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▲スミソニアン航空博物館にて(写真・文提供/伊藤克己) |
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撮影は、終戦から50年後の1995年9月29日。アメリカ国内でも、この展示会の開催について賛否両論が出て、だいぶ規模を縮小したと聴きました。
特別展示場にたまたま中学生の団体が見学に来ていましたが、引率の先生が、時のアメリカ政府が原子爆弾を使用したことの功罪を、中立な立場でレクチャーしており、子供達の質問に丁寧に答えていたのが印象的でした。 |
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▲ 5部に分かれたスミソニアン原爆展内部 |
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(以下、別冊・B-29より抜粋)
1945年8月5日
ティベッツ大佐の愛機82号のノーズに母親の名「エノラ・ゲイ」(ENOLA GAY写真)が装備兵によってペイントされる。
8月6日
エノラ・ゲイはサイパン島北端通過点でキャロン軍曹が機銃試射50発を行う。
午前3時、爆弾の最終装填を始める。もともと原爆はテニアンで最終組立てを済ませ、あとはボタンを押せば投下できるようにつくられていた。それが、B-29の離陸時の墜落事故が多発したことから、最終組立ては飛行中の機内で行うことになった。
6時05分硫黄島上空通過。昇る太陽に光りを浴び、機首を四国方向に向ける。
7時30分赤プラグをつなぎ爆弾を待機状態にする。投下準備完了。
7時41分高度3000メートルから9150メートルへ上昇を開始。
広島まで距離980キロ。自動操縦装置をセットする。
8時25分(日本時間7時25分)ごろ各気象観測機から受信。その後ストレート・フラッシュのイーザリー機長の進言で「第一目標」は広島に決定。硫黄島基地へ通報。25分後には四国を通過した。眼下に広島が見えてきた。 |
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