなきゃダメだと、スピードが大事ですよ、運動性よりも一撃離脱ですよと、言っていた部分もあった。それが、ちょうど宮田さんがあげた、鍾馗ですよね。中島の機体で、初めて空中戦よりもスピードを重視した戦闘機ができた。

鍾馗は中島が陸軍の干渉を受けずに自分の発想でつくった飛行機。ノモンハンの惨敗の反省から高速で飛び、射撃精度を高くした個性的な機体をつくった。でも、空中格闘戦にこだわった陸軍にしてみれば、妾の連れっ子みたいなもんで大事にしなかった。

勝手に作りやがってなもんですよね。

紫電と紫電改は、川西という会社が海軍とは関係なく、自分の発想で海軍にこういうのをつくらせてくれって申し入れてつくった戦闘機。

そういう意味では、技術屋さんというのは用兵者よりは一歩先を見ていたような感じですね。いずれこういう時代が来るぞ、戦闘機はこうでなくちゃとかいうものを見抜いてたんでしょうね。

なるほど、鍾馗と紫電改はメーカーが独自の発想で考えた戦闘機という点では共通しているわけですね。

そういう意味ではね。

紫電改は検索数も多いですよ。

太平洋戦争が始まってすぐ日本がバーッと勝ったでしょ。海軍はハワイとマレー沖でさんざんやっつけて、すっかりいい気持ちになっている。そこへ川西が、「いずれ取った島を守らなければならない。 防衛するための戦闘機が必要になるから、つくらせて下さい」と売り込んだの。でも戦闘機メーカーというと中島と三菱。海軍はどっちかというと三菱にやらせていた。川西には飛行艇をつくらせていた

戦闘機は初めてですよね。

話は前後するけれど、川西としてはもう水上機の時代ではない。つくるものがなくなっていずれ商売がダメになる。

そこで、社長と副社長と部長と設計者が4人で会議を開いて、次に何をつくるかという相談をした。とにかく、メーカーは買ってもらわないと生き延びられない。
戦争中であろうとなんであろうと株式会社だからね。だから売れなきゃいけない。それならば戦闘機をつくりましょうということになった。手っ取り早くつくるには、その時に「強風」という水上戦闘機をつくっていたので、それをベースにして、要するにフロートの替わりに脚を付けて、陸上戦闘機にしようと考えた。

それが紫電。

そう紫電をつくった。ところが中翼なんだ。脚が問題になった。プロペラをかじらないためには、長い脚をつけなきゃならない。でも、たたむと脚が引っ込まない。
胴体にあたっちゃう。

どうしたかというと、油圧で引っ込めて、それからたたむというやり方を考えたのよ。ところが、そんな器用なこと日本ではできなかったの。

とくに油圧というのは、日本はちょっと不得手でね。凄い高圧がかかるわけでしょ。技術が進んでいなかったから、パッキンから油漏れを起こしたり、うまく縮まなかったり、故障を起こしたり・‥。技術者としては発想はおもしろかったんだけれども。

それから中翼だから視界が悪いということで、ごちゃごちゃ言われたりした。でも視界の問題はしょうがなければそのままやったと思うんだけれども、脚だけはどうしようもなかったの。

P-47はうまくやりましたよね。同じ問題にぶつかった。アメリカだから油圧を使ってもよかったんだけれども、油圧を使わないでリンク機構でね。脚を引っ張るために、もう1本棒をくっつけて、だんだん引っ張られて自然に短くなっちゃうメカニズムをつくった。

いずれにしても、2,000馬力級の飛行機というと、プロペラの直径がものすごく大きくなる。その点で中島の4式戦は同じエンジンを付けたけれども、プロペラの直径が紫電より20センチも小さい。それは脚を長くするのがいやだったからそうした。

小さいプロペラで馬力を減らす。

その20センチに川西はこだわった。効率は悪くなるけれども小さくてもいいやと判断したら、難しい脚をつくらずに済んだんだろうと思うし、生産数からいえば、紫電改よりも紫電の方が多いんだから、もう少し働けたと思うんだけどね。

その問題があって紫電改の開発に。

それでしょうがないということになって、脚を解決するためには、翼を下へ下げて、脚を短くした。でも企業としてみればね、海軍に売り込んだでしょ。海軍にやめたっていわれると困るんだよね。企業倒産したら明日から飯が食えなくなる。だからなんとしても、カッコウにして飛ばしてしまわなければならない。 チーフデザイナーの菊原静男さんは、問題があることは分かっていたんだけれど、海軍の気が変わらないうちにやらなきゃならないというんで、そういうことをやったんだね。戦争中であろうと何であろうと、企業は企業として行動するビヘイビアというのは変わらないんだよ。川西の焦りまくっている気持ちがよく分かるね。

