追憶のノーズ・アート

小秋元 龍 =文
text by Koakimoto Ryu





航空情報・別冊「B−29」より
級友の怪情報と双眼鏡

「オイ、B−29の胴体にはな、女の裸の絵がでっかく描かれているんだぞ」
この驚くべき怪情報を私にもたらしたのは級友フケツである。当時私は都立の中学1年生、この年1944年の秋、サイパンを飛び立ったB−29による日本本土空襲が始まり、私たちは東京上空はるか1万メートルの高空を悠々と飛ぶB−29の大編隊を目撃し、遠くに着弾するじゅうたん爆撃の地響きを体験していた。

べつにどこといって不潔なところがないのに、体全体に漂う不潔感からあだ名をつけられたこの級友は、どこで仕入れてくるのか、大した情報通で、いつも憲兵隊か特高警察にしょっ引かれかねない物騒なニュースを私に教えてくれたものだ。兵器は天皇陛下からお預かりしている武士の魂だ、などと精神論を叩き込まれていた軍国日本の中学生にとって、オンナの裸の絵を描いた爆撃機で空襲にやって来るアメリカ兵の心理などわかろうはずがない。

「嘘つけ、オマエ、本当に見たのか」
「いや、僕も見たことはない。だけどナ、アメリカというのは、そういうことを平気でやれる国なんだ。いまにB−29が低空で飛んでくるからナ、オマエ、例の双眼鏡でよく確認するんだな、ヒッヒッヒッ」。フケツは味噌っ歯をむき出して笑った。

「トウキョウ・ローズ」

記録によれば、この日の東京周辺は雲ひとつない絶好の秋日和だった。サイパンから飛び立ったB−29偵察機の機種にはその機のニックネーム「トウキョウ・ローズ」がアメリカ人好みの漢字風ローマ字で記され、マイクロフォンに向かう怪しげな和装女性のノーズ・アートが描かれていた。

「東京ローズ」とはNHKの対敵放送の二世女性アナウンサーに奉られた愛称である。当時の連合軍の将兵は、東京からの電波に乗って流れてくる彼女の甘い英語の響きに悩殺され、その人気は絶大だったと言われる。

資料 : Motorbooks International, Airlife Publishing
「真っ赤な天空に舞う魔女」

午前3時ごろだったろうか、B−29が1機、思いがけず低空飛行で山の手上空に飛来した。ジュラルミンのピカピカの胴体と主翼、尾翼の下面は、下町の大火災を反射してピンクに染まっていた。私は双眼鏡をそのB−29に向けて、あっと息を呑んだ。操縦席の窓の下になにやら絵のようなものが見えたのである。「もしや・・・・・」と、さらに眼をこらすと、それはやはり長い脚をスラリと伸ばした女性の裸の絵だった。

「フケツが言っていたのは、これだ」と、私は遠ざかるB−29を追いつつ、傍らに押し黙って立っているタバコ屋の娘には、なぜか双眼鏡を貸してあげる気にはなれなかった。

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5月の大空襲で目白の家が焼け、疎開先の新潟県長岡市も8月1日の大空襲で全滅した。自宅の焼け跡にレンズが溶けて金属部分だけの双眼鏡が転がっていた。日本が降伏したのは、その二週間後だった。疎開先から帰ってみると、学校にフケツの姿はなく、消息も知れなかった。

(本文より抜粋)

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