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I-16は、私に言わせれば、設計の発想が戦闘機ではなくてスピードレーサーです。与えられたエンジンでどれだけスピードが出せるかを追求した、そのためできるだけ小さく軽く作っちゃえと。
だから大男のロシアン・パイロットには可哀想な飛行機で、凄く狭いところで我慢して乗っていたんでしょうね。ロシア人は我慢強いですから、少々悪い環境でも耐えられるのかも。しかも、これが世界で一番早く実用戦闘機としては引込脚をつけた低翼・単葉の機体。 |
あの時代こんな新しい進歩的な設計を採用したのは、ロシアとは思えないですよね。世界中どこもやっていないのに、ポッとこういうおもしろいことをやっちゃったのも凄い。ただ出来が悪いんですよ、こいつは。仕上げは悪いし仕事も悪い。
悪口になるけれど、ロシアってのは、どうしても農業国の土のにおいがするわけですよ。飛行機の写真見ても、なんか埃っぽいしね。 |
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精密図面集1をつくるときもI-16はきれいな写真がなくて大変でした。 |
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これはノモンハン戦の時に、97戦とやったんですよ。その時完全にI-16が勝っちゃったわけ、日本最新鋭の戦闘機だった97戦もタジタジだった。
というのは、日本の97戦は、「やあ、やあー」って、まず名乗りを上げてから、近くまで寄って一騎打ちで戦う戦法なわけ、だから技は凄いんですよ。
だけど、こいつはそれができないから、数で行こうよって、いくらでも作れるから数で固まってやっちゃえっという戦法。だからこれは槍騎兵ですよね。 |
槍もって群れをなして寄って来て、バサってやったら、サーと逃げるわけ。結局97戦には、こいつを落とすチャンスがないわけです。
用兵の発想が良かったんでしょう。戦闘機というのは戦の道具だから、日本の飛行機に勝つにはどういう使い方をしたらいいか考えたんでしょうね。
97戦はその術中にはまっちゃって、にっちもさっちもいかなくなっちゃった。おそらく日本で一番初めの惨めな敗北を味わった戦闘じゃないでしょうかね、ノモンハンは。 |
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そうでしょうね。戦闘方法は蒙古の来襲と全く同じですよ。つまり97戦は鎌倉武士。 |
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そうそう鎌倉武士、発想がね。 |
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宮田さんは「国破れて戦闘機」(酣燈社刊「航空情報」2000年1月〜2001年4月号まで連載)でI-16を取り上げてらっしゃいますね。 |
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うん、私の評価はこれは蒙古馬だと。ズングリムッチリして、サラブレットやアラブとは違うけれどもね。そのかわり我慢強くていかなる環境でも戦うというイメージだな。 |
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当時僕はまだ小学生で、もちろん国粋主義でしたから97戦は世界一だと思っていたけれども、こいつが出てきたでしょ。子供心にカッコイイわけですよ。なかなかズングリムックリしててね。一生懸命竹ひごを曲げて、模型飛行機を作りましたよ。だってどう見てもカッコイイんだもん。 |
向こうのあだ名がラッタでしょ。ラッタというのはラット、ねずみ。コマネズミみたいにチョロチョロやる。だから97戦はネズミの大群にやられたわけ。1対1で勝ってもね、10対1、20対1じゃあ勝負にならないでしょう。 |
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もしも戦国時代の後で太平洋戦争をやったら、たぶん第2次世界大戦の日本の戦闘機のようなものはつくらなかったと思う。つまり信長とか秀吉だったらね、あんな飛行機はつくらせなかったと思うね。勝てない戦争は、まずするべきじゃないしね。武田軍団が騎馬で突撃してくるのを、まず止めちゃうというああいう発想ね。 |
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そうですね。 |
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江戸時代以後は、要するにチャンバラの思想がそのまま入っているんですよ。柳生新陰流とか小野派一刀流とか、個人戦が入っている。97戦、隼、ゼロ戦・‥みんな新陰流の達人ばっかり。そのかわり、相手が多勢で、わーっと囲まれてね、鉄砲で撃たれてやられちゃう。 |
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宮本武蔵の一乗寺の戦いじゃないけれど、二刀流くらいでかけずり回らないと容易じゃないですよね。 |
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I-16の機関銃は、口径は7.7ミリで小さかったけれど、7.7ミリの機関銃の中でも、発射速度だけはものすごく速かったんだよ。まず5割か6割ぐらい余計に撃ったんじゃない?
だから2挺だけど、97戦の2挺に比べたらね、ぶっ放す弾数は倍ぐらい撃つんだよね。 |