川西がちょっとラッキーだったのが、源田空将が紫電改に目を付けて、343空ですか、源田サーカスという異名をとるすごい活躍をしたわけ、この辺が海軍からの評価というんですか、認識が良くなったんですね。

実際問題としてね、昭和19年くらいになったら、アメリカの戦闘機に太刀打ちできる戦闘機というのはいくらもなかったんですよ。

[燃料タンクの場所]

でも、これも日本のサンダーボルトといわれたようにグラマンと一緒で太ちょで、グラマラスなんだな。

私が好きな飛行機がたまたまズングリムッチリしてるんだよ。女の子の趣味もね、アメリカのほっそりしたのよりも、ズングリムッチリした日本の女性の方がよっぽど好きだね(笑)。

ロシアとかスウェーデンの女性なんかいいんじゃないですか(笑)。

そうそう(笑)。もともとの強風が、ズングリしてるけど、しっぽの方までは太くなかった。ところが、プロペラの直径を決めて、脚の長さを決めたら、着陸するときの3点姿勢が問題になって、20度を超えたら失速しちゃうから、どうしても15度とか13度にしなきゃいけないわけ。それでしっぽの車輪の長さに合わせて胴体を膨らませたの。

それに、翼の取付位置を下に下げた方が脚が短くなるでしょ。上が決まっていて下へ下げるとどうしても胴体のタッパが大きくなるわけね。平面で見るとそれほどでもないんだけれども、側面で見ると結構太い。

もう1つ紫電改の特徴は、燃料タンクの場所。日本のデザイナーは燃料タンクを操縦席の下に置くのを嫌ったんです。前に置くのもそうなんだけど、前はエンジンの陰に隠れるということで、まあ我慢したけれども。ところがこの飛行機、操縦席の下にあるんだよ。胴体が太かったから。

たっぷりスペースがとれるからね。

菊原さんは、戦闘機の先入観がなかったから、そんなことこだわらなかった。さっさと防弾して燃えないようにした。パイロットにとってみれば、燃料タンクが下にあって、100オクタン近い燃料に弾が当たって燃えたら、もうタマランという気持ちにはなる。

最後まで、燃料タンクにこだわったのは、中島の太田さん。97戦からはじまって4式戦まで、絶対というほど燃料タンクをパイロットの前には置かない。

ノモンハンで97戦がやられたとき、タンクが前にあると、燃えて、漏れて、パイロットにかかるんだよね。
だから最後までこだわった。それは凄くよく分かるんだ。よく分かるけれどもね、そんなこと言ったって、パイロットにとってみれば、落っこちるのは同じで早いか遅いかなんだから、防弾でもしてくれと。

それに燃料タンクがどこにあるかということは、飛ぶ方からすると凄く問題になる。要するにCG(重心)より離れたところにあると、飛び上がるときは満タン、降りるときはカラでしょ。

飛びながらどんどんバランスが崩れる。戦闘やってる最中に重心がどんどん変わると困るんですよ。だから変なところに燃料タンクを置かれると非常に困る。

パイロットの下が一番いい。

翼弦の25%が重心なんだから。

それが一番問題がないわけ、空っぽでも満タンでも重心位置は変わらない。とくに日本の飛行機が、アメリカとかヨーロッパの機体と違うのは、航続距離が長かったのね。 そういう要求があったから、ガソリンを外国の戦闘機よりは沢山積まなければならなかった。だから積む場所に困ったわけ。いろんな場所を考えては、こまめにスペースを稼いで燃料タンクを積んだわけだけれども。

まあアメリカにしてもドイツにしてもね、世界のデザイナーはね、そんなことはほとんど考えなかったね。

そんなに飛ばなくても良かったから、日本の飛行機は1,200キロとか、倍以上航続距離飛ばなきゃならない。いわゆる侵攻戦闘機、日本を中心に南方へワーッと足を延ばしていったでしょ。作戦する範囲が広いわけよ。 だからどうしても足の長いやつではないと、戦争にいっても使い切れない。でも向こうの機体は、とくにイギリスなんかは、やって来た敵の機体をイギリス本土で迎撃するわけだから、燃料なんていくらもいらないわけですよ。それだけ機体は軽くできるしね。

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